「大道之交 5」
〜 劉備、曹操に招かれて許都に赴くも 〜
曹操×劉備


 手足が気だるい。何よりも腰が鈍痛のような重りをつけられたようだった。
 目が覚めたとき、そこは曹操に与えられた劉備の屋敷であった。兄弟三人で寝ることに慣れていた劉備は、未だに一人で寝る牀臥に慣れないが、今日はいつでも傍に感じていた兄弟の気配を横に覚えた。
「雲長?」
 首を回して牀臥から部屋を見渡すと、枕頭(ちんとう)に関羽が座したままじっと劉備を見つめていた。
 一瞬ばかり、精巧に出来た像かと思うほど、関羽は劉備を眺めたまま微動だにせず、表情なくそこにいた。
 異常な弟の風体に、劉備はすぐに気を失う前の状況を思い出し、それから弟の様子を省みて青褪めた。
 部屋には射し込む陽があり、すでに夜は明けて朝になっていたが、あれから果たしてどうなったのだろうか。
 力の入らない体を無理に動かして半身を起こす。
 薬のせいか記憶が途中から断片的になっていたが、状況はだいたい把握している。乱れた己の醜態に今度は赤くなりそうだったが、極力平然と関羽を見つめ返した。
「雲長、どうした」
 どうした、もないだろう。我ながら間の抜けた質問ではあったが、曹操がどこまで関羽に事情を話し、もしかしたら上手く誤魔化してくれているかもしれない、ということを考え、曖昧な問い掛けにした。
「…………」
 やはり像なのだろうか、と馬鹿馬鹿しい考えに囚われるほど、しばらく関羽は劉備の声に反応を示さなかった。ようやく口を開いたときにこぼれた声音は怒りに震えていた。
「己の腑甲斐なさに憤っております。兄者の身を、天を目指すに相応しい方をお守りするのが拙者の大義、と誓っておりましたが、守れなんだ己が憎らしいのです」
「何を言っている?」
 関羽の説明に、どうやら曹操は誤魔化しきれなかったことを察するが、それにしても関羽の猛省ぶりが気に掛かる。
「昨夜、曹操殿より呼ばれて事情を知り、全身が怒りに包まれました。我が身はどうなっても良い。ただこの目の前の男を切る、と。しかし、曹操殿は愚直に謝られました。聞けば臣下が独断で行ったこと。非は曹操殿になかったという。それでも、曹操殿は謝られ『責任は儂にある』との一点張り」
 そういえば、昨日もことに及ぶ前に責任を取る、と言っていた。
「潔い態度に、拙者の柄を握る手が少しばかり鈍りました。そこへあの男が飛び込んできて」
 郭嘉のことだろう。どうやら関羽にとって名を出すことすら汚らわしい、と思うようだ。
「言うに事欠いて」
『責任ってことなら、あんただって同じだ。あんた、本当にこいつ守る気があるなら、首輪でもつけておけよ。こんな簡単に薬盛られて。媚薬だったからいいけどよ、毒だったら今頃ここにはいないぜ?』
「などとほざいたのです」
 毒(くすり)を盛った当人がよく言えたものだ、と劉備も思ったが、感情の灯っていなかった関羽の双眸に烈火が走ったのを見て訊いた。
「……切ったのか?」
「……いえ。切れませんでした。剣の柄まで手は伸びました。殺す、と氣まで発しましたが、あの男は引きませんでした」
『俺が勝手にやったことだ。主上は関係ない。主のために良かれと思ってやったことが失策だったってんなら、俺が泥を被るべきことだろう?』
 思わぬほどの豪気を男が見せたことで関羽の頭を少し冷やし、言葉の意味を汲み取らせたらしい。
「一理あると、迷いが生じてしまいました。あれほど傍に仕え、供として同行した意味を、拙者は全く果たしておりませんでした。それに、貧弱そうなあの男が曹操殿を守るために見せた態度に心を動かしてしまった」
 馬鹿が付くほど義理堅い。郭嘉の言葉など半ば曹操を庇うための方便であろうに、実直に受け止めて反省するなど。ましてや、相手の心意気に同調して、振り上げた刃を下ろしてしまうとは。
「しかし、兄者の御身を貶められて何も出来なかった己に、腹の虫が承知せず」
「気にするな。命を奪われたわけでもない。女でもないのだから穢されたわけでもない。それよりも自分の憤りを抑えて私を連れ帰ったことのほうが立派だ」
 心の底からそう思う。関羽が無事であるなら良いのだ。
 瞳に滾っていた烈火が鎮火していく。
 たぶん、この男は自害すら考えていたのではないだろうか。劉備が目覚めて、もしもいつも通りの淡然さを保っていなかったら、己の責を募らせて、命を絶つことを申し出ていたかもしれない。
「いいか、雲長。私とお前、翼徳でした誓いを決して忘れるな。破ればもう兄弟の縁は切るぞ。いいな」
「はい」
 短く答えた関羽の表情は複雑で、嬉しさを隠すような悔しさの行き所を失くしてしまったような顔をしていた。
「また、寝る。疲れがとれん。……薬は変なものではなかったのだろう?」
「後遺症はないものだ、と男は申しておりました。……その、本当に平気ですか、兄者?」
 ぼすっと寝床に倒れこんだ劉備を案じてか、関羽が尋ねる。
「どういう意味だ?」
「あ、いえ……その……昨夜の兄者は……かなり……」
 今の今まで身じろぎしなかった関羽が、なぜかそわそわし始めて視線を彷徨わせる。
「ちょっと待て、雲長」
 ぎろり、と睨み付ける。
「お前、どうしてそこで顔を赤くするのだ。お前までおかしなことを言い出したら、誓いを破っていなくとも縁切るぞ」
「そ、そのような! ただ、昨日の兄者はあまりのも妙に艶……〜〜っ、頭を冷やして参ります!」
 跳ねるように立ち上がり、関羽はバタバタと部屋を出て行ってしまった。
「おいおい、勘弁してくれ」
 劉備は頭を抱える。もっとも、あの関羽の様子ならば、見慣れない兄の状態を見て少々取り乱しているだけだろう、と思うことにする。
(憲和と公祐も事情は知っているだろうな)
 劉備を連れて帰ってきたとき、関羽が何事もなかったように振舞えたとは思えない。
 それならそれで気が楽だ。ここから出て行かずとも二人が心配して見に来る、ということもあるまい。
 ならば、滅多に出来ない二度寝という贅沢をするか、と劉備は目を瞑った。

 次に起きたときはどうやら昼過ぎだったようで、枕元に食事が用意されていた。
 まだ気だるさが残り足腰に力は入らないが、何とか厠と顔を洗いに部屋を出た劉備は、しん、と静まりかえった屋敷に拍子抜けする。
 どうやら全員出払っているようだ。関羽はあんなことを口走ってしまった手前、顔を合わせづらいのだろうし、簡雍はどうせまたフラフラと出歩いているに違いない。孫乾ぐらいは居てもいいものだが、どうやら留守らしい。
 劉備は牀臥(寝台)にもたれながらぼんやりと庭を眺めた。
 思い返すのは、曹操に抱かれている最中のことばかりで、悦で体が熱くなるようなことはもうなかったが、曹操を激しく求めた己に、胸底は乱れていた。
 たとえ薬のせいだったとしても、人をあれほど求めたことがあったか。
 また、劉備の痴態のせいだっただろうが、あの曹操が劉備を求めて、しかし劉備の何かを守るために欲を抑え込んでいた。辛そうな顔は、冷静な気持ちで振り返れば、自身の欲を封じ込めておく辛さだったのだろう。曹操がそれほどのことをする価値が己にはある、ということなのだろうか。
 分からない。
「生きてるか?」
 と、唐突に窓の外から声が聞こえ、劉備は仰天する。
 簡雍か、とも思ったが、ひょいっと窓枠から顔を覗かせたのは予想もしない男であった。
「郭軍祭酒っ?」
「あー、その長い役職いらないから。郭嘉でいい」
 ひらっと手を振って、窓から現れた男――郭嘉は言った。なぜか左右の頬が腫れている。
「ちょっと邪魔していいか」
「構わんが」
 郭嘉の砕けた口調のせいか、劉備も普段の物言いになっていた。
「うわー、やだね、それ。どうしてあんた、自分に薬盛った相手をすんなり懐に入れるわけ? 俺には理解できないね」
 許可をしたのになぜか文句を言わる理不尽さに首を捻りながら、よいしょ、と窓から部屋へ入る郭嘉を見守る。
「憲和以外で、窓から人の家を訪ねてくる人間を見るのは初めてだ」
「あん? 憲和……ってああ、簡雍ね」
「知っているのか?」
「うん。よく遊郭で会う。意気投合して酒飲んだこともあった。あんときはお互いの仕えている相手知らなかったし」
「それで、今日は何の用だ。また、薬でも盛りに来たか?」
「それでも俺としてはいいんだけど、そうすると俺、この先一生、女と戦にありつけないから」
 窓枠に寄りかかり、郭嘉は肩を竦めた。
 己をあんな目に合わせた男と対峙しているのに、不思議と不快な気分にならない。飾らない郭嘉の言動と、どうしてあんな真似をしたのか、という疑問がそうさせるのかもしれない。
「どういうことだ?」
「主上に謹慎食らった。あんたに謝りに行かない限り、女を抱くのも、一緒に戦に行くのも禁止だって言われた」
 不貞腐れて頬を膨らます男は、いい歳をしているくせに子供のようだった。
「謝りになんか来たくなかったし、謝るつもりもないけど、女と俺の智嚢(ちのう)が主上に求められないのはもっと嫌だから、謝りに来た」
 悪かった。
 あっけらかん、として頭を下げる男は、確かに誠意の欠片もなかったが、やはり劉備は腹が立たなかった。
「分かった、許す」
「本当かよっ? あんた馬鹿?」
 目を剥く郭嘉に、劉備は言い返す。
「そう思うなら、私にどうしてあんな真似をしたのか教えろ」
「…………」
 すると、今まで軽かった男の口が急に重くなった。ふいっと顔まで背けて黙り込む。
「曹操殿に頬を叩(はた)かれて、謹慎まで言い渡されることを承知であのようなことをしたのだろう?」
「……言っておくけど、左頬は主上だけど、右の頬はあんたんところの奴だからな」
「雲長か」
 切り捨てはしなかったが、さすがに一発は入れたのか。
「違うよ。あんな奴に殴られたら俺、今日ここにいないって。てか死ぬ。今だって、あいつが居ないのを確かめて訪ねてきてんだから」
 昨日も、睨みつけられて臓物縮み上がったもん、と郭嘉は言う。
「じゃあ、憲和か?」
 少々意外に思いながら聞き返す。悪友はある意味で劉備のことを軽んじている。殺されるような目に合わされたのならともかく、今回のようなことなら、からかってきそうなところがある。
「いや、むしろ簡雍に助けられた。殴ったのは、あっち。あのいっつもにこにこ笑って無害そうな男のほう。孫乾」
「公祐がっ?」
 今度こそ、劉備は意外の念に囚われて目を見開いた。
「さっき、屋敷の外でばったり出くわして。いきなり『死ね、下衆が』って罵られて殴られた。ボコボコにされそうだったところを、一緒にいた簡雍が助けてくれた」
「ちょっと待て、それ、本当にうちの公祐か?」
 信じがたい事実に、劉備は念を押す。
「そうだよ。あ、元々あっちとも俺、顔馴染みなんだけどさ。遊郭で最近現れた新進気鋭の色男って、興味あったから、話もしたことあったけど。まさかあんな奴だったなんて……。俺の慧眼も鈍ったな」
 ああ、糞。せっかくの美男が台無しだ、とぶつぶつ呟いて、郭嘉は両頬を撫でた。
(私も己の勘を疑うぞ。って、遊郭で新進気鋭って、あいつ何をやっているんだ?)
「あいつでも、キレることがあったのか」
 感慨深く呟く。
「ま、それだけあんたを慕ってるんだろ。腹立つことに、うちの主上もそうだし」
「曹操殿が?」
 反射的に疑いの声を漏らす。
「白々しい。だから、俺はあんたのこと嫌いなんだよ。第一、主上に押し倒されていただろう。夏侯将軍から聞いたから知ってるぜ。そんなことまでされて、あんたはまだそんな寝ぼけたこというわけ?」
 どこか飄逸(ひょういつ)とした雰囲気を纏っていた男が、剣呑とした空気を醸し出す。
「寝ぼけてんのは主上も同じだけどな。俺は、主上の目を覚まさせてやりたかっただけ。あんたのこと抱きたいって思ってんなら、抱かせて満足してもらうなり、諦めさせればいいって思ったの」
 下手にね、高嶺の花なんかにしておくから、思慕だけが強くなって血迷うんだよ。摘み取ってそこら辺に飾っちまえば、飽きるだろう?
 と、本人を目の前によく言えたものだ。
「しかし、曹操殿のあれは……恋慕、ではないだろう?」
 慎重に言葉を選んだ。
「やっぱり分かってんじゃん。そうだよ、むしろ惚れたとかそういう類だったら話が早いんだよ。そんなんだったらとっととくっつけて、あんたを主上に骨抜きにしてもらえれば危険じゃなくなる」
 それも狙ってたんだよ、と事も無げに言う。
「でも、主上はそんなこと望んでない。あんたが噛み付いたり逆らったりするのが楽しいみたいで、意のままになるのは嫌みたいだ。そこら辺、さすがの俺も良く分かんねえ。おっかしいよ、うちの主上は。俺なんか、あんたみたいなのは、牙抜いて爪磨がせて飼いならして、大義名分の旗になってもらえればいいのにさ」
 徳の高い、仁徳将軍と呼ばれる劉備ならば、曹操の世に轟く悪名すら掠めさせることができるだろう、と郭嘉は思っているらしい。
「何でなんかね。あんたみたいなのが一番、主上にとって危ないのにさ。放っておいたら勝手におっきくなって、主上の道、阻むよ。もっとも、それと同じぐらいに、勝手に自滅する可能性も高いけどさ」
 分からない分からない、としきりに郭嘉は言うが、劉備は笑う。
「お前は、曹操殿が好きなのだな」
 見る見る、男の顔が赤くなる。
 稀代の軍師と誉れ高い男にしては分かりやすい反応をしてくれる。
「分からない、と言いつつも良く曹操殿のことを理解している。心底惚れているのだな」
「ば、馬っ鹿! ほんとあんた馬鹿! だから俺、あんたのこと嫌いなんだよ!! あー、もう。こんなこと言うつもりなかったのによー。やだやだ。あんたの前だとつい本音が出る」
 がしがし、と髪を掻きむしる男は、きっ、と劉備を一睨みする。
「いいか、忠告するぞ。あんたはとっととここを出て行くか、主上の飼い犬になるか、どっちかにしろ。そうでなかったら、今度こそ本物の毒盛るからな」
「分かった、ありがとう奉孝」
「礼を言うな! 字を呼ぶな! 字を呼んでいいのは惚れた女と主上だけだ!」
 嫌だ嫌だ、調子が狂う、と郭嘉は喚く。
「とにかく、俺は謝ったし忠告もした。主上によろしく言っておけ。あんたから謝りに来たっていう報告が来るまで、俺はずっと謹慎なんだからな!」
 言うだけ言って、郭嘉は窓から出て行ってしまった。
「面白い男だ」
 ああいう、いざとなれば主に疎まれることも承知で事を成したり、諌めたり、考えを汲んで策を巡らせたりする男が、天を統べるには必要なのであろう。
 生憎と、劉備の周りにはいない人材だ。劉備ですら、夢ともいえないものを抱えて毎日を生きるだけで精一杯だ。もっと、劉備の夢を具体化させ、霧に包まれている道を照らす光明を持つ人間が欲しい。
 切実に思ったが、それはまたゆっくり考えるとして、当面は曹操とのことだ。
 劉備は重い体を起こして、棚から道具を取り出す。
(ひとまず、手土産の一つと、意趣返しぐらいはあってもいいだろうな)
 構想を練りながら、劉備は揃い始めた顎鬚をゆっくりと撫でた。


 渋る関羽や孫乾を宥めて、劉備は曹操の招きに参館していた。体はすっかり全快し、使者に即答していた。
 曹操の私邸は華美ではなく、実用性に富んだ造りであった。空模様はやや肌寒さを感じる曇りであり、遠くに雷鳴すら聞こえる。しかし曹操が用意した庭の奥にある東屋は、すっかり春の草木に彩られて華やかであった。
「もう、招いても来てはくれぬ、と諦めておったが」
「そのようなことはありません。曹操殿とお約束した事柄もありますし。足の寸法を取らせてもらってもよろしいですか?」
 招かれ、先に東屋に居た曹操へ挨拶をすますと、劉備はそう切り出した。
「もしや、沓を作ってくれるのか?」
 目を輝かす曹操へ、にこり、と劉備は微笑む。
「構想がまだ固まり切れておりませんが、近々進呈できるかと」
「そうか、それは楽しみだ!」
 無邪気に喜ぶ曹操は、さあ座れ、と向かいの席を勧める。腰を下ろす劉備を待って、曹操は酒を注ぐ。
「儂が先に飲んでから、お主は飲むといい」
「分かりました」
 律儀に毒見を申し出た曹操に苦笑しつつ、劉備は曹操の杯が空くのを待って、自分も飲み干した。今日の酒もまた旨い。
「郭嘉はちゃんと謝りに行ったようだな」
「ええ」
 あれで謝ったとは言えないだろうし、最後は脅して帰っていったのだが、詳細を話すつもりはなかった。
「改めて詫びる。うちの軍祭酒が愚かなことをした。すまない」
 両手を卓につき、深々と頭を下げる曹操を、やんわりと制す。
「もう気にしておりません。誰も見ていないとはいえ、簡単に頭を下げないでください。私の身が危なくなる」
 二人きりの東屋ではあるが、誰かが覗いていないとも言い切れない。また郭嘉あたりにでも毒を盛られては敵わない。
 気にしていない、とは言ったが、あの夜の淫行は思い出すたびに羞恥で身が熱くなる。特に、唯一あれを目撃していた人間が目の前にいるとなれば、なおのことだ。
 しかし劉備は、今日はそれ以上のことを頼みにここへ足を運んでいる。どう切り出そうか、と恙無い会話を交わしながら機を窺っていた。
 遠くにあった雷鳴が徐々に近付いてきている。雷は幼い頃から苦手だった。しかし今は緊張しているせいだろうか。あまり気にならなかった。
 話は諸侯のことへ及び始め、誰が群雄並び立つ大陸で一歩を抜きん出るか、という話題になった。
 劉備があれこれと名を連ねてみるが、どれも曹操は否定する。
「では、曹操殿は誰が陛下を支える大地に相応しい、とお考えなのですか?」
「――っと、――だ」
 地を裂かんとばかりの雷鳴が空に轟き、曹操の言葉を掻き消した。それでも、劉備は誰と誰の名が告げられたか理解した。
 そこまで己を認めてくれている男に応える形を提示するのは、今しかない、と決意した。
 震えた手が箸を取り落とした。乾いた音を立てて転がっていく箸を目で追いかけている曹操へ、劉備は卓を回り込んで歩み寄った。
「劉備?」
 見上げる曹操に、劉備は硬い声で告げた。
「私を、抱きませんか」
 ゆっくりと見開かれた曹操の双眸に、激しい稲光が映り込み、劉備を照らし返していた――



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