「言絡繰り・2」
劉備、視察に行き諸葛亮を怒らせるも 5
 諸葛亮×劉備


 だるい腰を庇いながら、劉備は馬の背に揺られている。
 許都を遥か背中へと見送り、劉備と趙雲、そして諸葛亮は新野への帰途についていた。
「殿、やはり具合が良くないのでしたら、無理をなさらず」
 劉備のこととなると鋭い趙雲が、ぎこちない動きをして手綱を握っている劉備を案じた。
「大丈夫だ。まあ、あれだ。少々夜、張り切り過ぎただけだ」
 ははっと乾いた笑いを上げて、虚実を混ぜて真実味を増す得意技で趙雲の追求をかわす。
「そうなのですか? それは珍しいこともあるものですね。殿が女を相手にそのような具合になるなど、もしかしてもうお歳ですか?」
 糞真面目な顔で失敬極まりないことを吐いた、正直すぎる男の足を、馬を寄せて思い切り蹴飛ばした。だが男には痛そうな表情は浮かばず、むしろ驚いたのは馬のほうで、腹を蹴られた、と思ったのか速度を上げて、一頭先へ走っていってしまう。
「丁度良い! 子龍、お前先に行って今日の宿を探して来い!」
 駆けて行く馬の背に、劉備は声をかける。
 分かりましたー、と趙雲が返して、やはり蹴られた足はなんともなかったらしく、もう一度馬の腹を蹴って、去っていく。
「そうですか、お歳ならばもう少し労わるべきでしたか」
 隣の男も、至極真面目な顔で呟くので、劉備はぎろり、とねめつけた。しかし、趙雲と違い諸葛亮は、蹴り飛ばしたら落馬しそうなのでやめておいた。
「お前があんな無茶なやり方をしなければ、これほど辛くはなかった」
 あの後も、劉備は気を失うまで極めさせられて、朝、腰に力が入らなくて起きられないほどだった。おかげで、許都を出るのが遅くなり、今は左手に長く伸びた自分たちの影が伸びる時刻になっている。
「ですから、申し上げたとおり、反省を促すためのものでしたから」
「そのわりには、お前結構本気で私を抱いていなかったか」
 反撃を試みる。
「あまりにも殿が善いお声で啼かれますので、つい」
 にこり、と微笑まれて倍返しだ。
「そうだなー、お前の泣き顔もなかなかのものだった」
 しかしへこたれずに痛烈に切り返す。
「……」
 痛いところを衝かれたのか、諸葛亮が黙り込んだ。ふふん、と勝利の余韻に浸っていると(大袈裟である)、ぶつぶつと呟く声が聞こえる。
「殿があのようなことを言い出すから。不覚です。それに私とて、あのような真似を殿にするつもりもなかったですし」
 どうやら拗ねたようだ。
 やはり童のような奴だ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいだろう」
 びしっと指を突きつけると、きっ、と諸葛亮がこちらを見やった。
「では申し上げますけども、私は本当に腹が立ったのですよ。よりにもよって私に曹操に仕えろ、などと言った貴方は無神経すぎる。その上女と……」
「それは謝っただろう。それに、私からも言わせてもらうが、お前とて、私と曹操が違う、などと仕える主に言うべきではないことを申したではないか」
 忘れようとしたが、やはり歯の奥に挟まった食べかすのように、劉備を苛ませていた。
「当たり前でしょう。殿と曹操が違うのは、当然ではありませんか。殿は決してあのような都は作れません」
 きっぱりと言い切る男に、劉備は許都を離れて流れていった、と思っていた澱がまだ漂っていたことに気付く。
「そんなことは私に任せてくださればよろしいのですよ」
 しかし続く言葉にさらり、と澱が洗い流されていく。
「なに?」
「殿には殿の理想とする天がおありでしょう。それがどんなものか、私に。いえ、貴方を慕っている全ての人に見せる責務がある。曹操とは違う。きっと貴方にしか描けない天の形がある。そう信じて従っている人々に、それを実現してみせる必要がある」
 そうでしょう?
 口元を綻ばせて、諸葛亮は言う。
「それに、曹操に会えて確信いたしました。やはり私はあの男には従えない。確かに貴方の言うとおり、惹かれるものは感じました。天を戴く器であることも言動の端々で察せました。ですけども、私はあの男の傍には立てない。なぜかは正直分かりません。それこそ、殿のお得意の感情論なのでしょう。ただ言えるのは」
 あそこは私の居場所ではない。
「私の居場所は、貴方の隣です、殿」
 微笑む諸葛亮の顔が、夕日に映えてどこまでも綺麗だ。なぜかひどく照れてしまい、直視できずに目を伏せる。
 澱がその清流に綺麗に流れていく。
「あのな、私が許都へ行きたかったのは、確認するためだ」
 誰にも言ったことがない。弟たちにも口に出して言ったことはないことを、劉備は素直に言葉にしようとしていた。
 それはたぶん、諸葛亮の紡ぐ言葉の柔らかさに押されて、方寸を解き放ってみたくなったからだ。
「曹操は、私にとって、良くも悪くも指標であるのだ。あやつが例えば火で天を治めようとするならば、私は水で。あやつが東を照らそうとするならば、私は西を。私と曹操が同じ天を目指す者同士だ、と理解したときから、あやつと同じ道は歩くまい、と決めた」
 だが、それは中々上手くはいかない。気が付けばこれほどまでに大きな差が生まれていた。
「荊州も同じだ。曹操は言っていただろう。わしならば、荊州を奪う、と。私と同じ立場なら、曹操は迷わず劉表殿からどんな形になるにせよ、手中へと収めようとする」
「曹操と同じことはしたくない、と?」
「そうだ」
 だから、諸葛亮の献策を聞いたとき、退けたのだ。そんなことは諸葛亮に言われる前から考えていた。だが、同時に思ったのは、これは曹操ならばやるであろう、ということだ。
「馬鹿馬鹿しいと思うだろう。何時までもこんな理屈で乱世を渡っていけるはずはない、と分かってはいる。それでも、私は曹操と同じ真似は出来ぬ」
 結局は諸葛亮の指摘するとおり、感情論だ。それでも、それは劉備の中の確かな指標の一つだ。
「それで、結論は出たのですか。答えを求めて許都へ行かれたのでしょう」
 しかし諸葛亮はただそう訊いた。
「出た。やはり荊州を奪うことは出来ん。曹操に会ったことは計算外であったが、あの言葉を聞いて、決心した。荊州を奪えぬのなら、他にどうやって天を掴むのかまだ分からぬが、他の方法を考える」
 もしかしたら、また放浪の旅に出るかもしれない。せっかくの安穏たる生活を手に入れている臣下たちを辛い旅へと誘うことになる。それが辛くて、決意が固まらなかった。
 だから、許都へ行って今一度己の指標を見つめ直そうとした。
「そうですか、それならば結構です。その方法を考えるのは私の役目ですから。殿は皆を導くことだけお考え下さい」
「反対せぬのか」
 諸葛亮の言葉に驚く。あれほどに荊州を、と熱弁を振るっていたのは諸葛亮であるはずだ。
「申したでしょう。私は貴方の天下が見たいのです。貴方がこうしたい、と思ったことに従います。その中から良策を見つけ出すのが私の責務です」
 諸葛亮から注がれる水流は、劉備の澱を、いま完全に洗い流す。
「ありがとう、孔明」
 その流れの快さに身を任せ、劉備は笑う。
 すると、諸葛亮は片手に持っていた羽扇で顔を隠してしまい、夕日を見やってしまう。その僅かに覗いている目許は、夕日に照らされてひどく真っ赤で。
 もしかして、照れているのを隠そうとしているのか。
 そうからかってやろうともしたが、今はやめておくことにした。
 なぜなら劉備も、もう少し、この快さに浸っていたかったからだ。
 二人の影が寄り添うように、地へと長く長く影を落としている。反対側へ目を飛ばせば、美しい夕日が空を赤く染めている。
 その柔らかさに目を細めながら、劉備は新野へ続く道を進むのだった。



 終幕





 あとがき

 ここまでありがとうございました!
 言絡繰りシリーズ、第二弾でした。いかがだったでしょうか。

 この話の最大のポイントはやはり曹操さま、になるのでしょうが、今まで(個人的に)鬼門であった趙雲を思い切ってたくさん書いてみた、というのも大きかったりします。
 これで弾みがついて、趙雲×劉備に手を出せた、というのもありますので。

 さて、ご存知の通り、まだまだ続くこのシリーズ。
 青臭い孔明がどうやって大人になっていくのか(笑)、オヤジな劉備とともに見守っていければいいな、と思います。

 では、同人誌で読まれていなかった、初めて読んだ、という方が楽しんでいただけたのなら、幸いです。
 このツンデレ軍師諸葛亮×オヤジ劉備のお話、追いかけてきてくだされば、なお幸いです。

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 08年5月25日 発行 「言絡繰り・弐〜劉備、視察に行き、諸葛亮を怒らせるも〜」
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 09年8月1日 サイト再録 加筆修正



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