「長江の川面 4」
 諸葛亮×劉備


 諸葛亮の部屋は暖を取り入れ、暖かかった。しかし、酒で火照った体を持て余している劉備にとっては、少しばかり暑い気がした。
 それが伝わったわけではあるまいし、なのになぜか諸葛亮は劉備の上着を素早く取り去ってしまった。
「諸葛亮?」
「孔明、と」
 やんわりと言い直しを迫られる。そしてまた一枚衣を取られてしまう。残りは薄布一枚となってしまった。さすがに寒さを感じ、微かに震えた劉備を、諸葛亮は寒ければこちらへ、となぜか寝台に導く。
「えー、孔明?」
 ようやく、劉備は何かがおかしいことに気付いたが、当然遅かった。
「外があのように寒くなければ、余程あそこでお教えしたかったのですが、致しかたありませんね」
 そう言って、諸葛亮は劉備を寝台へ静かに倒す。そして自らも布を一枚羽織るだけの姿となる。
 これは、もしかして私は相当の愚人ではないか? この状況、どう贔屓目に見ても、貞操の危機のような気がするのだが……。
 あくまで穏やかな笑みを崩さない諸葛亮だが、ようやく身に迫る危険を察知した、劉備玄徳その人は、ごくごく素直に尋ねてみた。
「なあ、孔明」
「何でしょうか、殿」
 するすると、諸葛亮の指先が衣の合わせ目に伸びるのを引きつった頬で見つつ、言った。
「そなた、私を抱くつもりか?」
「ええ、そうですけど?」
 不意に現れた臥龍の笑みに近い笑いに、劉備は迂闊にも情けない声を上げてしまう。
「な、なにい〜?」
「殿は、少し私に対して無防備すぎるようですね。こうも容易く捕らわれてしまうのですから。そこがまた放って置けなくさせるのですけど。ああ、でもご安心ください。体にお教えする、と申したのは真実ですから」
「安心できん!」
 もっともな意見を叫ぶ劉備だったが、全ては諸葛亮の手の上だった。
「……待ってくれ……っ」
 続けようとした事情を問う言葉は、裾を割った諸葛亮の手に詰まった。掌が太股を撫でこすっている。劉備に跨っている諸葛亮は、もう片方の手を胸の合わせ目に差し入れた。
「諸葛、亮っ……っ」
 反射的に身を竦め、拒絶を込めて名を呼ぶが、
「孔明です。それも御身にお教えして置かないといけないようですね。軍紀のことと言い、お教えする甲斐があるお方だ」
 と、にっこり笑われる始末だ。そして言うが早く、諸葛亮の指先が胸の頂を摘まみ上げ、太股を撫でている掌が内股を擦った。
「……っ」
 咽の奥で悲鳴だか喘ぎだか分からないものが竦んだ。大いに慌て、諸葛亮の体の下から抜け出ようとするが、どこがどういう力の加減なのか、抜け出せない。それどころか、暴れたせいで衣が肌蹴、素肌を眼下に晒してしまう。
「おや、私をお誘いになられるとは、殿も中々どうして」
 わざと言っておる、わざと言っておる、この男。
 少し泣きたくなってきた劉備だったが、そこは何とか堪えた。
「孔明、どうしてこのような……ひぁ」
 胸を弄る指が、劉備の声を跳ね上げさせる。その様を楽しそうに眺めながら、諸葛亮は言う。さながら、今日の天気の話でもするかのように、さらり、と。
「殿をお慕い申し上げていますから、男の性としては当然かと」
「慕う、とは?」
 意味は分かっているのだが、思わず聞き返す。
「意地悪なお方だ。私にはっきりと口に出させ、お聞きになりたいのですね」
 内股を撫でていた掌が、帯を解く。
 さらっと、諸葛亮の結い上げていない長い髪が劉備の頬をくすぐった。整った唇が耳朶を甘く挟みながら、囁きを送り込んでくる。
「初めて、私の庵を貴方が訪れた時より、胸を焦がしておりました。見初めてしまいました」
 三度、劉備は諸葛亮の草庵を訪れた。三度目、午睡を楽しんでいたらしい諸葛亮を、起こすに忍びない、と思い、劉備は庭で、起きるのをただ待っていた。
 秀麗な横顔だ、と思ったことを思い出す。
 そして幾ばくか過ぎた頃、小さな呻き声を上げ、若者は身を起こし、劉備に気付き、目を見開いた。何か、とても珍しいものでも見たかのように、ただじっと劉備を見つめていた。
 冴えた瞳に見つめられる心地良さとは別に、劉備の胸に微かな疼きが生まれたのも思い出した。
「あの、時から?」
 耳朶を舌先で舐められ、背筋を淡い熱さが駆けるのを身を竦めて受け止めながら、劉備は呟く。
「ええ。殿は、私のことをどうお想いですか? よろしければお聞かせ願えませんか」
 するり、と諸葛亮は身を起こし、あの時と同じ冴えた瞳で劉備を見下ろした。その瞳の輝きに戸惑いながら、劉備は言い淀んだ。
「私はそなたを……」
 不意に蘇った、諸葛亮が呉へ旅立ってからの日々。
 今まで、自分の傍にいることが当たり前だった諸葛亮の姿がどこにも居ない日々は、ひどく落ち着かなく、不安だった。それは、魚が生きるに必要な水が無くなったせいだ、と思っていた。
 だが、違うのかもしれない。
 張飛に何気なく言われた言葉を思い出す。

『兄者は、本当に諸葛亮が好きなんだな』

 どうして自分はあんなに狼狽したのか、ぼんやりと理解する。
 滔々と流れる長江の川面のように穏やかな笑みが、自分を見下ろしていた。
「孔明を、慕っておる、と思う」
 はっきりと言い切れない自分が少し情けないが、未だ自分の中で整理がつかないのだから、致し方ない。
 あの、初めて諸葛亮を見たとき感じた胸の疼きの答えがこれなのか、自信はない。ただ、組み敷かれても嫌悪を抱かない自分の今が、答えのような気もする。
「ありがとうございます。そのお言葉、この諸葛孔明、胸にしかと刻みました」
 長江が、陽の光を浴びて輝いた。
 その美しさに、劉備は心を奪われる。
 これを見られただけでも、言った甲斐があったのかも知れぬな。
 と、劉備は思ったのだが、それは後々、心から悔やむこととなる。
「では、遠慮なく」
 何? と劉備が思う間もなく、諸葛亮の唇が首筋に埋まってきた。諸葛亮の重みが全身を圧迫する。脚が太股に巻き付き、こする。胸をなぶる指が強く摘まみ上げ、捏ねた。帯を解いた手は、腰骨をつつっと撫でた。
「ちょ、ちょっと待て、孔明。だからと言ってこれは、その……ぅ、ん」
 巧みで隙のない愛撫に、一気に息が上がる劉備だったが、抗うことを忘れたわけではなかった。
 確かに、嫌悪を抱きはしていない。してはいないが、羞恥を覚えないかといえばそうではなく。躊躇いがないかといえばそうではない。
「私は約束を守る男です。お教えする、と申したものは、最後まで責任を持ちますので」
 再び顔を上げた諸葛亮に浮かんでいたのは、何とも楽しくて仕方がない、という笑みだった。
 その笑顔は、そう、張飛が劉備を息抜きに誘いに来たときの笑顔に良く似ていた。
 胸に唇が降り、伸ばされた舌が戯れるように頂を舐める。そうかと思えば、きつく吸い上げる。
 酒に酔った体のせいか、容易く翻弄されてしまい、抗議の声はいつしか甘い吐息へと変わっていた。
 指先が尖り始めた胸を転がし、押し込む。その横で、もう一つの尖りは口腔で甘く歯を立てられる。腰骨をこすっていた掌が、劉備の弱い部分を探ろうとばかりに、全身を撫でている。絡みついた脚は、時折思い付いたように欲の中心までを刺激した。
「こ、うめ……や、めっ……んっ」
 頬が熱い。覚めかけた酔いが、また全身を駆け巡っているかのようだった。
「素敵なお顔をなさる。私を惑わしてどうなさるおつもりですか」
 からかうように、諸葛亮は笑いながら小首を傾げる。
 この策士め、掌で転がしおって!
 悔しさのあまり涙目で諸葛亮を睨むが、全身を撫でていた手が下穿きの上から欲を掴んだので、瞳が泳いだ。咄嗟に口元を引き結ぶが、快感を引き出すように触られれば、ほどけてしまう。
「やめ、ろ、と言って……く、ぅん」
 ささやかに紡ぐ抗いは、すぐに喘ぎへと取って代わり、自分の濡れた声でさえ、熱を上げる役を買ってしまう。
 指先が緩く立ち上がり始めている中心を、根元から先端までするっと撫で上げては、下ろす。布地の上からのもどかしい愛撫は、しかし劉備の欲情を引き出すには充分だった。
「あっ、ぃ……」
 綻んだ口元から熱い息が零れるたび、劉備の体は熱を増し、溶けそうになる。
 胸の尖りを舌先が掠めると、下の欲を刺激されているせいか、さらに感じてしまう。
 仰け反って、背をしならせた。
 その舌先が、下へ向かった。
「あ、ぁんっ」
 鋭い声が出てしまった。舌先が布地の上から先端の敏感な部分を突付いたのだ。そのまま唇が括れを挟み、扱いた。
「こうめ、いっ……は、あっ」
 すでに劉備の中心は布地を押し上げ、形を露わにしていた。
「苦しそうですね、ここ。いかがなさいますか? お取りしましょうか」
 息を吹き掛けながら、諸葛亮は笑いを滲ませる。
 ううぅ、意地が悪いぞ、この軍師。
 非難を込めて、雫の溜まった目でじっと諸葛亮を睨む。するとなぜか諸葛亮は笑みを刻んだ目元をさらに深くした。
「そのような目をなさらないでいただけますか? もっとご教授したくなってしまいます」
 教授?
 聞き返そうとしたが、聞き返すと恐ろしい答えが待っていそうで、呑み込んだ。
「ですが本日は初めてですし、あまり根を詰めないでおきましょう。まだまだ、お教えしなくてはいけないことは山ほどありますし」
 根を詰める、とはこのような時に使う言葉であったか?
 と、思うが、また口にしないでおいた。
 下穿きが取られ、外気に晒された中心は身を震わした。その感覚に劉備は吐息を零すが、すぐに息が詰まった。冷えた空気に触れたそれは、暖かい粘膜に包まれたからだ。
「ぃいっ、んぁっ……や、ぁ」
 大きく胸が脈打ち、中心も硬さを増した。熱くたぎるものが全身を突き上げる。
 中心は諸葛亮の口腔へ咥えられていた。
「孔……あ、あぁっ」
 字を呼ぶ言葉すら激しい欲の熱さに途切れ、嬌声へ移ろっていく。
 諸葛亮の口元から水音が零れる様が、劉備を苛ます。舌と上顎に挟まれ強く吸われると、眩暈すら起きる。涙で歪んだ視界が真っ赤に見えた。
 つま先が寝台の布を掴み、また離す。波は次第に高くなり、劉備を持ち上げていく。
「もう、離してく、れ……っふ、ぁあっ」
 手が、寝具の布地をきつく握る。激しく身悶える劉備の動きに合わせて寝台が軋んだ。
 諸葛亮が劉備の欲を飲み干したのは、それからしばらく経ってからだった。
「ぁはっ、は、はぁ……」
 吐精の余韻で潤んだ瞳で、劉備は諸葛亮が口元に残った欲情の跡を舐め取るのを目にした。
「そなた〜」
 泣きそうな声でその行いを咎めるが、穏やかな笑顔で、
「おや、何かご不満でも?」
 と、屈託なく返されて二の句が継げなくなる。
 低く唸る主に構わず、忠実なる臣下は、その脚を持ち上げて、主の奥底にひそむ蕾を露わにしてしまう。そこへ悪戯に息を吹き掛けられると、劉備の意思とは関係なく、小さく息づいた。
「ちょっと待て、孔明。まさかそなた……」
 あられもない格好に、おおよその見当は付いたが、それでも確認のために問うてみる。
「失礼いたします」
 全然、失礼そうではないぞ!
 と、劉備が諸葛亮の笑みに対して言い返そうとしたが、舌先が蕾を舐めたため、咽で潰れた。
「ひ、あっ……あっ」
 眉間をきつく寄せて、引きつれた声を上げる。背筋を侵すむず痒いような疼きと、舌が這う蕾からの甘い熱が容赦なく襲った。
 揺れる視界に、秘奥を舐めながら自分を見つめている諸葛亮と視線が合う。嬉しそうに目が細くなる様を見て、余計に熱が上がった。
「う、んんっ……やめっ」
 舌先が蕾を割り、内に潜り込んだ。
 ぞくり、と未知の感覚が劉備の身内を貫き、腰骨を痺れさした。堪らず鋭く声を上げた。濡れて震えた声は甲高く、否が応でも劉備に慙愧を送り返す。
 羞恥に身を焦がしながらも、もう劉備は抵抗を放棄していた。ただ、この熱く渦巻く濁流を何とかしてほしかった。
 萎えていた中心は、内を刺激する諸葛亮の舌で硬さを保ち始め、胸の飾りは赤く染まり、尖りきっていた。
「も、孔明っ……や、ぁあっ」
 ゆるく首を左右に振り、これ以上の愛撫を拒絶する。これ以上やられたら、あらぬことすら叫びそうだった。
「殿は、私にどうしてほしいのですか?」
「な、に?」
 霞の掛かった頭に、諸葛亮の伺いはすぐに届かなかった。舌を抜かれ喪失感に身震いしつつ、問い返した。
「私は万能ではありません。殿がしてほしいことをおっしゃってくれないと、この先には進めません」
 嘘を吐くな、と叫びそうになる。この聡い男が劉備の望むことが分からないはずがない。特にこのような状況ならば尚のことだ。
 しかし、諸葛亮の目は、劉備が口にするまで何も致しません、とばかりに澄ましている。
 口を何度か開け閉めして、劉備は逡巡する。促すように、諸葛亮の長い指が解された蕾へ潜り込み、中をやわやわと刺激する。
 舌よりも確かな感触に息が詰まる。しかし散々に濡らされた中は指を深く銜え込み、あろうことか喜ぶように収縮する。
「抜けっ」
 堪らず叫ぶが、おや、と諸葛亮の口元が緩んだ。
「これでも、でしょうか?」
 一点を突かれた。
「――っひ……っ?」
 眩暈がして、体が跳ねた。続けざまに指は内側の一点をこすってくる。
 あられもない声が口から溢れて、止められない。
 なんだ、これは……、やめろ……いやだ!
 途方もない快感に拒絶する心とは反対に、体の熱は耐えられないほど上がり、中心は痛いぐらいに張り詰めていく。
「やっ……こ、めい、やめ、ろ……ぁあ、んん」
 悶えて訴えると、不意に指が引いていった。
 咽からか細い息が零れた。入り口辺りでとどまっている指に安堵しているはずなのに、体の奥がひどく疼いた。
 物足りない刺激に、男など受け入れたことがないはずなのに、その先に待つ何かを望むように、指が届かぬ奥が戦慄いていた。
「殿? どうして欲しいのです」
 策士の最後の罠が囁かれた。
 ああ、もう敵わぬ。
 きつく瞼を落とし、蚊の鳴くような声で告げる。
「孔明が、欲しいのだ」
 口にして、激しい廉恥が襲うが、後には退けなかった。
「御意に」
 喜悦を滲ませ短く答えた諸葛亮は、指を引き抜いて、下穿きを取ったようだ。瞑った視界には何も見えないが、気配で伝わる。
 太股に、熱い何かが当たる。その熱さと硬さに、恐らく諸葛亮の猛りだと分かり、劉備は体を硬くする。
「殿、お力を抜いてください。抜かないと、痛みますよ」
 優しく諭され、劉備は恐々と全身から力を抜く。脚を持ち上げられたままの、やや窮屈な姿勢だったが、すりっと熱い猛りが蕾をこすり上げる様子が、はっきりと感じ取れた。
 切っ先が、内を割った。舌や指で散々にほぐされたせいなのか、諸葛亮が脅すほどには痛みはなかった。だが、圧迫感に顔を歪ませた。
「殿、もう少し辛抱してください」
 柔らかな声に励まされ、劉備は小さく頷く。
「本当に、素直でいらっしゃる」
 またしてもこぼれた笑いに、劉備は頬を染める。
 うう、人が抵抗出来ないのをいい事に、としくしくと心で泣く劉備だった。
「あ、あぁ、んっ……」
 潜り込む熱い楔に、掠れた声が漏れる。楔が全て埋め込まれると、劉備は長い息を吐いて、瞑っていた目を開いた。
 こちらを見ていたらしい諸葛亮と目が合い、にっこりと微笑まれる。普段通りの笑みに、照れ臭さと僅かな口惜しさを感じ、目を伏せてしまう。
 それも、動きだした諸葛亮に掛かれば、劉備の矜持など流されてしまう。熱い切っ先は、内に潜んだ甘いしこりを探し当て、突いてくる。
「孔、明……んんっあっ、はっ」
 思う様に内を掻き乱す楔に、劉備は喘ぎを抑え込めない。再び濁流が劉備を襲おうとしていた。
 うまく継げない息のせいで、呼吸が荒くなる。内のしこりを突く楔が全身を快楽の淵へ突き落としていく。目の端から涙が零れ落ち、こめかみを濡らした。
 それを、身を屈めた諸葛亮が舌で掬い、唇を合わせてきた。少しばかり塩辛い唇は、舌が絡んだ途端に甘くなる。
「ん、ふぅっ。……うんっふっ」
 くぐもった声で劉備は喘ぐ。苦しくなる頃を見計らったように、諸葛亮は唇を離す。自分を濁流に飲み込んでいく男の顔を捉え、思う。
 ああ、やはり秀麗な顔だな、と。
 長江の濁流は、劉備をどこまでも運んでいった。



 暖のための木炭が赤さを失う頃、ようやく劉備は諸葛亮に解放された。
 だ、誰が初めてだから根を詰めないでおきましょう、だ。私とそなたの歳の差を考慮しておいてもらいたい。
 体中の関節が悲鳴を上げる中、劉備は自室の寝台の上でぐったりとしていた。
 外は冬らしくない程の暖かさを持ち、輝いていた。
 くっ、このような体でなければ、執務もさぼって翼徳辺りと遠乗りでも行きたいものだ。
 と、不真面目なことを考えていると、悪事の片棒を担ぐはずだった男が入ってきた。
「あーにーじゃ。どうだ、調子は?」
 なぜか妙に楽しそうに、張飛は尋ねてきた。
「翼徳、見ての通りだ。どうにもこうにも言うことをきかぬ。せっかくお前と遠乗りでもしようと考えておったのに」
「ははっ、そいつあ残念だ。でも、昨日は軍師殿と散々やりあったんだろ? そろそろ満足して仕事でもしないとな」
「や、やりあったっ?」
 声が裏返った。
 一応、この劉備の状態は二日酔いから来る体調不良、ということになっている。それをやりあったと言われると……。
「ああ、だから諸葛亮の部屋で、酒の飲み比べ」
 ニヤニヤしながら言われ、ああ、と胸を撫で下ろし、笑顔で頷いた。
「さっきそこですれ違った諸葛亮が、嬉しそうに言ってたぜ。兄者はいくらやっても、もっとってねだって凄かったって」
「馬鹿を申す、な〜」
 叫ぼうとして立ち上がり、力が入らなくなった声と共に寝台にへたり込む。体にも力が入らない。
 あの淫乱軍師が〜。紛らわしい言い方をしおって! そうさせたのはそなただろ!
 ギリギリと歯軋りをするものの、確かに最後のほうは快楽に流されてそんなことを口走った記憶が残っているので、顔が赤くなる。
「それと、やりあうのに夢中で軍紀の話が出来なかったから、調子が戻ったら、もう一度お教えしますよって言ってたな」
 ま、まさかあのような事をまたする気か?
 衝撃を受けて押し黙る劉備に、張飛は豪快に笑う。
「まあ、兄者もさ、色々大変だけどよ。俺はいつでも兄者の味方だぜ。な!」
 ばしん、と張飛に肩を叩かれ、劉備は心強い弟に縋り付いた。
「翼徳ぅ……」

 それをよしよし、と宥める。そして張飛は顎鬚を掻きつつ、先程の諸葛亮の部屋でのやりとりを思い出していた。
「ご協力、感謝いたしますよ、張飛殿。お約束の品はお部屋の方に運ばせておきましたので、どうぞ味わいください」
 輝かんばかりの肌をした諸葛亮が、珍しく満面の笑みでいるので、上手くことが運んだことを察する。
「呉の酒の中でも群を抜いて美味と呼ばれる酒を選んで参りましたから。きっと気に入ると思いますよ」
「へへ、そいつは嬉しいな」
 美酒の予感に頬を緩める張飛だったが、気になることを聞いてみた。
「それで、兄者は気付いたのか、自分の気持ちに」
「どうでしょうねえ。まだ自信なさげでしたから。ですがこれから時間を掛けてご理解いただくことに致しますので。また何かありましたら、よろしくお願いいたします」
 羽扇で口元を隠した軍師は、頭を下げた。
「まあ、兄者は鈍いところがあるからな。それにどうも抜けているし。気長に待つこった」
「ええ、はなからそのつもりですので。ですが、意外でした。貴方が手伝いを申し出てくれるなんて」
 張飛はいち早く諸葛亮の劉備への気持ちに気付き、味方になるぜ、と声を掛けたのだ。その敏さに諸葛亮は驚いたようだが、受け入れた。
 諸葛亮が呉へ遠征に行く間、劉備の傍にいて落ち込まないようにすること。そして、そんな劉備の様子を報告すること。協力の暁には、美味い酒を奢ること。
 それが張飛と諸葛亮の密約だった。
「そうか? 俺は何時でも兄者を想ってるぜ。だから、兄者が諸葛亮を好きなくせに、全然それに気付かないこともすぐ分かったし。くっ付けたくなるわけよ。それにあんたが居なくなれば兄者が落ち込むのは目に見えていたしな。弟としてはそんな兄者は見たくなかったし。一石二鳥だろ? いや、俺は美味い酒が飲めるから一石三鳥か」
「なるほど。もしかしたら、張飛殿。貴方は策士の才能があるのかも知れませんね。何時か、その才が役立つ日が来るやも知れません」
 うーん、と稀代の軍師は唸った。
「演技力も中々おありだ。帰る船で打ち合わせ済みだったとはいえ、あの関羽殿の死罪を宣告したときに、貴方の殺気」
 本当に殺されるかと思いました。
「はは、まああれは半ば本気だからな」
「そ、そうですか」
 僅かに引きつった顔になった諸葛亮に、張飛はにんまり笑ってみせた。

 そんな珍しい軍師の姿を思い出しつつ、張飛は劉備の肩を叩きながら、宥め続けた。
 俺が策士ねえ。ちょっと想像出来ねえなあ。
 そんなことを思いつつ、張飛は窓から見える長江の流れに目をやる。
 今日も穏やかに河は流れ、川面を煌めかせている。
 張飛が策士の才能を披露するのは、もう少し後、劉備が蜀を手に入れるための大事な戦のときである。
 そんなことはまだこの時の張飛は知らない。
 ただ、輝く長江の川面に目を細めただけだった。



 おわり



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