「天下の 蒼天航路 関羽×劉備 |
【起】 身を起こした。 しかも、あの時の「悪夢」だ。 義兄の劉備を犯した過去を、久しぶりに夢に見た。 ――関さん、なんで。 今なら分かるような気がする。劉備の問いかけに答えられるだろう。しかし、すでに「あの時」のことは二人の間で無かったことにした過去である。今さら蒸し返すことを、関羽はもちろん、劉備とてしないだろう。 頑丈さが取柄の劉備だったが、さすがにあの後丸一日身動きが取れなかった。 『関さんがおいらのことこうしたんだから、面倒みやがれ!』 と喚いたことで、引きずることなくそれきりの話になった。それでも、張飛はしばらく胡乱な目付きで二人を見ていたし、劉備も関羽へ対する態度はぎごちなかった。張本人の関羽だけが、あの衝動も忘れて淡々と過ごしていた。 ただそれは忘れただけで、時たま関羽を襲ってきた。 しかし、再び劉備を犯す、という行為まで発展することはなく、辛うじて内側に抑え込み、やり過ごしていた。そうするうちに、衝動は日々の一環であるように循環し、関羽の中に当たり前のように存在する気性となった。 だからだろう。関羽もあえてあの時の答えを見つけよう、という気にはならなかった。 ところが、ひょんなことから答えは思わぬ人間から投げ付けられ、掲示されることになる。 曹操だ。 徐州を曹操より奪い取った劉備は遁走し、残された関羽は曹操に降った。劉備の息子、 好きなように使え、と啖呵をきった。それゆえに、袁紹との戦に指揮官として召しだされたときも粛々と従った。 しかし。 「劉備を殺せ」 大器だ、と関羽が捉える劉備にさえ、「曹操どんはでっかくてさぁ」と言わしめる男が、次に劉備が戦場に現れたなら、亡き者にせよ、と命じた。 俺に長兄を弑(しい)せよ、と言うたか。 「私があなたの命に従うのは、公徳殿という人質がいるせいだ。劉備を殺せとは、人質を超えた命であろう」 出来ぬことだ、と反論したが、曹操は馬を操りながら講じる。 「お前の器量を超えてはおるまい!」 視線は一瞥たりとも関羽に向けられないが、強い威圧を曹操は立ち上らせていた。 「お前は、劉備より上だ」 「――!」 忘れていた「あの衝動」が関羽の下腹に生まれた。 「俺は関羽雲長という男のために、ふたつの装束を用意した。そのひとつが敵を一瞬にして恐怖に陥れるあの鬼面の将であり、もうひとつが、万民に恐れ敬われる厳格なる為政者の装束だ」 衝動が火にくべた栗のように弾けそうだった。 「関羽! 将としての才を絞り尽くし、乱世を一刻でも早く鎮めてしまえ! その後は政(まつりごと)だ!」 楽しそうに語る曹操の背を見つめながら、猛る衝動に息が荒ぶる。 為政者だとっ? この関羽の中に人を統べる才を見いだしたとでもいうのか! あえりえぬことだ! 曹操孟徳、佞言を 衝動は曹操への怒りに摩り替わった。追いかけてくる文醜の軍へ怒りのままに切りかかった。幾度も軍を細切れにし、文醜を試すかのように惑わす。そのうちの一隊を率いた関羽は、追い縋ってきた兵たちをひたすら斬った。 斬って斬って斬り捨て、不意に「答え」が目の前に転がってきた。 途端に湧き起こった感情に、刃先は正直に答えた。 それは恐怖であった。 ただ命を奪う行為に変わり、叩き潰し、捻り潰し、殺した。敵も味方も関係ない。殺戮だった。 そうやって、幾里駆けたであろうか。 そのような才は一顧だにしなかったというのに、関羽の中で今は鋭くきらめき、大きくゆらぐ。 人を統べる才、そして見つけることをしなかった答えが一致する。 腹が減り、食えるものを探して食べる。眠くなったら寝る。 生きるためだけの行為が辛かった、苦しかった。 ひたすら歩ませていたせいか、馬は疲れ果て、倒れた。偃月刀を振るい、命を啜った。 草の上で寝転がり、雨が降り、雷が鳴る中で、ただ大地に身を預けていた。 そして、夢を見た。 もう認めるべきであろう。 夢を見た、ということはきっとそういうことだ。 ――劉備より上だ。 言い切った曹操の言葉をまともに受け取ることなどできないが、答えは半ば肯定している。 俺は、長兄の――劉備の嚢に収まっていることが厭だった。 それが苛立ちになり現われ、衝動となり、嚢である劉備を犯し、壊そうとした。 目の前に転がってきた答えは、いとも簡単なものであった。 小刻みに身体が震えていた。 恐いのだ。 劉備と、世を変えるのはこういう男であろう、と義を結んだ。それを裏切る、ということは、関羽の芯である侠者としての核を含め、すべて否定することになる。兵をいくら斬っても消えることのなかった恐怖が、再び関羽を包む。 だがそれは同時に、新しい世に生まれることのできる武者震いでもあった。 赤子は母の胎内より産まれしとき泣くのは、苦しい世に産み出されたことを悲しむからだ、と言う者がいる。いや違う、嬉しいから泣くのだ、ともちろん反論する者もいる。 今の関羽ならば、両方だ、と答える。 吼えた。 世に生まれたことを大声で知らしめる赤子のように、関羽は立ち上がり、空へと咆哮した。 びりびりと大気は震え、声は近くの |
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