「琥珀と橙の賭け 4」
 無双5準拠
関羽×劉備(曹操×劉備含む)



 曹操の腕の中で、劉備はうつらうつら、と心地良い疲労感と眠気に誘われて瞼を蕩けさせていたが、曹操が起き上がったために目を擦った。
「朝まで居たいが、そうも言えぬのでな」
 戻って、誰ぞ起こしに来るまでに寝所にいないと不味いのだ、と曹操は笑って身支度を整え始める。
「明日は、ゆっくり休んでいて良いぞ。身体が言う事を利かぬだろう」
「貴方が無茶をなさるから」
 曹操の気遣いがくすぐったく、言い返してみる。
「あれでも、加減したつもりじゃ」
 真顔で返されて、言葉に詰まった。
「儂がその気になれば、お主など気を失うぞ」
「それはそれは、大層な御自信がおありなのですね」
 嫌味ったらしく言ってやると、急に曹操は不安そうな顔になる。
「善く、なかったか?」
 ……どうしてこの人は時々無性に可愛いところを見せるのだろうか。
「いえ……」
 そうか、と破顔する顔がまた普段とは比べようもなく締りなく、嬉しそうなのが劉備の胸裏を優しく撫でていく。
 曹操を見送ろうと起き上がりかけるが、腰に鈍い痛みが走って呻いた。良い良い、と笑って止められてしまった。確かにこれは明日起き上がれそうにないかもしれない。どうやって関羽たちに説明したものか、と悩みながら、ふと思い出す。
「そういえば、曹操殿。どうやってここへ入ってきたのか、教えてくれるのでは?」
 ああ、と曹操は頷いて、部屋の角へと歩いていく。コンコン、と軽く壁を叩くとどういう仕組みか、壁の一部がずれ、入り口が現れた。思わぬ仕掛け扉に目を見開く劉備に、悪戯小僧の顔そのもので曹操がにたり、と笑った。
「何かあったときは、ここを使って逃げると良い」
「……ねえ、曹操殿、そういえばこの屋敷を使え、と言ったとき、やけに私にこの部屋を使え、と勧めましたよね」
 もしかして端からそういう用途で使うために宛がったのでは、と疑ったが、今度は曹操の返事はなく、手を振りながら壁の中へと消えていった。
 あの人は、と苦笑しながらも、恐らくあの出入り口を塞ぐようなことをしないだろう、と考えている自分が居て、どうやら実験の第一段階は曹操の思惑通り、と言ったところだった。
 事実それからも、お互いに仕掛け扉を使って忍び込んだり抜け出したりを繰り返しながら、秘密の賭け、実験は続けられた。
 不思議と、関羽達に隠し事をしている、という罪悪感はなかった。元々話せる内容ではない、ということもあるが、曹操と自分だけの秘密がある、という事実が楽しかった。
 ところがある日、許都での滞在も長くなってきた頃だ。張飛が珍しくも深刻な顔をして、辺りを憚(はばか)るように劉備に相談事を持ちかけてきた。
「関兄(かんにい)と、兄者最近話してるか?」
 強面の太い眉と虎のような鬚を生やしているわりに、この末の弟は愛らしい表情をする。ぐりぐりと良く動く目玉なのか、飾らない口調なのか、劉備は張飛の前では誰でもない劉玄徳で居られる気になる。
「そういえば、あまりこれと言ってしてない気がする」
「それどころかよ、俺、関兄の姿すらあんまり見てないんだけど」
 言われてみれば、と劉備は気付く。末の弟と同じように傍にいることが当たり前で、時に居ても居なくても感じないときがあるほどだ。
「別にそれだけなんだけどさ、なんか気になって」
 がしがし、と張飛が頭を掻くと、頭の上で結んである髪がゆさゆさと揺れた。
 何かがおかしいとか、具体的ではなく、張飛特有の勘らしかった。勘にしては張飛の顔はやはり深刻で、安心させるためにも肩を叩いた。
「分かった、私も今度ちょっと話してみる」
「ん、どうも俺だと上手く話せねえから」
「そんなことはないと思うけどな。私はお前と話すのは大好きだぞ?」
「……そう言ってくれるのは兄者ぐらいだよ」
 唇を尖らせて不満そうに、張飛は大きな体をちぢ込ませた。まだ何か言いたそうな張飛に、どうした、と促した。
「あのーさ、あとさ……兄者は、いつまでここに居るつもりだ?」
 ついに訊かれたか、と劉備は思った。むしろ関羽ではなく張飛に先に訊かれたことが不思議なぐらいだ。どうやら関羽のことは話のきっかけで、本題はこちらだったようだ。深刻さが増した張飛の顔で察した。
「去るきっかけが掴めないのだ」
 半分本当で、半分嘘の言葉を紡ぐ。久しぶりに罪悪感を覚えた。
「それは分かるけどよ。初めは、兄者もっと出て行きたそうにしてたのに、なんかここ最近、楽しそうでずっとここに居るつもりなのかなって見える」
「楽しそうか?」
 ああ、と張飛は頷く。
「俺は、兄者の大義と関兄が一緒に行くって話が面白そうだって理由で義兄弟になったけどよ、それでもそれは今となっちゃ、俺の……大義、とかいうとそんな大層なもんじゃねえけど、今のところの俺の目標みたいなもんだ」
 兄者や関兄みたいにあれこれ考えるのは得意じゃねえけど、と言いながら、張飛は劉備を見下ろした。
「でも、ここに居るとなんか違うって気がする。俺、楽しくねえもん。少なくとも、ここへ来るまでは楽しかった。黄巾賊をぶっ潰したってのに大して偉くなれなくても、呂布の野郎に城を奪われたりして腸(はらわた)煮えくり返ったりしたけども、俺は結構楽しかった」
「翼徳……」
「もしも……もしもだ」
 何でもすぐ口にする張飛にしては、随分と間が空いた。
「…………兄者がここが楽しくて、ずっとここに居るってんなら、俺、少し旅に出てもいいか?」
 目を見開いた。仰天した。何を言い出したのだろう、と呆然と張飛を見上げる。しかし良く動く目はじっと劉備を見据えたまま動かない。
「兄弟じゃなくなるってんじゃなくて、兄者に何かあったらすぐに駆け付けるけどよ、今のままここに居たって、俺はつまらないんだ。どうせ、関兄だけは絶対に何があっても兄者の傍から離れねえだろうから、そっちは大丈夫だろうし」
「だからって翼徳、お前が居なければ」
「だってよ、これは嫌味でもなくて皮肉でもねえ。曹操んところにはすげえ武将がたくさんいる。もしも兄者がずっと曹操んところに居るってんなら、俺一人ぐらい居なくても問題ないだろう?」
「問題ある! お前は私にとって、優れたる武将という価値じゃない。血は繋がらなくとも兄弟だ。家族だ。離れていくなどと、寂しいではないか!」
「兄弟だって家族だって、いつかは別れるときが来るだろうぜ」
「そうかもしれないが、私とお前達とは」
「何も、すぐに出て行くってわけじゃないし、俺が出て行く前に状況が変わるかも知れねえだろう? 黙って出て行くことは絶対にしねえよ。だから泣くなよ、見っとも無い。あんた、俺達の大将だろう?」
 出会ったばかりの頃から変わらない張飛の口調、時々外れる兄の呼称も何も変わらないのに、男は自分から離れようとする。知らずに流れていた涙を急いで拭っても、後から後から涙は溢れた。
「どんだけ離れてたって、どこに居たって、俺たちは兄弟だぜ?」
「分かってる、分かってるが……」
「ああ、ほら、関兄だ。あんたが困ると絶対にどこからか顔出すよな。もういいから泣き止んで、関兄と話してやってくれ」
 まるで泣いている劉備を関羽へ押し付けるようにして、張飛は急いで去っていく。屋敷の片隅で一人立ち尽くす劉備に、関羽が真っ直ぐ歩み寄ってくる。
「兄者、少々お話が……兄者?」
 急いで目を擦ったものの、流れに流れていた涙の跡を隠し切れるはずもなく、すぐに関羽に見咎められた。
「お前達は揃いも揃って私に相談か?」
 笑って誤魔化そうとしたが、関羽の問う眼差しに笑顔は強張った。
「何があったのです? まさか翼徳に何かされたわけではありませぬでしょう。……曹操殿ですか」
 関羽からも劉備が張飛と話していた所は見えていたらしい。初めに張飛の名を出したものの、すぐに否定し、思わぬ名を出してきた。
「なぜそうなるのだ」
 今度こそ、笑顔を作った。
「曹操殿は関係ない」
「しかし、ではなぜ」
 迷ったが、話して関羽にも止めてもらおう、と考えた。
「翼徳が、ここに私が留まるつもりなら自分は必要ないし、つまらないから旅に出る、と言い出して、それが寂しくてつい……」
「翼徳がそのような」
 さしもの関羽も驚きを露わにして口を閉ざした。
「お前からも止めてくれ、雲長。我らは固い絆で結ばれた兄弟ではないか。離れ離れになるなど、ましてや自らの意思で離れていくなどと」
「兄者」
 遮られた。厳しい声だった。
「自らの意思だからこそ、止められぬのではないのですか。翼徳は思ったことをすぐに顔や言葉に出す奴ですが、だからこそそこに偽りが混じっていない。あいつが旅に出たい、と思ったということは、相応に腹に溜まるものがあった、ということ。察してやることもまた兄弟ではないのですか」
 心臓が嫌な音を立てて軋む。目の前が歪んでいくのを必死で堪える。見っとも無い、という張飛の言葉に辛うじて劉備の何かが踏みとどまっていた。
「では、雲長は、止めない、のか」
 切れ切れに言い、確認する。
「翼徳が決めた、というのなら、拙者は止めませぬ」
「雲長!」
 悲鳴混じりの声を上げた。非難するように、どん、と関羽の厚い胸板を叩いた。どん、と再度叩き、叩いた拳を開いて関羽の衣を掴んだ。縋り付くように身を預けて、泣くものか、と奥歯を噛み締める。
 背中に関羽の腕が回り、温かい胸の中に閉じ込められても、涙を流さなかった。ただ一言、告げた。
「ここを、去ろう」
 御意、と短い関羽の返事が、腕を通して聞こえた。



 その日の夜、劉備は曹操と会うことになっていた。曹操の私邸を訪れて顔を合わせてすぐ、曹操は劉備の様子が違うことに気付いたらしい。どうした、と問いかけながら、酒を勧めてきた。盃には口を付けずに劉備は迷いが生じないうちに、と口を開いた。
「そろそろ辞去させていただこうと思います」
 自分の盃に注ぎ入れていた曹操の酒瓶を持つ手が止まった。そっと酒瓶を卓上に置き、劉備を見やった。
「随分と急だな。……関羽にでも何か言われたか」
「雲長と同じことを言いますね」
 劉備が感情を動かすときは、関羽か曹操だと決まっているのだろうか。どうも少なくとも二人にはそう思われているらしい。
「雲長が原因ではありません。私の意思です」
「そうか?」
「もう一人の弟から我が侭を言われて。兄としては答えてやりたくなりました」
 思わず、劉備は笑っていた。
「張飛か。これは思わぬ伏兵じゃの」
「曹操殿、お世話になりました」
 頭を下げ、退室を願い出る。
「随分とあっさりと去ろうとするの。つまり、お主とこうして酒を飲み交わせるのも最後になる、ということだろう。もう少しゆっくりしていけ」
 引き止める曹操に、劉備は逡巡する。曹操と時を長くして離れがたくなる、という心配は不思議となかったが、あまり長く留まれば、関羽が心配するだろう。今夜は、許都を出ることを伝えたらすぐに帰る、と言ってある。
「第一、何の理由も無しにいきなりお主がここを出て行ったら心証が悪くなるぞ? 行く当てもあるのか」
「ありません」
「では少し座れ。その辺りのことを打ち合わせておこう」
 頷いて、曹操の前に腰を下ろした。体を初めて重ねたときからすでに劉備は、曹操に心を許していた。己の大義も歩む先も未だにこの男と共にあるのか分かりかねていたが、人として大きな魅力を持つ曹操に惹かれている自分を認めていた。
 そんな曹操と別れがたいことは事実だが、昼間の出来事で劉備にとって何が大切なのか嫌というほど悟ってしまったのだ。
 張飛や関羽とのやり取りを曹操に話して聞かせながら、劉備は改めて感じた。
「張飛という男は実に得をしておる。末っ子という存在が厄介なのは、妙才で儂も知っておったがなあ」
 曹操も苦笑している。
「それに付けても、関羽という男の器じゃの」
 目を輝かせる曹操は、劉備を諭した関羽の言葉にいたく感心している。思わず、劉備はぼそり、と呟いた。
「どうせ、私は目先のことしか見えぬ狭量(きょうりょう)ですから」
「卑下するな、劉備。お主の情に篤いところは魅力の一つであろう? 大の男が、弟がちょっと旅に出る、と聞いただけで取り乱して泣き出すなど、可愛いではないか」
「取り乱したとも泣いたとも言っておりません!」
 不名誉なところは省いて話したというのに、曹操はまるで見ていたかのように言い当てる。
「てっきりそうじゃと思ったのだが。目も赤いし」
 覗き込まれて、慌てて目を擦る。そんなはずありません、と否定して、曹操のかま掛けだと気付いた。くっくっく、と楽しげに体を揺すって笑う曹操を睨み付ける。
「やはり、関羽をくれぬか、劉備」
「何ですか、突然」
「今の話を聞いて、痛烈に思ったのじゃ」
「その話は随分昔にきっぱりお断りしたはずですが」
「儂はしつこいのだ。関羽だけ差し出すのが嫌なら、お主も一緒で構わん」
「私はついでですか」
「妬くな妬くな」
「誰が妬いてなど!」
「では、お主が欲しい」
 どきり、と胸が高鳴った。
「お主が欲しい、劉備。儂はしつこいぞ。お主と関羽、両方欲しい。だから、二人で儂の下へ来い。もう賭けは関係ない」
「戯言を……」
「本気だ」
「いつものように私をからかっておられるのでしょう」
「いいや、違う」
 咽が渇いてきて、酒を流し込んだ。
「ではこうしよう。また、儂と賭けをする」
「……どのような」
「儂が関羽を懐柔できるかどうか、じゃ。何せ伏兵により儂とお主の賭けはご破算になってしまったからの。もう一度、しよう。張飛が旅に出ず、そして賭けの続きにも当たる、中々良い策じゃぞ」
「聞くだけ聞きましょう」
 曹操の提案は、袁術の討伐を劉備に任せる、というものだった。しかしいきなり劉備に任せても、曹操の近臣達が煩い。だからまず、曹操が劉備に袁術という男の存在を話して聞かせる。それを聞いた劉備が義憤に駆られて討伐を申し入れる。ただ兵をそのまま貸し与えてはやはり周りが黙ってはいないだろう。
「そこで儂が条件を出す。関羽を置いていけ、という。関羽を儂に預ける代わりに、お主に兵を貸す、と約束させる」
「私から雲長を遠ざける気ですか」
「寂しいか」
「……そのような条件、雲長が呑まないかもしれません」
「呑む」
 断言した。
「お主の為だったらあの男は己の身を差し出すぐらい、何とも思わぬ」
 そういう男だろう、関雲長という男は、と曹操の眼差しが雄弁に語っている。久しぶりに、劉備は曹操の眼差しを苦手だと感じた。
「お主が戻ってくるまでに、関羽を口説けたら儂の勝ち。口説き落とせなければ儂が全力を持って臣達を抑える。どこへでも行けば良いし、袁術を無事に倒せたのなら領地をお主が貰い受けても良い」
「翼徳はどうなります」
「口説けた場合は、定期的に儂が戦に出すようにする。そうすればつまらない、などと言ってられぬだろう。口説けなかった場合は、今までと変わらない。あの男はお前の傍を離れないはずだ」
「そう簡単にいきますか」
 定期的に戦に出すことで張飛が納得するだろうか。
「それは、儂が関羽を口説き落とせる、と思っているということか?」
「そういうわけではありませんが」
「お主の、最大の瑕瑾(かきん)(欠点)を言ってやろうか、劉備よ」
 苦手な曹操の瞳が見据えている。
「己の得が絡んでくると、途端に優柔不断になるところじゃ。損になるときはすぐに察し迅速に動けるが、得が絡むと実に鈍い」
「……」
「乗るか、下りるか」
 劉備は注がれていた酒盃の中身を一気に飲み干して、口を開いた。

 次の日、劉備は関羽と張飛を連れて、曹操から袁術の話を聞いていた――






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