「琥珀と橙の賭け 2」 無双5準拠 関羽×劉備(曹操×劉備含む) |
不意の問いかけと眼差しに、曹操との出逢いを一瞬ばかり蘇らせていたが、続いた曹操の声に注意を戻した。 「関羽を好いておるか」 「それはもちろん、大事な義弟(おとうと)ですから」 どうして改めてそのようなことを訊くのだろう、ときょとんとすれば、くくっとなぜか曹操は可笑しそうに咽奥で笑うではないか。 「とぼけたことを言う。いや、またそれも本音であるのか。のお、劉備。お主は関羽に抱かれたい、と思っているのだろう」 表情を繕うことなど出来なかった。誰にも知られていないと思っていたし、何より劉備自身が長い……そう長い年月をかけて奥の奥、普段はどうやっても手の触れようもない心の奥底に仕舞い込んでいる想い、願いだったからだ。 それがどういうわけか、僅かにしか付き合いのない男に見抜かれた。 血の気が引くのが自分でもはっきりと分かった。 義兄弟にあるまじき関係を望んでいることを見透かされた羞恥と、心の襞を抉るような男の洞察力の高さへの恐怖のためだった。 「久々に良い顔を見た。繕った笑みでもない、仁徳と呼ばれる男でもない、あの頃、儂に必死に関羽は自分に相応しいのか、と尋ねてきた、青臭い男の顔だ」 くくっとまた曹操は低く笑った。実に楽しそうだった。指先でもてあそんでいた盃を摘み上げ、ぐびり、と中身を呷った。たん、と軽く卓上に置く音で、ようやく劉備は自分を取り戻した。 取り戻し、開き直った。 「雲長に、言うつもりですか」 「なぜ?」 目を眇めて逆に問い返されて、劉備は一拍置いた。 「貴方は、意味もなく下世話な話をされる方ではありませんから」 裏があるのでしょうと、にこり、と笑って見せた。眇めた奥でさらに強く眼光が煌いた気がしたが、劉備は目を逸らさなかった。 「裏……か。あるといえば、ある。ないといえば、ない」 「もったいぶるのですね」 「お主は、その気持ちを関羽に匂わせたことはないのか」 「……ありません」 嘘をつこうか、誤魔化そうかとも思ったが、どうせ関羽への気持ちは知られているのだ。今さら何も隠すことなどなかったし、隠したところでこの男の前では意味を成さないだろう。 「匂わさんでも、関羽なら気付きそうだが、それもないか」 「恐らく」 いや、どうだろうか。自惚れているわけではないが、関羽の自分への献身と信愛は義兄弟のそれを越えているのではないか、そういう思いに囚われることもある。何より、もしも、もしも関羽も同じように自分に対して恋情を抱いていたとしたら、どうだろう。きっと隠すだろう。 孝、恩、義、そういうもので生きている男だ。仮にも義兄と仰ぐ男へ邪なる想いを抱いたとしたら、きっと隠すだろう、隠し通すだろう。そういうことが出来る男だ。 だからここでの劉備の答えは、正しくは。 「仮に気付いていたとしても、あいつは知らぬふりをするでしょう」 決して、劉備と関羽の想いが重なることはないのだ。 「あの男なら、そうかも知れんな。しかし、お主はどうなのだ。あの男が自ら折れることはなくとも、お主が望めば折れるかもしれんぞ。お主の望みを叶える為ならば火中の栗を拾うことも厭わぬ漢だ」 目を瞑った。 そうだろうか。そうかもしれない。いや、きっと折れない。義兄だろうと、もしかしたら相手が天子であろうとも、関羽ならば己が正しくない、と思えば正しくない、と声を大にして言うのではないだろうか。 何より曹操の言うとおり、劉備が願い、関羽が叶えてくれたとしても――。 首を左右に振った。 「曹操殿、それは違いますでしょう。命令によって人を、ましてや人の気持ちを従わせるなどと。虚しいだけです」 もしもそんなことをしてしまったら、もう二度と義兄弟の関係には戻れまい。答えはもう劉備の中で出ている。恋情で、無理矢理繋ぎ止める歪んだ関係よりも、志を掲げ、苦労を共にしつつも笑い合っていられる義兄弟の関係を、すでに劉備は選んでいたのだ。 だから、心の奥深くへと仕舞っていた。自分でも忘れてしまえるほどに、ただ深く闇の底へと沈ませてしまった想いだった。 「お主なら、そう言うと思ったが。結論を出すのはまだ早いぞ、劉備」 視線が、ぶつかりあった。目尻の朱色が濃くなっているような気がする。酔っているのだろうか。整った唇が綺麗な弧を描いた。 「ひとつ、賭けをしてみないか」 「賭け?」 「いや、実験というべきか」 首を傾げた。 「命令によって人を従わせるのは否とするならば、自ら懐柔してみせれば良かろう? 心が折れぬのならば、体から折れさせてみればよい。お主も男なら分かるだろう。男の恋情など性欲と一緒くたになっているようなもの。体を夢中にさせれば、気持ちが傾くのも時間の問題だろう?」 体を繋げば情、というのも湧くしな。幸い、関羽は情にも篤い男。見込みはあると思うがの? 曹操の言葉を最後まで聞かず、劉備は席を蹴った。馬鹿馬鹿しいにも程がある。そんな実験に誰が付き合うというのか。そもそも、そういったことをもっとも嫌うのが関雲長という男であろう。 「曹操殿の気まぐれには付き合えません。失礼いたします」 踵を返そうとした劉備だったが、そういった劉備の行動はすでに予想済みだったらしく、立ち上がった曹操の腕が素早く伸びて捕らえられた。 「話を最後まで聞け。誰が関羽を相手に実験をしろ、と言った。お主が懐柔させる相手は、儂じゃ」 「――っ?」 「正確に言うと、逆だな。儂が、お主を懐柔してみせる。それが出来たなら、お主とて関羽を懐柔させられるかもしれん、と思い直すだろう。ただそうなると、もう関羽のことはどうでも良くなっている、ということかもしれんがな」 くくっ、とまた曹操は低く笑った。 「……意味が、分かりません」 「そうか? 簡単で単純な話だ。これは賭けであり、実験であり、勝負なのだ」 何が楽しいのか、男の口許は先ほどから弧を描き通しだ。 「お主の、関羽への気持ちが勝るのか、それともお主が儂に絆されて好いてくれるのか。儂とお主の関羽への想いの強さとの、劉玄徳の恋慕を賭けた勝負じゃ」 「…………」 長い間、劉備はじっと曹操の顔を見つめていた。見つめて、言った。 「つまり、曹操殿は私のことが好きであると?」 「そう言っておるではないか」 今、初めてはっきり聞いた。 「馬鹿馬鹿しい」 はっきりと告げた。 劉備に何の利益がある実験だ。曹操に抱かれる(側でいいのだろう、曹操の口振りから察するに、そういうことだ)ことを、劉備が許すとでも思うのだろうか。 「好いてもない男に体を許すほど、私は欲求不満でも貴方のように実験に対する関心も向上心もありません」 「だが、脈はある」 掴まれた腕を不意に引かれた。男の体にぶつかり、腕の中に閉じ込められた。 「嘘をつくな、劉備」 耳元で囁かれた声は低く、甘かった。ぞくり、と首筋が痺れた。 喘いだ。 どこまでこの男は見抜いているのだろう。恐ろしい、と初めて、心の底から劉備は曹操を恐れ、そしてさらに惹かれた。そう、惹かれていた。初めて言葉を交わし、語り合い、視線をぶつけ合ったときから、劉備は曹操に惹かれていた。 大切な義弟を英雄だと認めてくれた。そんな弟が自分の横に居ることが相応しいのだろうか、と不安がる自分を一笑した。何も持たない自分をこの男が認めてくれた。 「曹操殿……」 男の名を呟いた唇を、ゆっくりと男の唇が塞いだ。逃れようと思えば逃れられる、触れるだけの口付けに、劉備は身じろぎ一つできなかった。 離れた唇は楽を奏でるかのように甘く響いた。 「今宵、お主の屋敷へ赴く。鍵をかけるなどと、無粋な真似は無しにしてくれよ?」 曹操が立ち去り、背後で戸の閉まる音を聞いても、劉備は身動きひとつできずにいた。 |
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