「姑の、天下三分の計 4」
 関羽×劉備


「……なるほど、拙者が兄者に固執するあまり、己の成長を疎かにしている、と。そう軍師殿はおっしゃっているわけですか」
 劉備から説明を受け、関羽は乾きかけの髯を撫でている。麗しのアジアンビューティーは濡れていても健在だ。
「兄者、軍師殿の口車に乗せられましたな。軍師殿は自分ではっきりと申したではありませんか。兄者と拙者の仲が鬱陶しい、と。それを反省し、改めるまで、実家に帰る。そういう啖呵だったのでしょう、こたびの騒ぎは」
 ちぃっ、と内心で舌打ちした。なんという冷静さ。この男はこと劉備のこととなると、鬼のような軍神にも冷血な軍師にもなれるのではないだろうか。
「もし仮にそれが真実だとして、改める気に少しはなられたのでしょう? こうしてお二人でわざわざお越しくださったのですから」
「拙者は兄者一人で行かせるのが心配で付いてきただけだ」
 この過保護者め。
「私は、改めようと思っているぞ。聞けば、翼徳や憲和はともかく、他の者たちは少々目に余る、と言っていたし」
 たぶん、糜竺や孫乾だろう。
「兄者」
 不服そうにする関羽へ、諸葛亮は勝ち誇る眼差しを送る。
「第一、関羽殿は殿に対して過保護すぎるのです。どうしてあのように、毎回おかずの取替え、同衾の多さ、今日も一頭の馬で相乗りしてくるし。意味分かりません」
「あのな、孔明。それは」
 何かを言いかけた劉備が、不意に口を噤んだ。同時に、関羽が鋭く「奥方」と台所にいる月英を呼んだ。呼ばれた月英がやってくると、劉備がにこやかに笑って諸葛亮の傍へと招いた。
「少し、孔明の傍にいると良い」
「ですが、夕餉の仕度の途中ですが」
「軍師殿、弟御(おとうとご)はいずこにおられる」
「裏庭にいると思いますが」
 玄関先の騒ぎにもまったく顔を出さなかった諸葛均の居所を関羽に聞かれ、戸惑いながらも答えた。素直に答えたのは、自分にしか向けられていなかった関羽の殺気が、方向を変えたからだ。
「兄者」
「任せるよ」
 のんびり答えた劉備の口調だけが、いつもと同じだった。
「御意」
 関羽は音もなく立ち上がり、玄関へと向かう。立てかけてあった偃月刀を掴む音がした。
「殿?」
 薄々と察しがついてきたが、確認を含めて劉備を呼んだ。
「すまない。今がチャンスだと思ったのだろう。しばらく大人しかったのだがなぁ。まあ、なるべく畑とか荒らさないようにしてくれると思うから、少し待っていてくれ」
「孔明様」
 どうやら月英も理解したらしい。
 不安そうに差し出された手をそっと握った。そんな二人を、劉備は楽しげに見つめている。
「どうだろう、孔明。お前が私のところへ戻る気になったら、奥方も一緒に連れてきては」
「は? え、ええ。ですが、殿。今はそのようなことを話しているときでは」
「なに、雲長に任せておけば大丈夫だ。ただ、そうか。諸葛均殿のことだけは心配か。だが、曹操が雇っている暗殺者はいつもプロだ。関係のない人間に危害を加えるような真似は今までしなかった。案ずるな」
 暗殺者、という言葉をさらり、と口にした劉備はいつもと変わらず朗らかに笑んでいる。
「劉備様は、関羽様を信頼なさっておられるのですね」
 諸葛亮が考えていたことを、月英が口にした。
「信頼……そうだな。そうとも言えるし、違うとも言える」
 首を傾げる劉備は、しばらく言葉を探しているようだった。その間にも、家の外からは何かが倒れる音や金属がぶつかり合う音が飛び交っている。
「たぶん、私はあやつが居なければ私ではなく、あやつも私が居なくてはあやつでなくなる。そういう存在だな」
 まあ、と月英が驚き、当てられました、と笑う。
 あまりにも落ち着いている劉備に、諸葛亮も普段の自分を取り戻し、先ほど劉備が言いかけていた続きを推察してみる。
「もしかして、殿と関羽殿が毎回のように夕餉でおかずを取り替えているのは、毒が盛られにくいようにしているためでしょうか?」
「うん、そうだ。何せ曹操は雲長が大好きだから、雲長が毒を食べるようなことになる方法は取らせない」
「では、殿が誰とも寝ない日がないよう、関羽殿が小まめに同衾しているのも」
「暗殺者への牽制だ」
「一頭の馬で出かけるのも」
「赤兎馬は速いし、一頭に乗っているほうが守りやすいって雲長がうるさいんだ」
 肩を竦める劉備を前に、諸葛亮は自分のほうがよほど浅薄であることを噛み締めていた。
「殿、申し訳ありませんでした」
 外での騒ぎは収まりつつあり、言い出すのは今しかない。
 頭を下げた諸葛亮を、劉備は驚きの眼(まなこ)で見つめた。
「私のような若輩者のために、四度もこの草庵に足を運んでもらうことになりました。殿の器がかように大器であられなければ、亮は未だに世を憂いながらもただ何もせず、時が過ぎるままに生きていただけでしょう。私を見出し、召してくれたこと、一生をかけて御恩返しいたしとうございます」
「孔明」
 嬉しそうに劉備が笑う。
「また、こたびの私の短慮が招いた騒動に見合う価値があるかどうか分かりませんが、殿が心安らかに過ごせるよう、妻の力を借り、暗殺者に対するセキュリティシステムを開発したいと思います」
 ずっと握っていた月英の手を改めて強く握り、諸葛亮は月英にも頭を下げた。
「協力、してくれますか、月英」
「もちろんです、孔明様。私は孔明様のお役に立てることが妻の役目、と思っておりますから」
 微笑む妻に、諸葛亮は微笑み返す。
「やはり、貴女は私にとって過ぎた妻です」
「なあ、孔明。そういうときは、愛している、と言うべきだと思うぞ」
 真面目な顔で言う劉備に、二人は顔を見合わせて頬を染めた。
 そこへ、諸葛均ののん気な声が表から聞こえた。
「義姉さん、なんか焦げた匂いがするけど、大丈夫ですかぁ? って、あれ、なにこの人たち!」
 どうやら諸葛均は、この暗殺者襲撃騒動中も裏庭で薪を割り続け、ようやく現状に気付いたらしい。
 月英は、焦げた匂い、という諸葛均の声に慌てて台所へ戻り、何事もなかったかのように戻ってきた関羽を、劉備は満面の笑顔で迎える。
「大丈夫だったか、雲長?」
「拙者があのような輩から傷を受けるはずがございませぬよ」
「そうかもしれぬが、万一、ということもある」
 クルクルと関羽の周りを忙(せわ)しく歩き、気遣わしげに見上げる。先ほどまでのどっしりとした落ち着きぶりが嘘のようだ。内心は関羽を案じていたのだろう。
 ムカっと、何かが込み上げた。
 またしてもナチュラルにバカップルに成りかけている二人の間を割るように、諸葛亮は頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、関羽殿。私は勘違いしていたようです。これからは貴方がたの行動に少し目を瞑り、私は私にできることを成すつもりです」
 すると関羽は不信感を一杯に表した面容になる。
「家の中まで侵入は許さなかったが、妙な毒にでもやられたか」
「違います。私は己の視野が狭かったことを反省しているのです。ところで関羽殿、暗殺者は一人ぐらい生かしてありますよね」
「いや、兄者の命を狙ったのだ。全員地獄行きに決まっているだろう」
 誇らしげに胸を張る関羽に、諸葛亮は天を仰ぐ。
「そういうところが駄目だ、と申し上げたのです。ここは一人ぐらい生かしておき、拷問にかけて次の曹操の手段を探ることや、あわよくば逆スパイさせるとか、色々使い道があるのですよ? それを『兄者を』の一言で皆殺しとは」
 呆れますね、とため息を吐く。
「貴殿は、先ほど何やら反省した、との意味合いの言葉を聞いたが、聞き間違いであったか」
「反省はもうしました。今からは反省を生かした行動を取ることにしています。貴方は学習、という言葉を知ったほうがよろしいでしょう」
「軍師殿も、いつまでも拙者の忍耐が持つ、と思っておられないほうがよいな」
「こらこら、孔明、雲長も。どうしてまた喧嘩を始めるのだ」
「軍師殿が先に仕掛けられたからです」
「関羽殿が後先考えない行動を取られるからです」
「ふん、それは言い訳であろう。どうせ、拙者が兄者に心配されているのを見て、嫉妬したのだ」
「こら、雲長! またお前はありもしないことで言いがかりを」
「…………」
「って、そこでお前も黙り込むな、孔明!」
「ほほう、そうか。そういうことか、軍師殿。中々良い度胸をしている。しかし、兄者は拙者のものだ。貴殿といえども奪おうとするならば全力で阻止させてもらう」
「別にそのようなつもりはありません」
 しかし、諸葛亮の声にいつもの説得力を感じさせる強さはない。
「それに、私には月英、という過ぎた妻が」
「あら、私は構いませんよ。関劉と水魚、どちらも大好物ですから」
 いつの間にか台所から戻ってきた月英が、それはそれは嬉しそうに微笑んでいる。
 そう、いつの時代も女性は元気……。
「って、月英ーーー?」
 夕日が、諸葛亮の悲痛な叫びに驚いたように、稜線にするっと姿を消してしまった。



 その夜の夕餉は、劉備と月英、あとは事情を知らない諸葛均だけが賑やかな、諸葛亮と関羽にとっては実に気まずいものであった。ただ、月英が本格的に諸葛亮とともに劉備の下で働くことは、トントン拍子に決まり、関羽も賛成してくれた。関羽もやはりあのセコムには心底感心したらしい。
 明日、明後日にでもすぐ、とはいかないが、近いうちにこの草庵の管理を諸葛均に任せ、月英が諸葛亮のところへ移り住むことになった。
「均様も新婚になられますし、丁度良かったですね」
 布団を居間に置き、諸葛亮と月英は枕を並べていた。
 この狭い家に客間、などと気の利いたものなどあるはずもなく、劉備と関羽は遠慮したが、諸葛亮たちの寝室を使ってもらい、二人は居間で寝ることにした。ちなみに、普段は諸葛均が寝ているので、彼は今回、離れで一人寂しく寝ている。さらに、布団も元から三組しかないので、諸葛亮たち、諸葛均、そして劉備たちでそれぞれ一組ずつ使っている。
「ええ、私も貴女が傍に居るのなら、心の平穏を保てそうです」
 色々な意味でも!
 劉備に心が傾きかけたのも、こうして月英と話しているとただの気の迷いだった、と思えるようになる。もちろん、諸葛亮が執務のことで悩んだときの相談相手としても充分だ。
「ですが、急に来てまた急に戻ることになり、貴女には忙しい思いをさせてしまいました」
「いいえ。孔明様がすぐに戻られることは分かっておりました」
「どうしてです?」
 結局、月英には詳しい説明はしていない。まあ、もっとも夕方のやり取りで大方の予想はついただろうが、千里眼の持ち主になったのか、と諸葛亮は驚く。
「今日、採りに行かれた薬草、全部胃の調子を整えるものばかりだったでしょう? ああ、孔明様はすぐにでも劉備様の下へ戻りたいのですね、と思いましたもの」
 苦笑せざるを得ない。
 やはり、過ぎた妻ですね、と口にしかけて、劉備の言葉を思い出す。
「愛していますよ、月英」
「……っ孔明様」
 布団の中で、手探りで妻の手を探して、ぎゅっと握る。
 指が絡み合って、甘い雰囲気が漂う。
 考えてみれば、昨日は新野から隆中まで歩き通しの上、夜遅くまで語り合ったせいで、そのまま寝入ってしまった。
 やはり夫婦らしく睦まじいことをしたくなるのが人情である。
「月英……」
 熱っぽく囁けば、月英は「ですが、隣に劉備様たちが」と小声で嫌がる素振りを見せるが、絡んだ指は解けない。
「あ……っ」
 艶めいた声が上がる……って、まだ何もしとらんぞ。
 ぴたり、と月英に覆い被さる直前で、諸葛亮は動きを止めた。
「ちょ……こらっ……雲長っ」
 声は隣から聞こえる。
 まーさーかー、と諸葛亮のこめかみに青筋が浮かぶ。
 あらあら、もしかして、となぜか目を輝かす月英が諸葛亮の腕から抜け出す。
「月英!」
「しっ……ちょっと静かになさってください、孔明様」
 鬼気迫る形相で怒られ(ただしちゃんと小声)、諸葛亮は泣きそうになる。
「馬鹿、隣に孔明たちが……ぁん」
 劉備の艶っぽい声にクラクラと眩暈がする。
 あの髯もじゃがーーー!!
 牽制にも程があるわ!
 そもそも、早くに気付くべきだった。
 必要以上な劉備への関羽の干渉は、ある程度は暗殺者に対する防壁を兼ねていたかもしれないが、結局はただのいちゃこらしたいがための行動だ。
 胃、胃が痛い。
 みぞおちを押さえて諸葛亮は悶える。蹲る夫に目もくれず、妻は嬉々とした様子で聞き耳を立ててメモを取っている。
「やはり、次の新刊は関劉ですね。鉄板ですから、たくさん刷らないと駄目かしら。これは早く、今研究中の『こぴーき』を完成さなくてはいけませんね」
 うふふっ、と実に楽しげだ。
 私の天下三分の計が成った暁には、絶対にあの髯もじゃを荊州に残して、殿を益州に据えてやる。
 ええ、絶対に!

 この夜に決意した諸葛亮の策が成るのは、まだあと数年かかる――



 おしまい





 あとがき

 そんなこんなで、不幸な姑の苦労はまだまだ続きます(笑)。
 というわけで、いかがだったでしょうか? 思い切りギャグに走った、しかもR18ではないお話。
 個人的にはすごく楽しく、一気に書き上げた、という思い出があります。
 ちなみに、関羽×諸葛亮には、私も興味があります(笑)。
 そのぐらい、この二人はいつも火花ばちばち、劉備を取り合っていればいいなあ、とか考えている次第。

 さて、ところでこのお話、本にしたとき、以下のような宣伝広告が入っていました。

―― おまけ ――
女官1「ねえねえ『臥龍の妻(サークル名)』の新刊チラシ、もらったわよ!」
女官2「ほんと? 見せて見せて。うわ、月英さんの次の新刊は関劉かぁ。鉄板ねえ。諸葛亮様との水魚もいいけど、関劉は外せないわよね」
女官1「ほんとほんと。私も早く趙諸書いて、当日買い物を楽しむわ!」
女官3「貴女、本気で書くの?」
女官1「当たり前よ。貴女は結局どうするの?」
女官3「私? 私は関諸よ。R20を目指すわ!」
女官1&2『貴女って、ほんとイバラ好きねぇ』

テキスト ボックス:  『臥龍の妻』の次回新刊告知

 襄陽城下、勤労福祉会館での劉備軍オンリーイベント内

 関羽×劉備 R18 タイトル「おしおき(仮)」

 あらすじ
 「実家に帰る」と飛び出した諸葛亮を追いかけて来た劉備だったが、諸葛亮と少し怪しい雰囲気に。それに嫉妬した関羽に、なんと諸葛亮の家でお仕置きをされてしまう!?
                       月英
















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ただし、年齢制限は守りましょう。
18歳未満の方は、ここまでありがとうございました!




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