「めかくし鬼 2」 劉備×曹操 |
青々とした葉についた虫を摘んで潰す。根元の茎に芽吹こうとしている新芽を切り取る。地面に生えた関係のない草を引き抜いて、栄養が奪われないように防ぐ。そして肥料をたっぷりと撒いた黒い土は豊潤な野菜を育たせる。 収穫に適した大きさになった野菜を端から手際よく切り取り、籠に放り込んでいく。その手際のよさたるや、農民も真っ青の手付きである。 籠を持って控えている関羽は、義兄の惚れ惚れする手並みに感心すればいいのか、呆れればいいのか、嘆けばいいのか分からず、実に中途半端な表情になっていた。 その横では、不貞腐れた顔で石に腰掛けて頬杖をついている張飛がいる。 「本当に曹操の野郎を呼んで宴会すんのかよ、兄者ー」 「私が嘘をついたことがあるか、翼徳?」 「ねえ。ねえけど、調子のいいことは良く口にしてる。だから勢いで言ったんだろうけど、本気かよ」 よく兄のことが分かっている弟に、もう一人の弟がため息を吐いた。 「いまさら、中止にも出来んだろう。もう今夜であるぞ。断ったら兄者の顔はもちろん、曹操殿の顔も潰してしまうことになる」 あの劉皇叔に誘われて司空殿がお訪ねになったが、劉皇叔は直前になった気が変わられて宴は中止。せっかく足を運ばれた司空殿に恥を掻かせた。 こんな話がまことしやかに流れでもしたら、曹操以外は劉備が許都に滞在していることに良い顔をしていない連中にどんな扱いをされるか。 「本気だぞ。どうした、翼徳、今になって。……ははぁん、分かった。お前、秘蔵の酒を出すのが惜しくなったんだろう。いかんな、男はけちだと女にもてないぞ」 「惜しいのはある」 即答しつつ、張飛はじとーっと恨みがましそうに劉備をねめつける。 「俺、曹操嫌いなんだ」 「そうか。なら我慢しろ」 これまた即答である。 「出たくない」 「別に構わん」 「でも、そうすると俺の酒が全部曹操の腹の中だ」 「じゃあ出ればいい」 「嫌だ」 「餓鬼か」 切り捨てられて、張飛は思い切り膨れ面だ。関羽は二人のやり取りに慣れたもので、平然と劉備の投げてくる野菜を籠で受け止め続けている。籠が一杯になったところで、二人の言い争いは終わった。 「じゃあ今夜な」 「う〜〜っ」 まだ納得できていない張飛は唸っているが、劉備には逆らえるはずもなく、恐らく渋々ながら顔を出すだろう。無駄なことをしている、と関羽は常々思うが、張飛なりの不平の漏らし方らしい。 山盛りになった野菜を調理場から顔を出した孫乾へ渡して、関羽は改めて劉備へ尋ねる。 「翼徳ではござらぬが、兄者、随分と勢いで物を言ったものですな」 「お前も曹操殿が嫌いか?」 「そういうことではなく、曹操殿を招いて、取り入ろうとしていると思われてしまう、ということを考えなかったのか、ということです」 おお、と手を打った劉備に、関羽は今度こそ心底呆れた顔をした。 「もうそろそろ、袂を分かつ準備をされたらどうです」 思わず、口をついた言葉に、劉備が不思議そうな顔になる。 「どうしてだ? 居心地が悪いか」 「……っ」 絶句である。 時々、兄と敬うこの男に神経は通っていないのか、と思うことがあるが、その時々が今目の前に巡ってきた。 「先ほども申し上げましたが、取り入ろうと思われてしまえば、兄者に対する風当たりはいっそ厳しくなるでしょう。そうなれば、兄者の命も危うくなる。拙者はそれを危惧しておるのです」 「風当たり、強いのか?」 本当にこの人は、と関羽は類まれなる精神力で自己崩壊を留めつつ、劉備に自覚を促す。 「では、兄者は曹操殿とご一緒でないとき、宮内で臣下の方とすれ違ったとき、何か言われませんでしたか」 泥だらけの手を気にせずに劉備は腕を組み、んー、としばらく考え込んで、答えた。 「おお、あったあった。すっごい綺麗な顔をした男に(それは 「本気でおっしゃっていますか、それ」 「冗談だ」 自己崩壊一歩手前である。 「でも今のところは口だけみたいだし、もしも本気で命を狙ってきたら逃げる」 そう劉備は言い切る。 「だから、居心地は今のところ悪くないぞ」 人の名前を覚えなかったり、命を狙われているのに無頓着だったり、そのくせちゃんと人心の機微は掴んでいる。兄者……っ、と自己崩壊の瓦解を防ぐために無理矢理のように感動しておくが、それには少し早かった。 「第一、こんなイイ漢を殺そうとしないだろう?」 朗らかに笑う劉備は、困ったことに本気だ。見栄と啖呵で荒ぶる乱世を生き抜いてきたからなのか、根拠の無い自意識過剰な部分である。 大器と呼ぼうか、お気楽と呼ぼうか。さしもの関羽も悩むところだ。 「それにしても、用心される必要はあります。それともまさか兄者は、このまま曹操殿に従属されるおつもりですか」 ありえない、と思いつつも訊いてみる。まさか、という答えが返り、安心するための確認作業だ。しかしこれまた、関羽を驚愕に貶めることになる。 「駄目か?」 「…………冗談、と受け止めますが」 「本気だが?」 「――っ。兄者、それは貴方らしくない」 咄嗟に、劉備を否定する言葉を漏らす。すると劉備は笑みを浮かべたまま、ふぅん、と小さく鼻を鳴らした。何気ない相槌に、軍神と恐れられる関羽の背筋が凍りつく。 「……いつからお前は、私をそうやって決め付けるようになった?」 笑みのせいで細くなった双眼の奥で、冷ややかな光がちらついている。雲長? と重ねて問われて、関羽は慌てて首を横へ振る。 「いえ、失言でした。少々驚いただけで」 「そうか。そんなに意外だったか」 そうか、と呟く劉備の目には、もう青白い光は灯っていなかった。全身で息をついた関羽だったが、風呂に入ったほうがいいか、と独り言を言いながら去っていく兄の姿が消えるまで、一人で畑に突っ立っていた。 * * * * * 前を踊るような足取りで歩く人の頭を眺めていると、自分も踊る足取りに釣られるように、顔が綻んでいく。 許チョの幸せは二つある。 美味しいご飯を食べることと、大事な人が笑顔でいること。 曹操様、嬉しそうだなぁ。 それが、今の許チョの一番の幸せだ。 劉備から宴に誘われた、とまるで楽でも奏でているかのような声音で、曹操は許チョにだけそっと耳打ちをした。こっそり行きたいから、皆には内緒でな、と言われて隠し事が苦手な許チョであったが頑張っていつも通りに過ごしていた。 曹操と約束したことは絶対だ。何が何でも守る。 それが許チョの唯一絶対、この世の真理である。 皆に内緒にしたい、と言った曹操の気持ちは許チョなりに理解していた。曹操がやたらに劉備に構い、それが他の人間の神経を逆なでしていることぐらい、許チョですら分かる。劉備に誘われた、となれば皆が猛反対するのは毎日ご飯を食べているのにお腹は空く、という当たり前のこと以上に当たり前に訪れる事柄だ。 ただ許チョにとって、どうして皆がそれほどまでに曹操と劉備が仲良くしていることが気に食わないのか、理解はできなかった。 劉備と話している曹操は、決まって楽しそうだった。戦場で指揮を執っているときも、政務で筆を握っているときも、綺麗な景色の中で詩(うた)を吟じているときも、才能溢れる人々の中で言葉を交わしているときも、曹操は小さな身体から溢れんばかりの光を放って生き生きとしている。 その中でも、劉備と向かい合っているときの曹操ほど、許チョの目に眩しく映るものはない。この間は、劉備の迂闊な発言で怒ったようだが、それもすぐに今日のこれからの宴の約束でご機嫌だ。 許チョの幸せは、曹操が笑顔でいること。劉備といる曹操は笑顔でいることが多い。だから、許チョは皆が言うほど劉備を嫌ってはいなかった。 「お待ちしていました、曹操殿」 劉備の屋敷に到着すると(と言いつつも、本人も言うように曹操が用意したものだから、厳密には曹操の屋敷なのだが)、劉備自らが出迎えた。 「おや、護衛の方は許チョ殿だけですか?」 驚いたように曹操の肩越しに外を見やる劉備に、曹操が頷いた。 「お主、自分がわしの臣下に嫌われていることぐらい、知っておるだろう」 だから、こっそりお忍びで来たのだぞ、と暗に含ませた曹操に、劉備はそうみたいですね、とついさっき知ったかのように、他人事みたいに口にした。 「本当にお主という男は、大うつけなのか、大人物なのか」 くつくつと、曹操は楽しそうに笑う。 「良く言われます」 劉備は真面目な顔で返して、さあどうぞ、と奥へと招く。屋奥へ進むと、出てくる前に腹を満たしてきたはずの許チョの腹を鳴らしてしまう良い匂いが漂っている。急いでお腹を押さえて、許チョは二人の後を追う。 食事や集会に使えるちょっとした広間に案内されて、中に通されれば、最初に挨拶をしたのが、劉備の義弟関羽である。 「曹司空におかれましては……」 義に篤い、と言われる男らしい堅苦しい挨拶を述べようとする関羽を、曹操は手で制した。 「今夜は畏まった宴ではない、という話だ。初めて会うわけでもない。構わん」 はっ、と関羽は戸惑いながらも引き下がり、許チョには拱手のみの挨拶をしてきた。 「話が分かるお人だねー。さすが玄徳と違って偉くなった奴は違う」 打って変わって砕けた口調で話しかけてきたのは、愛嬌のある顔をしている男だった。俺は初めましてになるから、挨拶しておくわ、と男は軽く手を上げた。 「俺、そこのうだつの上がらない男の腐れ縁で、おんなじタク県出身の簡雍ってんだ。よろしくな、司空殿」 曹操の身分や立場を知ってなお、気負った様子もなく話しかけた簡雍を、曹操は気に入ったらしい。 「憲和、うだつは余計だ」 渋面になる劉備へ、簡雍はそ知らぬ顔だ。 「そうか、うだつの上がらぬ男と縁があるとは、なかなか難儀だな」 「はは、そうだろう? やっぱりあんた話が分かるねー」 一方、簡雍もすっかり曹操が気に入ったらしい。にやり、と笑った。 「曹操殿まで」 まったく、と言いながら、劉備は一人隅にいる男へ声をかけた。 「翼徳」 「……」 劉備に声をかけられた男は無言で振り返り、じろり、と曹操を一睨みしたあと、また背を向けた。 「翼徳!」 強く劉備が呼びかけて、ようやく渋々といった様子で目にも止まらぬ速さで拱手して、すぐに背を向けた。 「申し訳ありません。まだ餓鬼臭さが抜けておらず」 謝る劉備に、曹操はいや、と首を振った。下手なおべっかを使われるより、よほど清々しい、と言った。 「貴方は本当に世辞が嫌いなのですね」 「吐き気がする」 苛烈に言い捨てた曹操に、関羽や簡雍あたりは驚いたように目を瞬いたが、劉備だけはにっこりと笑った。 「ご安心ください。私は知っての通り、世辞など口に出来ませんから」 「そうして欲しいものだ。わしを怒らせたくないのならな」 そんなやり取りのあと、食事の支度が整ったらしく、奥から湯気を立てた美味しそうな料理が運び込まれてきた。 見た目はひどく質素で、普段許チョが曹操の開く宴で目にする、目にも鮮やかで色彩豊かな豪華さはないものの、許チョは今並べられている料理のほうが何倍も美味しそうに見えた。 曹操は珍しいものでも見るかのように、目の前に並べられる料理を見つめている。 「この材料のほとんどは、庭の畑から採ったものでして。私の自信作なんですよ。もちろん、料理を作った者の腕も保証します」 劉備が説明している。許?殿もいかがですか、と勧めてくるが、護衛の手前(だからこそ、先ほど食事を済ませたのだ)断った。もちろん、断るには相応の覚悟と、断ったあとの哀切が堪らなかったが。 宴は曹操と劉備、義弟二人に簡雍、そして護衛の許チョのみ、という実に小規模のものだったが、劉備と簡雍が代わる代わる義勇軍を立ち上げる前の若気の至りの馬鹿馬鹿しい話や、貧乏人の苦労話、義勇軍を立ち上げてからの嘘か本当か怪しい活躍話を面白可笑しく語るものだから、人数の少なさなど感じさせない盛り上がりを見せた。そもそも曹操自身が聞き上手なものだから、なお二人の舌は止まらなかった。 また、笑い疲れたころには関羽の見事な剣舞に見惚れ、その頃には張飛も酒を飲みすぎて吹っ切れたのか、関羽とともに豪快な剣捌きで舞を見せてくれた。 体を揺すって笑い転げ、そして身を乗り出して舞いに夢中になっている曹操の姿を、許チョは黙って見守っていたが、隣に誰か近付いてきて、ちらり、と見やった。 「お食べになりませんか」 差し出されたのは握り飯で、差し出してきたのは今まで姿を見せなかった見知らぬ男である。しかし許チョは出された握り飯を見て、すぐに分かった。 宴に出された料理を作った男で、劉備の話では孫乾とかいう男だ。 「おめぇ、美味そうな料理作れるんだな。すげえな」 おや、と孫乾は目を見開いて、どうしてお分かりに、と首を傾げた、許チョは分かるだよぉ、と答えた。不思議そうにしていたが、再度、孫乾は握り飯を勧めてきた。 「これでしたら、曹司空の護衛をしながらでも食べられますでしょう?」 「ありがとう、いただくだ」 男の好意を素直に受け取り、許チョは握り飯を頬張る。想像通りの美味しさに、許チョの頬は落ちそうだ。あっという間にかなり大きかった握り飯二つは腹の中に収まった。 「ほんと、うめえだな」 「見よう見まねで作っていましたら、いつの間にか」 笑う男は、まだありますけども、と言う。許チョは誘惑に負けそうになるが、きっぱりと断った。 「これ以上食べると、腹がいっぱいになって眠くなるから駄目だぁ」 そうですか、と孫乾は大人しく引き下がった。少し残念な気分になりながらも、食べている間も注意を怠らなかった曹操へ視線を戻す。 すっかり酔いが回っているらしく、曹操の顔は赤かった。普段だったら荀ケや夏侯惇あたりがその辺にしておけ、と止める状態にまで陥っている。 「曹操様」 今は二人とも居ないので、ここは役割を越えることになるが、自分が止めるべきだ、と声をかける。 「虎痴〜、お主ー、ほっぺにご飯粒が付いておるぞー」 あはははっ、と大体にして良く笑う人なのに、今は酒のせいもあってさらに笑い上戸だ。のそのそと近付いてきて、許チョの頬に付いていたらしい米粒を指先で摘んでそのまま自分の口に運んで食べてしまう。 「曹操さまぁ」 これはかなり酔っていると確信をして、許?は曹操を帰らせたほうがいい、と促すが、ぎゅうっと曹操は許チョの胴に腕を巻きつけてきた。 「虎痴は良いなぁ。こんなに大きな体をしていて。ほら、わしの腕などやっと背中で届くほどだ。羨ましいのぉ」 しかし判断は僅かに遅かったらしい。握り飯を食べていたせいだ、と反省しつつ、許チョは曹操を宥めて自分の体から引き剥がす。 「曹操様、帰るだよ」 「嫌だー」 まるで駄々をこねる童子のような曹操の有様に、劉備をはじめ全員が呆気に取られた顔つきになる。許チョは曹操の体を掴んで運び出そうとするが、曹操が一瞬ばかり早かった。 さあっと走り、劉備を盾にして背中に隠れる。人間盾にされた劉備は一瞬ばかり逃げたそうな顔になったが、踏みとどまった。 「許チョ殿、私たちは構いませんので、曹操殿が納得されるまで宴を続けませんか」 「だけどな」 許チョとてそうしたいのは山々だ。しかし、曹操がこうなってしまうのを、誰にも知られるな、と夏侯惇や幾人かの人間から厳しく言い渡されている。早く連れて帰りたかった。 「曹操殿、大丈夫ですから……って、あたたたっ?」 振り返って曹操へ笑いかけようとでもしたらしい劉備だったが、急に悲鳴を上げた。見れば、曹操が興味深そうに劉備の耳を引っ張っているではないか。 「うーむ、お主の耳も羨ましいのぉ。人よりこんなにでかい。腕も長いし、どういうことだ」 「どういう、と言われましても、生まれつきですから。とにかく、耳を引っ張るのを止めていただきたいのですがぁ〜〜、って痛いって、だから!」 兄の危機、とばかりに関羽が二人を引き剥がそうと間に入るが、曹操の興味が関羽に移ったらしい。ぱっと劉備の耳から手を離して、関羽の長い髯を無造作に掴んだ。 ひえ〜、という軍神とも呼ばれる関羽の、世にも悲痛な叫びが屋敷に響き渡る。何せ関羽の髯に対する執着は並ではない。朝昼の艶出しはもちろん、戦場でも敵の返り血を鎧に浴びても髯には浴びない、という髯から先に生まれたのか、という大事さ加減だ。劉備でさえ髯に触ることは機嫌の良いときに頼んでやっとなのに、曹操が無造作に掴んだのだ。悲鳴の一つも上がろうもの。 「関羽は良いの、この髯。男の勲章のようなものだ。わしなどここまで生やすのにどれだけ苦労したか」 ちみっと顎を飾る己の髯と比較して、曹操は落ち込んだらしい。ぎゅうっと力を込めて関羽の髯を引く。 「司空殿、司空殿、頼み申す。お止めくだされ」 哀願すら含まれる関羽は、相手が曹操なものだから手を出すわけにもいかず、身動きが取れないらしい。そんな兄の危機にまたしても弟が飛び出す。 「おい、曹操! いい加減にしやがれ!」 「翼徳!」 お前が出てくるとますますややこしいから止めてくれ、と劉備が制そうとするが、張飛が早かった。曹操の襟首を摘み上げ、猫の子でも放る勢いで投げようとする。全員が青褪めかけたが、曹操はぱっと関羽の髯から手を離して、張飛の腕にしがみ付いた。 「これかー、この腕があの凄まじい武を生み出すのだな。なるほど、すごいではないか!」 興奮状態である。 「許チョ殿、これはいったい」 ハラハラしながら、しかし迂闊に手を出すと曹操も傷つけてしまいそうでオロオロしていた許チョに、劉備が訊いてきた。 ここまでばれたのなら隠しておいても意味がない。許チョは正直に話した。 「曹操様は、お酒を飲みすぎるとああやって目に付いた人の良いところをひたすら羨ましがって、絡んでくるだよぉ」 どういう心理でああなってしまうのか、許チョには分からないが、ああなる曹操を知っている人間が口止めしたくなるのは分かる気がする。見ていて心臓が持たない。普段から人懐こいとはいえ、こうなると無防備も良いところ。人に触る、褒めるは当たり前。見ているほうは気が気じゃない。 夏侯惇をはじめ従兄弟たちと腹心中の腹心たちしか知らない曹操の(許チョから見れば非常に可愛いなぁ、と思ってしまう)一面であった。誰に絡んでも誰かが不快な思いに駆られるので、暗黙の約定として、曹操に酒を一定量以上飲ませないことになったぐらいだ。 ふ〜ん、と劉備は言う。 「自分が持っていないから、ああして欲しがっているのでしょうか」 「……? 曹操様は何でも出来るし、見た目も……あー、言うと怒るけども綺麗だし、色んなものを持っていて、誰かが羨ましいなんてことないだよ? すごいお人だもん」 「世の中の全ての人が許チョ殿のような人だったら、曹操殿は苦しまなかったのでしょうね」 「……?」 劉備の言うことは許チョには理解できないことが多い。首を傾げる許チョへ劉備は笑って、ですが許チョ殿は許チョ殿のままがいい、と言った。それは曹操が、いつも許チョに言ってくれる言葉と同じで、まったく似ていない二人なのに、不思議だ、と許チョは思う。 曹操の次の標的は孫乾に移ったらしく、しきりに料理の腕を褒めていて、孫乾を困らせていた。 「今夜は泊まっていってください。客間もこの屋敷はありがたいことに付いていますから、もし何でしたら少し休んでから帰られても大丈夫ですし」 あのような曹操殿を今外へ出せば、そのほうが不味いでしょう、と劉備が提案して、許チョはそれをありがたく呑んだ。 |
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