「愛か恋か【LOVE】〜甘すぎて困る〜 前編」
曖昧な5つの言葉 より
馬超×劉備


 すべてを失った男にとって、我が家であれ、と降伏を促した、というよりは誘ったのだ。もうそろそろ足を止めてはどうだ、羽を休めてはどうだ、と手を差し伸べた。すべてに対して牙を剥き、爪を突き、返り血で咽を潤しているような男の生き様に同情したのだ、と言えば同情した。
 だから男に「同情か」と尋ねられたとき、正直に「そうだ」と答えた。疲労が奥底に見え隠れする双眸が、一瞬ばかり強く光った。ただ、と強い光に魅せられたまま続ける。
「馬超殿のような生き方をしてきた者も、今の世ではさして珍しくもない。私の下にも同じような境遇の者が幾人も居る。同情といえば、同情であり、興味が惹かれた、とも言う」
 自分よりも年上となり、現状では降伏を迫っている相手であるのに、男の目は毛ほども卑屈にならず、むしろ炯々(けいけい)とした光を放っていた。それは男が本来生まれたときより、集団の長になる宿命であるゆえに身に付けた強さなのか、苛烈な運命に放り込まれたゆえに纏った鎧なのか、見極めることは難しかった。
「興味っ? あんたにとって、俺のような存在は珍しくもないのだろう。それが興味とはどういうことだ」
 鋭い目のままに、こちらに食ってかかる態度や語気も同様の切れ味がある。手負いの獣だ。気安い同情や興味で手を差し伸べれば噛み付かれる。男を刺激せぬように、と僅かの護衛だけが周りを固めていたが、男の様子に緊張していた。
動くな、と後ろ手に合図を出しながら平然と言い返す。
「何がそなたをそこまで強くしているのか。親兄弟、一族さえも喪ったそなたが何にしがみ付き、何に縋って生きているのか、興味が湧いた」
 侮辱された、と思っただろうか。そこまでの境遇でありながら、どうして無様に生き延びているのだと、罵られた、と思っただろうか。人は怒ると、その人間の本質が一番浮き彫りになる。
 この男はどう怒るのだろうか。
 だが男が浮かべたのは怒りに染まった面容でも、屈辱に震える体でもなく、魅せられたはずの光さえ消して、目を伏せた。
 泣いてしまったのだろうかと、どきり、とする。
 俯いた男の頬に、伏せた睫毛の陰が差し、今にも消えそうなほどの儚さを醸し出す。
「……それを俺は探している」
 消えそうな気がして思わず手が伸びかけたとき、男がぽつり、と答えた。
「あんたの……劉備殿の傍でならば、それが見つかるだろうか」
 顔を上げた馬超の眼差しは、頑強な鎧を脱ぎ裸になってしまったかのような頼りなさと寂しさに揺れていて、劉備の胸底をじくり、と刺した。
 この男は一人で苦しんでいたのだ。失ったといえども、男に付いてくる者は大勢居る。それらを見捨てて逃げ出すことも出来ず、ただ当て所なく彷徨い、立ち止まることも許されずにここまで来た。
「分からない……分からないが、見つける時間を与えることは出来る」
 だから、どうだろうか。
「私の下へ、来ないか」
 手を差し伸べると、寂しげな顔に仄かな笑みが宿る。握り返された手は、酷く頼りなく感じた。


 いつものように、遥か年下の軍師の目を盗んで執務を抜け出して、楼閣へと登った劉備は、眼下に男の姿を見つけて立ち止まる。男は一人ではなく、趙雲と何やら言い争っている様子だ。
 かなり激しい言い争いらしく、遠巻きに兵卒たちが集まって戸惑いながら誰も止められずにいるようだ。劉備は慌てて階下へ降りて仲裁に入ろうとしたが、端から張飛と、馬超の従弟である馬岱(ばたい)が姿を見せて輪の中に入っていくのを見て足を止めた。
 張飛は問答無用で二人を殴り付けて黙らせて、馬岱は馬超を引きずり、張飛は趙雲を担いでそれぞれ別の方向へと歩いていく。見世物じゃねえぞ、とばかりに張飛が集まっていた兵卒たちへ怒鳴り散らし、何となくその場が収まってしまった。
 ほっと胸を撫で下ろしたものの、今朝、軍師から言われていたことを思い出して眉を曇らせる。
『馬超が?』
『ええ。あまり他の武将たちと交流を持とうとしなく。今は張飛将軍が面倒を見ている感じですが、何時までもそれでは』
 政務だけでなく、軍事も取り仕切っている軍師の顔は憂いを帯びている。
『私からもそれとなく言ってみますが、こういうことは殿の方が得意でしょう。お願いしますね』
 大体、私はそれでなくとも貴方の怠けている分の政務も受け持っているのですから、と続きそうな雰囲気を、よし任せておけ、と調子の良いことを言って引き受けたのだ。
 馬岱に引きずられていった馬超を追いかけるように、劉備は今度こそ階下へ降りる。探すまでも無く、厩のほうから馬岱の声が聞こえてきた。
従兄上(あにうえ)、いい加減になされよ。そういつもご自分の意見を通そうとなさっては何時まで経っても周りの方々から良い印象を持たれませんぞ」
 馬超とは唯一血の繋がった相手であり、お互いに遠慮もない間柄のせいか、馬岱の馬超を詰る言葉ははっきりと非難めいていた。馬岱は軍師からの報告でも、劉備から見ても好感の持てる武人らしい男で、すぐに周りの人間とも打ち解けていた。
「……」
 対する馬超は無言らしく、言い返す声も聞こえない。
「とにかく、以前とは立場が違うのですから、自覚を持ってください。それがし達はすでに一武将、劉備様の、殿の配下なのです」
「……ああ」
 短い返事が聞こえた。馬岱のわざとらしいほどの大きなため息が聞こえて、こちらに歩いてくる気配がしたので、慌てて劉備は身を隠す。隠れる必要もなかったが、何となく盗み聞きした、という後ろめたさが先んじた。
 馬岱をやり過ごし、そっと厩の中を覗き込めば、愛馬に甲斐甲斐しく飼葉を与えている馬超の姿が見えた。愛しそうに馬を見つめる馬超の横顔には、先ほどまで趙雲と言い争っていた荒々しさも、従弟に詰られていた卑屈さも見つけられない。
 なぜだか、少しむっとする。
 誰彼にも迷惑をかけているというのに、本人はいたって気にした様子もなく、楽しそうに馬を愛でている。成都に来てから、男はずっと張り詰めた様子で、まるで一人戦場に立っているかのようだった。
 休める場所を提供する、と約束した劉備の言葉も、表面でしか受け止めていなかったのか、と憤りさえ感じる。
「馬超」
 声を掛けると、あからさまにびくり、と顔を強張らせてこちらを見やり、劉備だと見止めると急いで拱手したが、驚きのあまりか随分とぎこちない。
「劉備殿……あ、いえ、殿、どうされました」
 口篭りながら聞き返してきた馬超の焦りぶりがおかしくて、瞬間で湧き起こった憤りも萎み、笑みが浮かぶ。
「どうされた、はこちらの台詞だ。子龍と、随分と派手な喧嘩をしていたな」
「ご覧になられていたのですか」
 バツが悪そうな顔はまるで悪戯が見つかってしまった童子のようで、劉備はくすり、と笑ってしまうものの、事と次第によっては笑い事では済まされないので、真剣な顔を作り頷いた。
「あまり、他の武将と上手くいっていないようだな。居心地が悪いか」
「はっ……いえ、そういうわけでは」
 目を伏せる馬超は、肯定しているのとほぼ変わらない。性根は真っ直ぐであるらしく、思っていることがすぐ表に出るし、分かりやすい。だからきっと劉備の末弟とも気が合うのだろう。
「翼徳に殴られた頭は痛むか」
「あいつ、力加減しないで殴るんですよ、絶対にこぶになっています」
 どうやらそれは馬超も同じらしく、水を向けると文句を付けながらも口調は生き生きとする。
「あ、すみません、殿の弟御であるのに、あいつなどと」
「構わんよ、どうせ翼徳も敬語使うな、とか言っているだろう」
「ええ、その通りです」
 そうか、と可笑しくなって結局笑ってしまう。なあ、と手持ち無沙汰加減で愛馬の鬣を撫でている馬超へ言う。
「今晩、私と同衾(どうかん)しろ」
 ぽかーん、と馬超の顔が呆ける。しかしすぐに笑みを浮かべる。随分と引きつっていたが。
「いえ、今晩は所用が」
「嫌か」
「いえ、ですから所用が」
「馬超は嘘が下手だな」
 ただの同衾にどうしてこれほど拒絶反応を示すのか、劉備には理解できない。ただ、馬超とはもう少しじっくり話をする時間が必要だ、と判断したに過ぎない。
「待っている」
 相手からの返事を待たず、劉備は踵を返す。後ろで「劉備殿!」と声が上がったが、もう振り返らなかった。


 遅いなぁ、と待ちくたびれて劉備は欠伸をしながら寝台で寝返りを打った。
 仮にも主君に待ちぼうけを食らわすとはどういう了見だ、とぶつくさ心の中で文句を付ける。どうもあの男は、坊ちゃん気質が抜け切れないところがある。生まれた時から一族の長の息子、という立場だったのだから仕方がないのかもしれないが、それにしても、そういう甘いところをあの曹操が見抜かないはずがなく。だからこそ韓遂(かんすい)との連携に容易く亀裂を入れられたり、張魯の配下に疎まれたりしたのだろう。
 しかし真正面からそうやって切り込んでやったら何だか泣きそうな気もするなあ。
 良い歳をした男がそう簡単には泣かないだろうが、降伏を迫ったときの顔を、劉備は良く思い出す。
 庇護欲というか、父性というか。出会いがそうだったせいなのか、劉備は馬超に対して、妙に情愛をくすぐられるのだ。
 私も歳を取ったということか。
 仮にも劉禅という息子が出来たせいか。
 その辺りの機微は置いておくにしても、放っておけない気にさせるのは、やはり馬超の人徳なのかもしれない。
 年下である馬岱に本気で叱られていた男を思い出して、くすり、と笑う。
 それにしても、遅い。
 辛抱できずに起き上がり、それならこちらから迎えに行ってやる、とばかりに私室を出ようと戸を開けると、目の前に男が立っていて仰天した。
 しかし驚いたのは向こうも同じだったらしく、声も無く目を見開いて立ち尽くしていたが、なぜか踵を返して逃げ出そうとするものだから、慌てて劉備は引き止めなくてはならなくなった。
「まったくお前は、どうして私から逃げようとする。何も取って食おうというんじゃない。ただちょっと話をしたいだけだ」
「……申し訳ありません、突然、殿が目の前に現れたもので、つい」
 引きずりこまれるように部屋に足を踏み入れた馬超だったが、入り口に立ち尽くすばかりで、一向に中へ入ってこようとしない。
「そういえば、昼間もそうだったな。私が声をかけたら随分と驚いていた」
「はあ」
 煮え切らない返答や、いつまでも突っ立っている有様にまた苛立ちが募る。いいから、もっと近くに来い。そんな遠くに居ては話しづらいだろうが、と手招くと、ようやく馬超は寝台近くまで寄ってきた。
 同衾にあまり乗り気ではない様子が、寝衣ではなく簡素な平服であるところからも察せる。
「私と話すことは嫌か」
「は? いえ、そんなことは……」
「じゃあどうしてそんな格好なのだ」
「……あまり人前で寝衣を晒すのは落ち着かず」
 そういえば、馬超の平服自体初めて見たかもしれない。兜もあまり脱がないし、まるでいつも戦場に居るかのようだった。
「落ち着かない、か。やはりここはお前の家の代わり、とはいかないようだな」
「……」
 黙りこくってしまう男に、少々苛めすぎか、と肩を竦める。嘘だ嘘だ、と笑ってみせた。
「そう簡単に落ち着ける場所になどならんよな。私などはこうして蜀漢の地を得るまで、ずっと仮住まいだったせいか、どこでもすぐに馴染んでしまう特技が出来てしまったぐらいだ」
 ほら、と自分の脇を叩いて、もっと傍に来い、と促す。
「茶でも飲むか。それとも酒か」
 やっと寝台に腰掛けるまでに至った馬超に安心して、訊いてみる。
「い、いえ、殿にご用意させるなど。俺が……!」
「いいから、招いたのは私だぞ。やっぱり酒か?」
 立ち上がりかけた馬超の膝を叩いて座らせ、代わりに立ち上がり部屋の隅の棚へ向かう。
「では、茶で」
「茶でいいのか。馬超は酒が飲めなかったか?」
「いえ、酒は今夜あまり飲みたくなく」
 そうか、と言いながら、酒の隣に置いてある茶器や茶葉を取り出す。湿気を出すために火鉢にあらかじめ水の入った鍋をかけてあるので、準備はすぐに整う。
 茶葉の改良が趣味の臣下が居るせいで、いつでも安価で茶葉が傍にある。おかげで劉備の茶を淹れる手順も堂に入ったものだ。
「手馴れたものですね」
 素早く用意された茶を受け取り、ようやく馬超の口調も固さが抜けてきた。隣へ腰を下ろして、茶を口に含む。
「そうか?」
「俺はそういうことはどうも苦手で。岱にいつも叱られます。このぐらいはご自分でやれないと、と」
「ああ、お前の従弟殿は器用そうだものな」
 マメというか、武人にしては気遣いも出来るし、同じ血が流れているはずなのに、馬超とは雰囲気も性格もだいぶ違う。
「あいつは、小さい頃から鍛えられていて何でも器用にこなすし、世渡りも上手い。……俺は、何でも周りがやってくれて、恥ずかしい話、日常的なことを積極的に覚えよう、という気がなかったので」
 少し照れ臭そうにする馬超の横顔を見て、くすり、と笑ってしまう。
「そうだろうなあ。いや、悪い意味で言っているのではない。ただ、お前なら生まれたときから周りが構って、甘やかしていたのだろうから、自分から動く必要がなかったのだろう」
「……」
 馬超は黙って茶を啜った。気分を害した様子ではなく、劉備の言葉に耳を傾けている。
「世渡りとて、馬岱と違うところで、お前は人から好かれる素質を持っていると思うぞ。ただ、それが今は上手く周りに伝わっていないだけだ」
 実際、幾ら馬騰(ばとう)の息子、という血が流れていたとしても、付いていく価値のない男だとしたら、あれほど一族が従い続けるはずがない。
「確かに、ここでお前は居場所を作りづらいかもしれん。正直、この土地や一族という繋がりではなく、『私』に付いてきてくれた者が多いからな」
 荊州や、それ以前からの人間と、益州で得た人材とで、軋轢が生まれていないわけではない。むしろ何かしら問題は起き、劉備や諸葛亮の頭を悩ませている。
 だからこそ、諸葛亮は馬超が劉備を心から慕って、ここに馴染んでくれることを望んでいるのだ。
「それは、分かります。趙雲と話していて感じますから」
「ああ、あいつはその代表格のようなものだからなあ。ただ、無闇に周りとぶつかるような奴でもないのだが。あれほど人とぶつかるところを久しぶりに見た」
 昼間の二人のいざこざを思い出して、劉備は言う。
「……あれは、本当は俺が悪いんで仕方がないんです」
 先を促す。
「趙雲が気を遣って、俺の軍と合同で演習をしよう、と持ちかけて来てくれたのですが、必要ない、と突っぱねてしまって」
「どうして」
「一緒にしなくとも、俺の軍は充分強い、と」
「しかし趙雲はお互いの軍を鍛えることだけが目的で言い出したわけではないだろう」
 交流を図るためだと、すぐに分かる。趙雲とて器用な男、とは言いがたい。思っていることはすぐ伝わる。
「殿のために、さらに軍を強固にしたい。だから共に切磋琢磨しよう、と言ってきました」
 あいつらしい。
「そこで承諾しておけば良かったのですが、ムキになって『お前の軍だけで殿を守れないなど、弱い証拠だ』と」
「なんでまたそんなことを」
「……つい」
「それでも、子龍のことだ。怒らなかっただろう」
「ええ、まあ。……ただ、そうしたら趙雲が呆れたように、お前こそ弱い、と言ってきて、思わずかっとなって言い返して、あの様です」
 弱い、か。
 趙雲の人に対する見解は一隻眼だ。何より、劉備も薄々と思っていたことだけに、そうだろうな、と納得する。
 恐らく、とこれは劉備の推測にしか過ぎないが、馬超は生まれたときより言い聞かされてきたのではないだろうか。
 上に立つ者として、弱さを見せてはならない。弱さや迷いを見せてしまったら、下の者が不安がる。常に毅然と、前だけを向いていろ、と教えられ続けていた。
 弱音を吐くことが悪だと説かれ、誰かに頼ることを非と諭される。
 劉備とて身に覚えがある。今でもそういう部分は抱えている。諸葛亮や趙雲、そういう半ば妄信的に劉備に従ってくれている人間の期待をどうして無視できよう。
 ただ、弱さを吐き出す相手が居なくては、常に人は真っ直ぐになど立っていられない。劉備にとって、関羽や張飛がそうだった。どんな無様な姿を晒しても、義弟たちは受け止めてくれた。だから、安心して真っ直ぐ立とう、という気になれる。それは、倒れても支えてくれる人間が居る、という安心感があってこそだ。
 馬超には、居ないのだろうか。馬岱など、恐らく受け止めてくれるはずだろうに、それを馬超が良しとしないのか。
趙雲が馬超を弱い、と指摘したのは、その弱さを晒せないで意固地になっている男の心こそ弱い、という意味だったのだろう。ましてや、受け止めてくれる人間が傍に居ながら、見ようともしないところが、趙雲を珍しくも口論に招いたのかもしれない。
 しかし、ふと不思議に思う。
 では、どうして自分には、こういったことを話してくれるのだろうか。これこそ、弱さを吐き出しているに違いないではないか。
 馬超にとって、馬岱よりも劉備のほうが、その相手に相応しい、と無意識なのか意識してなのか、そう思っている、ということだろうか。
 そう思い当たると、堪らなく横に座っている男が愛しく思えてくる。
 なら、思う存分甘えてくれていいのに、それにしては劉備に対してやや構えているところはあるし、どこか緊張している。
 やはり、今までしてこなかったことをする、ということには慣れが必要、ということか。
「なあ、馬超」
「はい」
「父さん、と呼んでもいいぞ」
 ぐへ、ごほ、げほ……っと、飲み干したはずの茶でも逆流したのか、馬超は派手に(むぜ)た。真面目な顔のまま、大丈夫か、と背中を擦る。
「りゅ、劉備殿! 何を急に言い出すのです!」
「お前には甘える相手が必要か、と思い、何なら父親代わりになっても良いぞ、と思い。ほら、どーんと」
「何を言ってんですか!」
 真っ赤な顔は照れている証拠だ(と決め付ける)。茶碗を寝台の脇の小卓に叩き付け、馬超は立ち上がった。劉備も茶碗を同じように卓上に置くと、馬超の袖を掴んで思い切り引っ張る。
 動揺していたのか容易く馬超の体は傾いで、引いた劉備の腕に顔を埋める形で跪いた。んぐ、と胸元から呻き声が上がるが、劉備は構わず抱き締めた。
「いいか、お前は弱くていいんだ、馬超。それは悪いことじゃない。すぐには認められないかも知れないが、少しずつ慣れていけ。私が受け止める」
「劉備殿!」
 焦る声が聞こえる。相当に慌てている証拠に、「殿」の呼称をすっかり忘れている。
「離してください、そんなことは、俺に必要は……というか、離してくれないと」
 もがく馬超は、体勢の不利もあり、劉備の腕を解けないでいる。
「遠慮するな」
「遠慮ではなくて……! 俺はこれ以上、あんたに惨めなところを見せたくなくて」
「気にするな。私は構わん」
「俺が構う!」
 胸元からの必死の抗議はくぐもっているが激しい。往生際の悪いことだ、と劉備は呆れる。
「孟起!」
 思わず字(あざな)を口にする。びくり、と馬超の体が震えた。
「私は、どのようなお前でも受け止める。お前にここで居場所を見つけてもらいたい。答えを見つけてもらいたい」
 どうしてお前は歩いてこられたのか。曹操という仇敵を討つためだけが、原動力だったのか、そうではないのか。本当はもうそんなことはどうでもいい。
 ただ、この我を張り、弱さをひた隠そうとする男が愛しくなっていた。
 不意に、腕から抜け出そうともがいていた馬超の力の入れ具合が変化した。ぐいっと、体重を劉備に預けて、身体を抱えるようにして寝台へと押し倒した。



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