「宣戦布告」 劉封編 劉封×劉備 |
遠征に義父とともに発つ前、ひとつ約束をした。父に比べれば半分にも満たない人生の中でも、最大の勇気を振り絞り、約束をしてくれませんか、と申し出た。 約束? と突然の申し出に義父は訝しそうな顔付きになったが、聞くだけ聞こう、と促した。 「今度の遠征、私が存分な働きを見せたら、褒美をください」 なんだ、と訝しそうだった父の顔が崩れて、笑みが浮かんだ。 「当たり前だ。私の息子であるが、お前も一人の武人でもある。戦働きが華々しければ、褒美が取らす。むしろ、お前は息子としては何も欲しがらないからなあ、父としては物足りなかったのだ。この際、できうる範囲で褒美をやるぞ」 父は朗らかに告げている。 「それで、何が欲しいのだ? 禄だけは期待するなよ? 知ってのとおり我が軍はあまり俸禄とは縁がない」 いくら有能な軍師を得ようとも、金は雑草のように生えてはこんからな、と本気だともからかっているだともつかないことを言う。 「存じております。禄や位とかではございませんので。内容は、実際に私が活躍できてからお話します。望みだけ先に申し上げて、活躍できなければ恥ですから」 「……そうか、分かった」 父は頷いて、頭を軽く叩いてくれた。出逢った頃に比べ、体格はすっかり父と同じほどになったが、促すように、あるいは許すように頭を叩く手だけはいつも大きい、と感じる。 「行くぞ、封」 はい、と劉封は力強く返事をし、父の号令を待つ軍列へ駆けていった。 父との約束が背中を押し、戦では趙雲の副将、という立場ながらも先鋒を勤めて大きな戦果をあげることに成功した。義理ながらも数年に渡って傍に置き、成長を見守ってきたこともあり、劉備は父の顔をして目を細めて、息子の活躍に喜色をたたえていた。 遠征の帰り道も、今回の戦自体が圧勝であったこともあり、劉備は上機嫌で劉封のこともしきりに褒めていた。 「父上、お約束は」 「おお、もちろんだ。当たり前だろう、叶えてやるぞ」 念を押せば、力強い返事をもらえて劉封は安堵した。同時に、緊張も生まれた。こう父は言ってくれてはいるが、実際に自分が褒美の内容を口にすれば、今の笑顔も消えてしまうのでは無いだろうか。いや、消えることは確かだろう。 それでも―― ともすれば、散々悩んで腹を括った決意が揺らぎそうになるのを留めて、馬を操る手に力を込めた。 改まった正式な祝賀会は後ほど行う、ということなので、劉封は劉備と共に家に帰った。劉封にとっては劉備と同じく血の繋がりはない母、孫夫人と、劉備の子である劉禅が侍従たちとともに出迎えてくれた。 すでに亡くなっている甘夫人や糜夫人などの血が繋がらない家族との生活にはなれていた劉封は、すぐに孫夫人とも仲良くなった。夫人は女性らしくないほどの溌剌さを備えていて、劉封と年齢も近いことがあり、親子というよりはきょうだいのような近しさを覚えていた。 「お帰りなさい、封」 と微笑む姿は、嫁いできたときにはなかった女としてのしとやかさと母性がある。ただいま戻りました、と劉封も笑顔で返す。そして視線は自然と彼女の腰にしがみ付いている少年に向けられる。 劉備の血を受け継ぐ、嫡子である劉禅だ。久しぶりに会った父親に照れ臭さでも感じているのだろうか。もじもじとして、劉備が声をかけても孫夫人の影に隠れて出てこようとしない。 うっかり失笑しそうになったが、あえて真面目な顔をして、劉禅の頭へ手を置く。良く劉備が自分にしてくれているのと同じ要領だ。お帰りなさい、兄上、と子供らしい大きな目でこちらを見上げて、挨拶してくれる。 劉備の血を引いているから、なのだろうか。劉封はこの弟がひどく可愛く、庇護欲を掻き立てられた。好奇心が旺盛で、誰彼かまわず疑問をぶつけてくる。中には愚にも付かないことも多く、忙しく働く大人たちからはあしらわれていることも多い。 だが、少しだけ眉を垂れて困ったように真っ直ぐ見つめてくる顔を見ると、劉封は仔細に渡って面倒を見たくなってしまう。 今も、父親に駆け寄りたくて仕方がないだろうに、躊躇している小さな体を抱えて、強制的に劉備の前へ運んでやった。途端、劉備に近寄り、抱き上げられて嬉しそうにしている顔を見て、劉封も笑みをこぼす。 ありがとうございます、兄上、と劉禅の小さな口がそう言っていた。 久々に、家族が揃って食事をとった。血、という繋がりではきっと薄いであろうこの「家族」ではあったが、居心地は良かった。 ただ、劉封はこのあとに待つ、劉備への褒美の内容を告げるときのことを思うと、緊張は高まり、楽しいはずであろう夕餉の席も、まるで砂を噛むように味がなく、雲の上を歩いているかのようにおぼつかない。 気が付くと、劉禅に顔を覗き込まれて心配されていた。 この弟は、幼いくせにやたら考え込む癖があるようで、あれこれ人に聞きまわったかと思えば、急に黙り込んで小さい眉をいっぱしに寄せてうんうん唸っているときもある。 どちらかといえば、思いついたらじっとなどしていなく、一人でどんどんと歩き出してしまう劉備とは違う。あれこれ考えては、どうしたらいいのだろうか、と悩むらしい。だから人に良くものを尋ねるし、尋ねたあとは考え込む。 今も、何を思ったのか、父上は兄上のことが好きですよ、などと口にして、劉封を慌てさせた。 まるで、これから「事」を起こそうとしている劉封の背中を押すような、心の中を読まれたような気がして、知らずに頬が熱くなった。 考えた後、結論を出してから行動に移すまでが早いのは、父親譲りかもしれない。上手く返事が出来ないでいる兄を尻目に、弟は「父上に訊いてきます」と行動しようとする。 急いで引き止めて、膝の上に乗せて留めた。 あー、まったく。 自分の腕の中に、こんな容易くおさまる小さな者に背中を押されるようなことをされるとは。 「禅は恐いもの知らずだな。いや、正直者なのか?」 「なにがです?」 何も知らない澄んだ瞳が見上げてくる。 「ごめんな」 「なぜ謝るのです?」 お前の大好きな父上を、俺はこれから傷付けるかもしれないからだ、とは言えなくて、心配かけたみたいだからだ、と言い訳を口にする。 そうだ、傷付かずに、傷付けずに、この想いをぶつけることなど出来ないのだから、いい加減に腹を括るしかない。 踏ん切りがつき、ようやく笑みを浮かべることが出来た。 「緊張、していただけだから」 「緊張?」 「少し、な。……それに、俺はちゃんと戦で活躍したぞ?」 遠征で活躍できず、それで兄が落ち込んでいるらしい、と考えた劉禅を安心させるために、力強く答えた。 「本当ですか?」 「それこそ、父上に訊いてみるといい」 「分かりました」 頷いた劉禅は、劉封の膝から飛び降り、劉備の下へ歩み寄る。遠征中の話をしてほしい、と頼んだ劉禅に、劉備は快諾したらしく、膝の上へと小さな体を抱えた。 そんな真っ直ぐに向けられる劉禅の劉備への愛情表現に、劉封は知らずに羨ましい、と思っていた。ああして、ただ劉備に対して親子の愛情だけを求めていられれば、きっとこんなに苦しいことはなかったのだろう。 なにせ親子の情は、半分ずつではなく、きっと平等に注いでくれるに違いないからだ。しかし同時に、劉禅と平等に注がれる愛情では満足できない、とそれこそ駄々っ子のように叫んでいる自分がいるのも知っている。 劉禅が生まれるまで、自分ひとりに注がれていた父親からの愛情が、劉禅にも向けられるようになって、不思議と悔しさを覚えなかった。だのに、劉備が他の人間へ向ける愛情には嫉妬を覚えた。妬ましかった。 すでにその頃には己の心の在りどころに薄々と気付いていたが、ようやくはっきりした。 劉封は、劉備を好いている。 親へ対する愛情ではなく、ひとりの男として、慕っている。 それが答えのすべてだ。 劉備には、食事のあと部屋へ訪ねていき、褒美の内容を告げる、と言ってある。そこで己の気持ちを告げて、褒美として劉備を抱きたい。その許しをもらうつもりだ。 その結果次第では、この家で食事をとり、こうして笑い合えるのも最後かもしれない。 そう思えば、先ほどまで味など分からなかった食事が惜しくなり、劉封は一口一口を味わうように箸を動かして、時が過ぎるのを待った。 はしゃぎ疲れたのか、劉禅は話の途中で寝てしまい、孫夫人も劉禅を連れて姿を消し、食事も終わったので、部屋へ引き上げる段階となった。劉備は劉封を促して、自室へと招いてくれた。 「お前も随分ともったいぶるな。それで、どのような褒美がいいのか、いい加減聞かせてくれるのだろう?」 夕餉でだいぶ酒を飲んでいた劉備の目はやや据わっている。元々さほど礼節にこだわる父ではないだけに、だらしなく寝台の端にもたれ掛かり、胡床に座った劉封をからかうような笑みで見やった。 一方で劉封はいったん解けた緊張が舞い戻り、胡床でしゃちほこばっていた。だが、緊張を誤魔化すように飲み続けていた酒が、気を大きくさせていたのも確かだ。 『父上は、兄上のことが好きですよ?』 弟の邪気のない声が蘇った。 「褒美は……父上が、いいです」 声は思ったより震えなかった。 「私、か?」 不思議そうに劉備は聞き返す。 「父上と、同衾したいのです」 「それが褒美か? 随分と安上がりだな。むしろ褒美にせずとも、言えばいくらでもしてやるのに」 ほら、と劉備は笑いながら寝台の、足元のほうを空けてくれる。しかし劉封は足元へは向かわずに、劉備の身を預けている枕頭へ立ち、見下ろす。違います、と短く告げる。劉備の眉はわずかに寄せられて、見上げてくる。 その眼差しは劉禅とそっくりで、ああ、あの弟とこの父は、本当に血が繋がっているのだな、と頭の片隅で確信する。 「そういう意味ではありません」 土壇場になると、急に落ち着いてくるのは誰譲りだろうか。歳も近い関平が、初陣を飾った劉封に対して、初陣のくせに落ち着き払って、まったく。殿に似たな、と言ってくれた。それがとても嬉しかったことを思い出す。 劉備の肩を押す。酔っていたせいだろうか。それとも自分に対してまったく警戒心を抱いていないからだろうか。あっさりと劉備は寝台の上に倒れ、圧し掛かった劉封を見上げてまだ笑っていた。 「なんだ、どうした?」 今ごろになって甘えたい年頃にでもなったか、と状況を理解する気がないのか、劉備はけたけたと笑って身体を揺らしている。これは父が完全に酔っ払っている証拠だ、と何度も酔った劉備の介抱をしたことのある劉封は思った。 今夜のことがまともに記憶として残るかどうかすら怪しくなったが、それならそれでいい。こうなった劉備がやたらに人に甘えてくることも知っている。だから、ここまで酔った劉備を介抱するのはいつも家族扱いである関羽か張飛、劉封の役目、と決まっていた。 「父上……」 鼻先を酒の匂いが漂う劉備の首筋へ埋める。くすぐったかったのか、劉備はくすくす笑いながら身をよじる。こらー、やめろ封、と耳元で聞こえる劉備の声が若い劉封の劣情を煽る。 首筋へ唇を付ける。舐める。 ん――と劉備が気持ち良さそうな声を上げる。 背中に腕が回って抱き締められた。酒のせいで体温が高くなっている劉備の肢体が劉封の下にある。 「褒美を、いただきます」 「おお、もらっていけもらっていけ」 ぽんぽん、と二回頭を叩かれた。 胸が苦しくなったのは、ここへ来ても息子扱いされていることへの憤りか、それとも促してくれたことへの喜びのせいだろうか。 唇を奪った。柔らかくて湿っている劉備の唇を吸い、食み、舌を差し込んだ。 「ぅ……ふ、ん?」 漏れる吐息に、わずかだが不審さが混じったが、その頃には劉備の舌へ絡み、唾液を啜っていた。舌先を柔らかく噛むと、背中にあった腕が外れた。薄く目を開いて様子を窺えば、ぼんやりしたまま劉封の口寄せを受けている劉備の顔を捉えた。 衣の上から身体をなぞる。体温の高めの肌は、劉封の手のひらをじんじんと痺れさせる。胸の尖りをまさぐり、布地の上から引っ掻く。吸っていた舌がぴくん、と跳ねた。 酔っている父は思考が鈍くなっている代わりに、人の体温には過敏らしく、劉封の愛撫にも酩酊しているようだ。ついには、劉封の舌へ自ら舌を寄せて愛撫に応えはじめてしまう始末だ。 こんなにも簡単に身体を許してしまう父が少しばかり不満に思える。もっと抵抗するだろう、と思っていたのに、状況を理解していないとはいえ、これでは相手は誰でもいいように思えてくる。 唇を離すと、濡れた吐息をこぼして、劉封をぼんやり見上げている。 「父上、今から貴方の息子が、貴方を抱きます。よろしいのですか?」 余計なことと知りつつも、劉備に現状を理解させようと声をかける。このままなし崩しに抱いてしまったほうが早いだろうが、それでは意味がない。劉備が、誰に抱かれようとしているのか知っておいてもらわないと困るのだ。 「いいよ」 ところが、劉備から思わぬほどしっかりとした返事が聞こえて驚いた。 「……抵抗、されないのですか?」 嫌ではないのか、と問いかけたつもりだが、劉備は静かに微笑んでいる。 「褒美を与えると。お前の望みを叶える、と約束したつもりだが? 封は私と同衾したいのだろう。それを叶えるだけだ」 「父上は……」 俺の気持ちを知っていた? 「まあ、お前の父親だ。気付いてはいたが、本当にこうなるまでは、半信半疑でもあった」 見下ろして覗き込む劉備の双眸にはまだ酔いが残っているものの、理性は宿っている。 「酔っておかないと、お前と向き合えないだろう、と必要以上に酒も飲んでしまったが、どうだろうな。なんだか結局お前を誤魔化しているような気がする。褒美、という名目でしかお前の望みを叶えてやれないだろうし、たぶん、お前と同じ気持ちにはなれないだろう」 はっきりと告げられた。それでも、不思議と悲しくない。少しばかりの悔しさと、それ以上にきちんと自分のことを見て、理解してくれていた劉備の想いが嬉しい、というほうが大きい。 「それでも、私が欲しいか」 こくり、と頷いた。 愚問だったな、と劉備は笑う。何せ先ほどから劉備の腿に当たるように、滾っている自身を押し付けているのだ。 「父上――」 「封、あのな、やる、と言ってあれだが、この間だけ、それはやめておいてもらえるか」 「それ、とは」 「私のことを、父、と呼ぶ、それだ」 「……」 「いや、もう養子の縁を切るとかそういうのじゃない。ただ、父上と呼ばれれば、否が応でも息子に抱かれている、と意識してしまうだろう? それは少し……いや、かなり落ち着かない」 「では、劉備殿、でよろしいですか?」 出逢ったときに呼んでいた呼称を持ち出すと、ん、悪いな、と劉備は謝ったが、むしろ劉封はお礼を言いたい。 父上よりも劉備を劉備として呼んだほうが、父と息子ではなく、一人の男として向き合えたような気になる。 「劉備殿」 「封、手加減は、しろよ?」 少しだけ眉根を寄せた父へ、劉封は返事もそこそこに唇へ噛み付いた。 手加減は、恐らく出来なかったに違いない。 「こら……っもう少し、加減を……ぅ」 劉備の体を掴んで揺すると、悲鳴のような声で制されもした。何とか御そうするが、 「……っ――」 善いところを突かれて嬌声を上げる劉備を前に、御そうとした意思はことごとく切り捨てられる。本能のまま、ひたすら劉備を貪るように抱いた。 「ん……っだ、から」 悦楽に溺れて知らない声を漏らす男から、一瞬ばかり父親の声に変化したが、劉備はすぐに劉封の腕の中で身悶えて崩れる。 汗ばんだ背中が暗闇の中で薄っすらと光っている。劉封が掴んで離さない腰は、劉封の欲をぶつけるたびによじれて踊った。身を折って、深く劉備を貫く。 「――っひ」 眩暈がするような喘ぎが、耳孔から脳髄を貫いて、劉封を揺さぶる。すでに上下の感覚すらなく、ただ劉備の体温と喘ぎだけが劉封を現世へと繋ぎとめている。 「ちち、うえっ」 堪らず呼ぶと、劉封を締め上げている劉備の熱さが引き絞る。 「それは、やめろ、と」 ちらり、と肩越しに振り返った劉備の額には、汗が噴き出ているせいか髪が張り付いているのが闇に慣れた目に映る。 「申し訳ありません……っ」 謝りつつも、劉備を穿つ動きは止まらない。 「封、お前という奴は」 呆れたような語調が喘ぎに混じって聞こえた。 「劉備殿っ」 今度こそ、間違えずに呼ぶ。 劉備の乱れた息と、己の熱に浮かされた呼吸が収まったのは、夜も明けようとしていたころだった。 何とか起き上がれた父を庇いながら、中庭の井戸で二人揃って顔を洗っていると、劉禅が挨拶をしてきた。劉備と挨拶をかわし、劉封にも笑顔で声をかけたが、かすかに違和感を覚えた。 よく見れば、目は赤くあまり寝ていないようだ。はしゃぎ過ぎて眠くはなったが、結局寝付けなかったのだろうか。いま覚えた違和感は、そのせいだろうか、と劉封は思う。 部屋に引き上げようとした劉備を、劉禅が呼び止めた。 「父上は、兄上が好きですか?」 「――!」 何を唐突に、と顔が熱くなるのを意識しつつ、禅、と怒鳴るように弟を呼んでいた。だが隣で、 「好きだよ」 と父の声がした。 ぽん、と頭をいつもの調子で叩かれた。それから慈しみを込めて撫でられる。嬉しさと困惑がぐちゃり、と胸の中で崩れて潰れて掻き混ざる。 劉備の劉封に対する態度の、あまりの変化のなさが悔しかった。それは、劉備が同じ動作を劉禅に施したのを見て、強まった。 部屋に消えた劉備を待っていたかのように、劉禅が声をかけた。 「兄上」 「……なんだ」 胸の奥で燻っている悔しさが、全身から漏れている気がする。普段なら、せめて弟相手には隠せるはずだが、なぜか隠し切れない。 「兄上のことも、『私のことも』父上は好きなのだそうですよ」 「そうだな。二人とも好きなのだな」 改めて告げられて、劉備からの愛情は変わらず劉禅と平等なのだと知らされる。答える声に悔しさが乗っていた。 不意に、劉禅が笑みを浮かべた。挨拶をされたときは、どこか妙な笑顔だと感じたが、今は違う。いつも通り――いや、それ以上かもしれない。父親に似た、朗色をたたえた笑みだ。 どきり、とした。親子として、当然ふたりは似ていたが、いま強くそれを感じた。 「負けませんよ、封兄上」 「禅?」 言われた内容に、どきりとした心臓が、さらに早く脈打ち始める。 「負けませんから、絶対に」 それは……宣戦布告だ。 劉封と劉備の関係が、親子の一線を越えたのを同じくして、劉禅もまた、急に劉備を劉備として意識し始めたのだ。 もしかして、お前、昨日のあれを。 聞き返したい言葉が咽の奥から競り上がってきたが、飲み下した。 劉禅に、劉備に対する強い意識を生ませてしまったことに罪悪感を抱くとともに、負けられない、という闘志が湧いてきた。 さきほど、劉備が劉禅に同じ愛情を示したのを見て、いつも以上に悔しく感じたのは、もしかしたら劉禅をすでに弟として見られなくなったからかもしれない。 一人の男として、一人の想い人を競う相手として、知らずに感じたからなのか。 年端もいかない相手に抱く思いではない、と思いつつも、真っ直ぐにこちらを見つめる劉禅の眼差しに胸は熱くなる。 宣戦布告には宣戦布告を。 劉封は劉禅へ告げた。 「俺もだ。俺も負けない、禅」 それが漢と漢の勝負の条約だ。 そして最後に、拳と拳を付き合わせる。 戦いの、始まりだ。 おしまい あとがき 劉封は、弟が大好きだといいな、という。 だって、大好きな人の子供だもの。ライバルになったって、やっぱり可愛いんじゃないかな、とか。 息子×父に見せかけて、兄→←弟×父 だった、みたいな結果に落ち着きました。 劉封×劉備は、以前合同誌でも書いたので、あの続きにしてもよかったのですが、 読んでいない方も居ますので、再びお初に。 真っ直ぐな劉封ばかり書いてきたので、そろそろ捻くれている劉封も書きたいなあ、 という欲求がふつふつと(笑)。 さて、果たして御礼になったかどうか、はなはだ不安ではありますが、いかがだったでしょうか? 少しでも楽しんでいただけたのなら、幸いです。 |
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