「大道之交 7」
〜 劉備、曹操に招かれて許都に赴くも 〜
曹操×劉備


 汗で濡れた体を清めて、情後の気だるさに任せて劉備は牀臥に身を横たえていた。
「私が貴方に逆らう存在になるかもしれませんよ?」
 そこだけが分からないと、郭嘉がしきりに言っていただが、劉備も同意見だった。
 自分の価値に気付かされれば、劉備は当然のように曹操の下に留まることはしない。それどころか、機運を高め反旗を翻すことは曹操ならば容易く想像がつくことだろう。
 劉備の言葉を聞いて、同じように清め終わって横臥していた曹操は背筋を伸ばして座した。
「儂もお主と同じだった。儂がここまで来られたのは、幸運が重なっただけだ。天が道を作り出してくれただけに過ぎぬ」
 そう思っていた。
「だが、あるとき気付いた。天の意志、それは確かに存在するだろう。しかしその意志に逆らうも従うも、結局は己次第であり、また逆らうときも従うときも、一人では決して出来ぬ。傍らに立ち、儂を支えてくれる人間が必要だと知った」
 負け戦の苦い酒の味も、勝利に酔った美酒も、男は幾度も経験してきている。ともに味わってきた者たちを大事にしている。歩いてこられたのは、決して一人の力ではないことを知っている。
 どうしてこのような男が、己と同じ時代に生まれて、前に立ちはだかっているのだろうか。
 炯々とした瞳が劉備を射抜く。
「それからだ。天の声は聞く。しかし何より道を作るのは儂自身だ。儂と儂を取り巻く者たちだ、と決めた。お主が天子や民に慕われる男で、天が具象したものだとしても」
 曹操は、劉備に天の意志を見ているのだ。劉備(てん)がもしも己の道を阻み、しかしそれでも曹操が道を敷き続けることが出来たなら、それが本物の天(たみ)の意志である、と証明できる。
 そのためには、劉備を天の意志に相応しい器、と気付かせなければならなかった。結果、曹操の敷く道を阻む結果になろうとも。
「それでも儂は儂の道が尽きるまで、歩み続ける。儂が思い描く天を、この広大な大地に描いてみせる。決して天が敷く道など歩まぬぞ」
 遠くに去っていった稲光が曹操の双眼に宿ったかのようだった。
 劉備を、天が表した道だと例え、それでも曹操は己の道を拓く、と言い切った。
 ゆっくりと、劉備も身を起こした。
 腹が立つほど、何もかもに優れていて、やることは派手で華がある。だからこそ、大いに恨まれ、大いに好かれる。
 これほどの男に、己は求められたのだ、という自負が劉備に生まれていた。
 この男が一生涯を大地に身を横たえる、と言うのなら、自分は一生涯を天に漂う雲としよう。
 天子を支える大地に男がなるなら、自分は民が安らげる空を作ってみせる。
 同じように曹操の前に座し、稲光を受け止めた劉備の双眸も、確かに雷光を放っていたに違いない。

        ※※※

 手渡された包みを弄りながら、曹操は遠くに消えていく軍影を見送る。
「あー、やっと行きやがった」
 清々した、と言わんばかりに曹操の隣で郭嘉は伸びをした。二人が並ぶのは許都の楼閣であった。袁術の討伐に出陣する劉備を城門より送り出し、ここへ来た。
「で、主上は何を渡されたんです、それ?」
「沓だ」
 別れ際に渡された包みは、劉備に頼んだ沓だった。強請(ねだ)ったときはずいぶんと煩わしそうにしていたが、結局作ってくれた。
『包みを開けるのは、私が去ってからにしてください』
 なぜかそう言われたので律儀に守り、軍影が消えるのをこうして見守っていた。
「ふぅん、器用な奴ですね」
「興味あるか? 郭嘉はずいぶんと劉備を意識しておったからな」
「まったぁ〜、あのね、俺は主上一筋なんです! 他は眼中外ですって」
 膨れる郭嘉を見て、曹操は笑い出す。
「そうか、それはすまなかったな、奉孝」
 たまにしか呼ばない字で呼んでやれば、膨れていた面(つら)が赤くなる。
 あー、やだやだ、この人。そうやって突然甘くするんだから。
 などとぶつぶつと呟き始める。
「ほら、そろそろ開けてもいいんじゃありませんか」
 照れ隠しなのだろうが、郭嘉に促されて軍影が地平線の向こうへ消えていったことに気付く。
 ならば、と包みを解くと、現れた物に瞠目する。
 青白く光る銀糸で刺繍が施された甲の部分が目に付く。複雑な紋様で描かれてはいるが、空を走る雷光を意識したものとすぐ分かる。
 持っているときも思ったが、ひどく軽い。恐らく極限に革や布地を薄くしているのだろうが、それでいて華奢な感じは受けなかった。何より、一針一針を丁寧に刺しているのが、均等に並んでいる縫い目で分かる。
 作った者の技量と、熱意、想いが曹操の掌に伝わってくる。
「ったく、あいつどんだけ器用なんだよ」
 素人とは思えない出来栄えに、さしもの郭嘉も舌を巻いたようだ。
「貰い受けたぞ、劉備」
 甲に走った銀糸が、陽光を受けてキラキラと輝く。
 それは折りしも劉備の双眼に宿った光と、同じ輝きをしていた。



 終劇



 大道之交――劉備、曹操に招かれて許都へ赴くも―― おまけ



「でも、寸法合ってるんですか、それ?」
 憎い相手を褒めてしまったのが気に喰わなかったのか、郭嘉が負け惜しみのように曹操に試着を促す。
「ここまでする男がそのようなヘマはせぬよ。寸法も測っておったしな」
 と言いつつ、曹操は郭嘉の肩を借りて沓を履き替える。
 案の定、曹操の足をすっぽりと収め、きつくも緩くもない。
「うむ、完璧だ」
 と、しかしすぐに違和感に気付いた。それは郭嘉も同じだったようで、あれ? と首を傾げた。
「主上、おっきくなりました?」
 曹操が小柄なのは周知の沙汰であるが、小さいはもちろん、大きいという言葉も禁句である。すかさず郭嘉の頭を思い切り叩くが、視界は明らかに先ほどと違う。
「あてて……。すいません、つい口が滑って。ちょっと、その沓見せてくださいよ」
 曹操の履いた沓を片方受け取り、郭嘉は中を覗き込む。
「あ、これ上げ底になってますよ。外からはどう見ても普通の沓なのに。あはは、これなら少し主上の背も大きく……っいってぇ!」
 またしても失言した郭嘉の頭を、奪い取った沓で思い切り殴り付ける。
 拍子に、布がひらり、と舞い落ちる。
 筆を使い慣れていないことが良く分かる、癖のある文字で何かが書かれている。

『これを履くと、少し背が高く見える、
 という優れものです。
 よろしかったらお使いください。
 ささやかなる想いを込めて。
 劉玄徳』

 たぶん、これは劉備なりの、曹操を受け入れたことによる意趣返しなのだろう。素面で男に抱かれたのだから、少々の恨みごとは言わせろ、ということで、
「りゅ〜〜び〜〜、貴様、覚えていろよ〜〜!!」
 もうすっかり姿が見えなくなった男へ向かって、曹操が怒鳴り散らすほどには、十分な効果があったようだ。


「兄者、楽しそうですな」
 馬の背に揺られながら顎鬚をしきりに撫でている劉備に、関羽が声をかける。
「いや、会心の作が出来たのでな。これからは沓も本格的に作ってみようか、と考えていた」
 そうですか、と少々呆れ顔になった関羽は、押し黙る。
「名を付けるなら何が良かっただろうか」
 楽しげに思案する劉備に、

 ――シークレットブーツがよろしいかと思います。

 そう教えてくれる人間がいなかったのは、言うまでもない。



おわる





 あとがき

 ここまでいかがだったでしょうか。同人誌からの再録となります。
 最後にここまでの雰囲気ぶち壊しのおまけが入っていますが、本だったときは、袋とじでした(笑)。
 そんな手間をかかる真似をしたのも良い思い出です。

 この頃になると、大人しい劉備が書けなくなっていて、なんだかやたらに元気一杯の劉備です。おかげさまで書きやすかったのですが。
 曹操とのやり取りはもちろん、密かなお気に入りは郭嘉とのやり取りでしょうか。たぶん劉備は郭嘉好きなんです。でも、郭嘉は劉備のこと大嫌い(笑)。そんな感じです。
 あと、簡雍や孫乾をたくさん登場させているのは、仕様です。

 さて、では少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 2008年11月16日 発行
 ↓
 2010年9月 再録




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