「口は災いの元なのか 3」
 曹操×劉備


 不意に、後ろから抱きすくめられて、劉備は仰天した。
「曹操殿っ?」
「機嫌取りに来たなら、もう少し付き合え」
「はぁっ?」
 抱きすくめられたまま、ずるずると寝台のほうへ引きずられていく。
「ちょっと、曹操殿、それは出来ないと申し上げたでしょう」
 てっきり諦めたもの、と油断をしていた劉備は、焦って曹操の腕から抜け出そうとする。だが、場数の違いなのか、こういうことに持ち込まれると俄然曹操のほうが一枚も二枚も上手だ。
 いや、こういうこと以外にも、曹操は幾多も劉備の上を行く。
(だから嫌いなんだ)
 悪態は口に出来ず、心で吐き捨てる。なぜなら、すでに寝台に縫い止められて、唇は唇で塞がれていたからだ。
 今度は深く唇を吸われる。ぞくり、と淡い悦が首筋の辺りを襲う。
「ぅ……う、ん」
 呻いて抗おうとするが、曹操は力加減を知っているのか巧みに劉備の自由を奪っていく。
 舌が挿し込まれて、逃げを打った劉備の舌を追い駆けて、絡まった。噛んでやろうかとも思うが、それも強く顎を掴まれて阻まれる。
 柔らかい舌の感触が、舌だけでなく劉備の抵抗力さえも絡めて吸われるようで、力が抜けそうになる自身の体を叱咤した。
(機嫌取りだろうと、ここまでやる気はない!)
 なのに、舌が上顎をすりっと擦れば、ひくっと体は震えてしまう。
 意識を確かにしなければ、その快さに身を委ねそうになる。気を保つためにも、咄嗟に瞑っていた目を開いて、曹操の顔を睨み付けた。
「――っ」
 近過ぎて、視界の中で曹操の顔はぼやけるが、その目は開かれ、劉備を見つめていた。絡み合った視線は地中深くで絡み合う根っこのように、互いを一つだと教えているかのようだった。
 どくどく、と騒ぎ立てる心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
「……ぁは」
 離れた唇に息を吐き、顎を掴む手が緩んだところで顔を背ける。
 外れた視線に安堵した。
「劉備……」
 耳朶の傍で響く曹操の声が甘さを含んで、ゆるり、と劉備を縛り上げる。
「離してください」
 声が震えなかっただけましか。
「申したはずです。これ以上は出来ないと」
 拒むその端から、腰帯を解かれてしまう。
「曹操殿!」
 せっかく逸らすことの出来た視線を、また絡ませてしまう。
 この双眼には、世の中はどう映っているのだろうか。色彩豊かに、何もかもがこの男の好奇心を刺激するもので溢れている。そういう風に見えているのだろうか。
 自分は、劉玄徳という人間は、その溢れんばかりの事象の中のどの位置にいて、どんな大きさで捉えられているのだろうか。
 いつかふと思ったそのことが、劉備の頭を過ぎる。
 今、自分のなぜか泣きそうに歪んだ顔が映っているこの瞳は、本当に自分だけを映しているのだろうか。
「気に入りません」
「何が気に入らない」
 劉備に心から嫌われていない、と知った途端、すっかりいつもの調子に戻っている曹操は、憎たらしい顔で聞き返してくる。
「何もかもです」
 もう機嫌伺に来たことなどどうでも良かった。いつもはのらりくらりと誤魔化す言葉も、馬鹿馬鹿しくてやっていられなかった。
「貴方は望めばどんな女でも男でもご自身のものに出来るのに、どうして私にばかり構うのです」
「お主は何か勘違いしておる。儂はそこまで万能ではない。何もかもが手に入るのなら、今頃この大陸は儂のものだぞ? ましてやそこに生きる人々が思いのままになるなど、驕りだ。そんなことはお主が一番理解しているだろう」
「……っ」
 どうして、どうしてこういうときばかり正論を振りかざすのだ。いつものように、筋の通らない子供のような理屈を捏ねれば、まだ可愛げがあるというのに。
「気に入りません」
 むしろ、子供のように駄々を捏ねているのは劉備のほうだ。
「貴方はそれでも恵まれている。天眼を持ち、人を動かす術を知り、運もある。そんな男を前にして、同じ男として私が……」
 私がどれだけ惨めな思いをしているか。
 口にするには自尊心が邪魔をしたが、それは口にしたのも同じことだ。
「やはりお主は勘違いをしておるな。お主は自分を過小評価し過ぎだ。儂は、お主は儂と比肩する男だと認めている。いや、儂と肩を並べることが出来るのはお主だけだ」
 射抜く視線は熱くもなく、ただ真実を伝える淡々とした清廉さを放っていた。
 自分は、この両眼にそこまでの大きさで捉えられていたのか。
 絶対唯一、と。
 そう言うのか。
「気に入りません」
 それをどうして今言うのだろうか。
「強情だ」
 文句を告げる言葉はなぜか楽しそうに響いている。
「ならばこうしよう。お主は機嫌取りに来たのだろう。抱かせぬのなら、もうしばらく儂は政務には戻らんぞ」
「卑怯です」
 そんなことをされては、劉備はどれだけ吊し上げられる羽目になるか、想像に難くない。
「はて、むしろありがたい、と言ってくれると思ったが」
「そんなわけないでしょう!」
「そうか? 今のお主には必要かと思ったのだが、違うか?」
「何を持ってそのようなこと」
「抱かれるのに理由を欲しがっている。そうではないか?」
 曹操の唇の端が持ち上がった。
「……」
 目を逸らしたら負けだ。分かっていたが、劉備は目を伏せた。
「ならば、これは機嫌取りだ。そのためにお主は儂に抱かれる。それで良いか?」
「聞き返さないください」
 そう返したのは、劉備の精一杯の虚勢であったが、それすらも見抜かれているような気がした。
 だから気に入らない。
 諦め切るには我が疼くが、抗うには全てを握られてしまったようで、劉備の全身から力が抜けた。
 袍が肌蹴られて、隙間から曹操の指が入り込んできても、抵抗はしなかった。
「好きにしてください」
「それもつまらないが、まあいい」
「我侭め」
 聞こえないように呟いた。
 袍の隙間から入り込んだ不埒な指は、劉備の胸を捉えて弄んだ。くすぐったさに身を捩るが、構わず指はそこを刺激し続ける。
「女ではないのですから、そこは感じませんよ」
 思わず笑いながら言う。
「初めのうちはそうかもしれん。だから、儂がお主をそういう体にしてやろう」
「それは困りました。私としてはこれっきりのつもりなのですけど?」
 肩から袍を引き下ろされて、上半身が露わになる。そこへ曹操の唇が下りてきて、胸へと口付ける少し前に言った。
「これっきり、などと言えないほどくしてやる」
 柔らかな唇に小さな粒は挟まれた。その感触に一瞬だけ甘い疼きが背筋を襲う。
「どうですかね」
 しかし口から出たのは否定の言葉だが、もう曹操は答えなかった。舌が粒をねぶり、這い回る指は弾力を増したそこを摘んだ。
 曹操は自信があるのか、焦った様子もなく少しずつ劉備の体を昂ぶらせていく。感じないとはいえ、人の肌が入念に肌を撫でれば、それなりに心地よい。しかもそれが、嫌悪の感情を抱けなくなった相手ならなおさらだ。
「……ん」
 思わず声が漏れて、急いで口を手で押さえた。ちらり、と視線を曹操へ向ければ、にやっとしている表情と出会う。
「あまりだらしない顔をされますと、威厳がなくなりますよ」
「お主、段々遠慮がなくなってきているぞ」
「これが本来の私ですので、お気に召さないのでしたらすぐにでもお止めになられたらどうです?」
「いや、それも良い」
 するっと曹操の手が局部を撫で上げた。油断をしていたところだったので、劉備は声を殺し損ねる。
「っぁ……」
「こちらも、中々好い」
(好色め!)
 罵る言葉はまた下肢を撫でられて飲み込んだ。
 薄い布地の上から、乱暴ではないが確かな強さで刺激を送り込まれて、劉備は寝台を蹴った。その拍子に曹操の体は足の間に入り込み、素早く残りの衣を取り去ってしまった。
「手慣れて、いらっしゃる」
 少しでも快楽から気を逸らしたくて劉備は口を動かす。
「嫉妬か?」
 しかしそれもどうも墓穴を掘りがちだ。
「呆れ、ているのです、よ」
「その方が、お主が痛い目を見なくてすんで良いのではないか?」
 強く扱かれた。咽が反れて、寝台に擦れたサクから髪が抜け落ちた。
 さすがに、胸と違って直接に感じる部分だけある。悦の波は強く、軽口を叩ける状況ではなくなってくる。それどころか、口を開いたらどんな声を上げてしまうか分かったものではない。
 咄嗟に口を掌で覆う。
「……っ……ぅ」
 必死で波をやり過ごそうとするが、曹操の指は巧みに劉備から悦楽を引き出していく。
 声を殺そうと躍起になるせいか、自然息は荒くなる。それをさらに手で抑えているのだからなおさらだ。
 快楽と息苦しさに頭がぼんやりしてくる。だからか、視界から曹操の顔が消えたとき、一瞬追い駆けそびれた。しかしどこへ行ったかはすぐに分かった。
「――っひ、ぁ」
 すでに立ち上がりかけていた下肢を、曹操の口が咥え込んだのだ。いきなり強く吸われて、眩暈に似た感覚に襲われる。そこから曹操の口へ魂ごと引き摺られるような感覚があり、身震いした。
「ぁ、や……っ」
 拒む声を上げて、曹操のサクを掴む。引っ張ろうとするが、それに対抗するように曹操は下肢を強く咥え吸い込むものだから、劉備の指は力を失って脇に落ちた。
 両手で口を押さえ、きつく瞼を閉じた。
 せめて視覚からでもその光景を消さなくては、快楽に流されそうだった。だがそれはすぐに失敗だったと気付いた。
 視覚の情報を奪ったせいで、触覚と聴覚が研ぎ澄まされてしまったのだ。
 這い回る舌の感触が生々しく感じられ、一度入ってきた視覚の光景が頭の中で何度も繰り返し浮かび上がった。聴覚は卑猥な水音を拾い上げて、それをさらに克明なものとさせる。
「そ、うそ……うどの」
 するすると空いている手が肌を撫でる。指先が胸まで伸びてきて、硬くなっている粒に触れた。
 びくっと体が跳ねて、下肢の熱がさらに上がった。
 口淫は結局劉備がそこで達するまで続けられ、
「はな、して……くだ……いや、……っだ、ぅぁ」
 拒み続けた声は無視された。
 大きく劉備の肢体が震えて、それが幾度も続いた後に力を失うまで、曹操はそこから口を離さなかった。
 吐精感にやや自失していた劉備は、頬を撫でられて自分が泣いていたことに気付いた。追い詰められ過ぎて流した生理的なものだったが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「可愛い顔をする」
 曹操が覗き込んで言う。かっと頬が熱くなったのは、怒りと恐らく羞恥のせいだ。
「貴方の目は節穴だ。こんな歳になった男を捕まえて言える言葉ではありません」
「愛でるものに年月など必要ではない。そこに存在しているそれ自体を儂は愛でる。お主がこうであるのも、その歩んできた年月のおかげであろう。ならばそれ自体も対象だ」
(ああいえば、こういう)
 どうも口論では勝てそうにない。そも、自分は口下手なのだ。世を渡るためにある程度の処世術はあっても、曹操には遠く及ばない。
「早く済ませてください」
「誘い下手だな、劉備」
「文句は聞き入れませんから」
 曹操は忍び笑って、ならば少し辛抱しろ、と言って寝台を下りた。戻ってきたときには小瓶を持っていて、その中身を指で掬った。
「房事で痛い思いを相手にさせるのは儂の主義に反する。大人しくしていろ」
 男同士での房術は、劉備も知識ぐらいはある。思わず眉をしかめるが、ここまでくれば同じこと、と腹を括った。
「そういう潔いところも、儂は気に入っている」
 それが伝わったのだろう。曹操は楽しそうにしながら劉備の足を持ち上げた。
 ひやり、とした感触が秘所に宛がわれた。指が秘所の入り口をほぐす様な動きを見せて、また離れた。再び指がひやりとした感触と共に戻ってくる。恐らくは香油の類だろう。ヌルヌルとした感触が背筋をむずむずさせた。
 劉備の呼吸を計っているのか、ふつっと指が入り込んできたとき、思った以上の痛覚には襲われず、異物感だけがあった。
「痛くは、なさそうだな」
 小さく頷く。指が様子を見ながら奥へと入っていく。その感触に力が入りそうになるが、曹操に唇を塞がれて抜けていく。
 離れた唇は弧を描いていた。
「素直なお主も好いものだ」
 気恥ずかしさに顔を背けるが、その拍子に指を締め付けたらしく、息を詰めた。爪の先が中のある箇所にぶつかったのが分かる。
 びくん、と体が跳ねた。
 例えようもない悦だった。背筋を駆け抜けた悦楽は鋭すぎて、今のが快感だったのか痛覚だったのかさえ判別が付けられないほどだ。
「……っ曹操殿、動かさない……で」
 あまりにも未知の感覚に近かったので、劉備は訴えていた。しかし曹操の口元は深く弧を描いただけだった。
「っや……ぁ、あ……く、は……ぁ」
 身悶えする劉備を、曹操は愉しげに見下ろしている。また、じわりと眦に涙が浮かぶ。
「あ、あ……」
 強すぎる快楽に夢中になっている間に、曹操は順調に劉備の体を拓いたらしい。指が抜かれて、熱い塊が秘所に押し付けられた。
 そんなもので貫かれたらどうなるか、劉備は咄嗟に逃げを打とうとしたが、押さえつけられた。
「あぁ……っっくっんっ」
 割り拓かれる感覚に悲鳴混じりの喘ぎがこぼれた。
「劉備……」
 かぶりを振る劉備の耳元で、曹操の声が囁かれる。
「曹操、殿……」
 劉備が名前を呼んだのをきっかけに、曹操の楔が動き始めた。あられもない声を上げながら、劉備はそれを受け止める。胸を掠めていった指に、今度はひどく感じたことだけが強く残った。



          ※



「気に入りませんね」
 劉備が曹操へ行った言葉を、今度は劉備自身が聞かされた。
 曹操に抱かれたあくる日のことだ。
 回廊でばったりと程cに出くわした。
「何がでしょうか」
 聞き返せば、程cは相変わらずにこりともしないで、上から威圧的に見下ろした。
「私たちがどれだけ宥めすかしてもああはすぐに元に戻りはしないのに、貴方と会ってから殿の全くあの上機嫌ぶりと来たら。何やら腹が立ってくるほどです」
(それは逆恨みではないのか?)
 そう思ったが、劉備は一切を表に出さなかった。
「それは何よりです」
 あれだけ体を張ったのだ。機嫌が直らなかったらそれこそ腹の立つ話だ。
 まだ痛んでいる腰をそっと撫でながら、劉備は顔をしかめた。
 そんな劉備を見下ろして、程cはふん、と鼻を鳴らした。
「まあ、殿の機嫌が良いことは喜ばしいことですが、一つ忠告しておきます」
「何でしょうか?」
「人通りの多い所と窓を開けた状態での睦みは止めて頂きたいですね。どこから情報が漏れるか知れませんよ」
 ひくっと頬が引き攣るのを何とか堪えた。
「それは、貴方のような方が利用するから、でしょうか?」
「そうです。私だから良いことにしか利用しませんが、これが殿に敵愾心を抱いているような者たちへ漏れたら、と思うと……」
 恐ろしい……と呟く程cだったが、恐ろしいのはあんただ、という劉備の心のつっこみが入ったのは言うまでもない。
 つまり程cは全てを承知の上で劉備をけしかけたのだ。
「老獪」
 絶対に聞こえないように呟いた劉備は、程cのまだ何か言いたそうな顔付きからさっさと逃げたのだった。

「遅いぞ、劉備」
「申し訳ございません、曹操殿。貴方の優秀な参謀に捕まっていましてね」
 曹操の執務室に入った途端の文句に、劉備はすかさず返した。
「程cか」
「ご存知でしたか」
「さっきまでここで説教をしておった。悪食も大概にしろ、とか抜かしおったわ」
 悪食、とは劉備のことだろう。
(あのジジイ……。自分から仕掛けておいてよく言えたものだ)
「年寄りになると少々偏屈になるからな。こんな美味いものはそうそうないぞ?」
 素早く劉備は曹操から距離を取って、寄せられた唇をかわした。
「逃げるな」
「逃げますよ」
「素直でないな」
「ええ」
 にっこりと微笑んだ。
「ならば構わん。儂は関羽と親交を深めるとする」
「そういえば、私が従うとでも?」
「さて、どうかな」
「生憎と、今日の雲長は誰とも会いたくないそうで。いくら曹操殿といえども無理でしょうね」
 何せ、劉備が散々関羽の髯で編み物をしたので、自慢の髯はボロボロなのだ。これが治るまでは絶対に誰とも会わないし外へ出ない、と関羽は泣きそうな顔で宣言していた。
「ならば、お主が付き合え」
「さて、どうしましょうか」
 腹の探り合いはしばらく続きそうで、しかし二人の顔はどことなく楽しそうだ。
 それはどこか、それこそ地中深くで繋がっている根っこだから、地上で分かれていても平気なのだ、と自負しているようだった。



 終





 あとがき

 そんなわけで、今回の最大の被害者は美髯公と山田さんでした(笑)。我が侭な君主たちを持つと苦労が耐えません。

 劉備と曹操、結構似た者同士かも、と思い作中で根っこが〜、とか語っております。目指している方向は違えども、出発点は同じかな、とそういう解釈はしております。

 ま、難しいことはなしにして、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。程cさんにはちょっとだけ悪者になってもらいましたが、決して嫌いなわけではないのであしからず。

 では、ここまでありがとうございました!




目次 戻る