「【en】−演− 1」 【en】シリーズ 2014年版 劉備編 諸葛亮×劉備(合作水魚) |
背負った籠の重みが両肩に食い込んでいるが、私の足取りは軽かった。久しぶりに男の顔を見られるのだ。かつ、この重みはその男が喜んでくれるだろう、と思い遠路運んできた。 重みは期待の大きさだ。 ただ、私は自分の思惑が大きく外れたことに、落胆をしている。そうなると、今度は重みはそのまま足取りを重くしかねない。 いかんいかん、とひとまずは、と気持ちを切り替える。 男の部屋の前に立つ衛兵に、身振りで人払いを、と命じる。すでに何度も同じようなことをしているせいで、心得ている衛兵は、小さく笑って下がっていった。 そして伺いを立てることなく、私はことさら明るく男の部屋へ入る。 「孔明ー、いま帰ったぞ!!」 「おかえりなさいませ。我が君。随分と遠くまで出かけておられたようですね」 落胆で沈んでいた心も、孔明の顔を見ると霧散した。柔らかい笑みと普段どおりの落ち着いた口振りが目の前にあるのだ。我ながら単純だとは思うが、浮き立つ気持ちは抑えられない。 「ああ、良いところだったぞー。ほら、お土産だ。山菜に、きのこに、柿も実っていたのでもいで来た」 「とても、美味しそうですね。お心遣い感謝いたします。余暇を存分に楽しんでこられたご様子、なによりでしたと。言いたいところですが…。これも私の勤めですから」 私がここまで運んできた籠の中身を説明しながら見せる。 孔明が喜んでくれるだろう、と吟味した品々だ。実際に、美味しそうだ、と口にしたにも関わらず、急に眉間の辺りの雲行きが怪しくなった。言いたくはないが、という口振りだ。 「……?」 何か言い辛いことでもあるのだろうか。 おかしいな、柿が嫌い、というわけでもあるまい。山菜はむしろ孔明のほうが好きなぐらいだし。まさか、きのこが毒きのこかどうか心配しているのだろうか。まあ、確かに昔、誤って毒きのこを食べたこともあったが……。 何を言い出すのだろう、と小首を傾げる。 「殿。貴方はご自身の立場をどのようにお考えでしょうか。もし万が一、僅かな不注意から貴方の身に何かあれば、貴方の志に賛同し、付き従ってきた我々はどうなるでしょうか?」 「あー、うん、なんだ、そうだな」 なんだ、と拍子抜けして、沈痛そうな表情を浮かべて語りかける孔明へ生返事する。 そう、私――劉玄徳が机に向かって煩雑な政務をこなすのが嫌で、度々城下へ繰り出すのは、何も珍しいことではない。 息抜きだ、と言い訳もするし、視察だ視察、と胸を張って宣言もするし、演習の見学、民との交流、などなど理由はたくさんある。 今では戻ってくれさえすればいい、と思っているのか孔明もあまり煩く小言を言うこともなくなった。 ただ、今回は幾日も城を空けた。もちろん、さすがに書置きは残した。 『出かけてくる』 ――以前、同じようなことを書き付けて数日城を開けたら、戻ってきたときに雲長や子仲(糜竺)、孔明にこっぴどく叱られた。だから今回はちゃんと『ちょっと』と付け加えておいた。 そもそも、この書置きは孔明のためだったし、そんなことをしなくとも、この男はどこからか私の居場所を調べ上げ、把握しているのだ。 ましてや、武人でもある私の心配など無用だ、といつも言っているのに、心配性の帰来がある男は、事あるごとに小言を口にする。 「ただの杞憂で終われば問題ないのです。しかし起こってしまえば、我が君の元に集まった人々の思いも、私の思いも、拠り所を失い悲しいですがやがて霧散してしまうでしょう。貴方にはそれだけの求心力があり、我々全ての光なのです」 「ん〜、まあお前の心配も分からないでもないが」 切々と訴えてくる男に、退きそうにないぞ、面倒くさい、という思いが湧いてくる。大体、言いたいことはこちらもあるのだ。それを私の舌が闊達に動かないものだから、孔明の話を聞くばかりだ。 「すいません。折角楽しんでこられたところに、水を差すようなことを申してしまい…。ですが、…心配なのです」 「別にお前が恐縮して、頭まで下げることじゃないだろう」 身を入れずに聞いていたが、孔明は両手を床に置き、頭を深く垂れて諫言を私の耳に入れたことを詫びたものだから、さすがに焦った。 「いえ、こうして無事にお戻りになられたのに、つまらぬ事を申しました。ただ、頭の片隅にでも、杞憂を抱き心を痛めるものが居ることを留め置き下さい」 「分かった! 分かったからもういい加減に顔を上げろ。これでも、真っ先にお前のところへ戻ってきたのだぞ? そう説教ばかりされては落ち着いて話もできん」 折れたのは私だった。俯き、平伏したまま陳情されては、折れるしかないではないか。この男は私の弱いところを良く知っている。 「では、今後は御身の事を労って下さるのでしょうか?」 「……努力はする」 まだ、孔明の頭は下がったままだ。私の身を案じての苦言であることは重々承知している。それでも、退屈で窮屈なことの多い政務から抜け出すことを絶対にしない、とはさすがに約束できず、私にしては精一杯の言葉を選んで返答とした。 「ありがとうございます。よく、戻ってきて下さいました」 ようやく、孔明は顔を上げてくれた。上げる際に、目元を袖で拭くような素振りが見えた。本当に、私のことを――自分で言うのもあれだが――不真面目で誠実な態度で政務を行っていない私の身を、本当に心配し、涙ながらに訴えた、ということだ。 それでも、私に見せた顔は、曇り空から陽が射したような晴れやかな笑顔で、一瞬ばかり見惚れてしまう。 つづく |
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