「饅頭とタレのラプソディー 1」 諸葛亮×劉備 |
ごろり、と劉備は寝返りを打った。狭い馬車の中だ。寝返りを打てる範囲など高が知れている。すぐに壁に当たり、また反対へ寝返る。 ごろり……。 眠れねえ。 長い一夜が明け、朝日が降注ぐ中での天への 身も心も擦り切れるような、のた打ち回って お前は誰だ。 お前は誰なんだ。 お前はただの劉備か。 何者でもないだろう。 まだだ。まだまだだ。 生きろ。 大勢の声々に全身がたぎる。 ああ、そうさ。 おいらは何者でもない。まだ何者でもないや。 だからこれから生きる。 おいらが生きることでもっともっとこの世が乱れて混沌になろうとも、生きて生きて、生き抜いて、おいらは天に そう、嚢の中身に、嚢に語りかける。 孔明の奴は天下の器、だとか言いやがった、そいつにおいらは懸けるのさ。 徳 まっすぐ心のままに生きる。 おいらの 孔明か……。天下の民の笑顔を見たい、というおいらの夢を甘い恋心だと言い切った。みんな(民)を盾にして曹操に対抗すればいい、とも言った。劉表どんを言葉で殺そうともした。 いちいち腹が立つ言動を取る奴だ。 だけど、だけどなぁ。 あいつはおかしな奴だ。 曹操以外は大抵のものを容れてしまう劉備の んー、曹操どんは大きすぎて入らねえってのは分かるんだけども、孔明の場合は妙な形をしてっから入らねえって感じだなぁ。 そこが面白いといえば面白いし、劉備という饅頭に例えて天下に食わせようとするときに、孔明という例えて饅頭にかけるタレにするならば、あれぐらいヘンチクリンなほうがいいのだろう。 って、あー。また同じこと考えてやがる。 ごろりごろり、と寝返り数回。 再び壁に当たり、反対側へ転がる。 馬車がぎしり、ぎしりと揺れるたびに、関羽はちらり、と片目を開けて見やる。 隣では張飛が天をも割れる大鼾をかいて寝ている。鼻がひん曲がるほどの臭いを発していた男も、強制的に河で洗わせて(劉備が河へ落とした)何とかマシになった。 「劉備殿は眠れないようですね」 こちらも返り血や自分自身の傷の手当てをして、元の涼やかな 「 「昂ぶっているときは、 小さく口元を綻ばした趙雲は、音もなく立ち上がった。無言の眼差しで行き先を訪ねると、答えた。 「私もです。特に人が大勢いるせいか、寝付けそうにない。少し離れたところに行きます」 ん、と関羽は頷いた。 野営を組んでいるが、曹操の追軍は可能性として皆無だ。兵たちも少数を残して休ませている。死地から逃れた兵たちに休息は必要だ。もちろん、張飛や趙雲にも与えるべき時間である。 必然的に、軍船を回すために戦線を離れていた関羽が劉備の身辺を守る役目を負うことになる。ただ、江夏に居た劉gとも合流を果たしている。神経を尖らす必要性はなかった。 「長兄」 立ち上がり、馬車の外から声をかける。 「ん〜、なんだ」 すぐに返事が聞こえた。やはり一睡も出来ていないようだ。 「少し、人を下げましょうか」 眠れぬと身体に障る。しかし気が張っている上に、人の気配が満ちているところでは休まらない。兄の身を気遣ったが、 「いやー、でもみんな寝てんだろう? 起こすには忍びねえから、いいよ」 もそもそと這い回る音がして、幕が上がる。にぃっと笑う劉備の顔だけがそこから覗く。 月明かりの下でも、一回りも二回りも男が大きくなったのが伝わり、また関羽の涙腺が緩む。 「それよりも、関さんこそ休みなって。あんたの気配が一番でかいんだからさ」 もっとも安眠を妨害している、と言われて、緩んだ涙腺も引き絞られる。じろり、と睨み付けてから、では寝させてもらおう、と言い放つ。 周りは劉gの軍で囲まれている。襲撃の心配もない。何より、不穏な空気を感じ取れば目が覚める。長年染み付いた習慣がそうさせる。 関羽は馬車より少し離れた木立の根元を陣取り、偃月刀を片手に蹲る。 月が雲に覆われ、薄闇を濃くしていった。 ひとつの影が劉備の馬車に近付くところを、誰も見ることはなかった。 むくり、と劉備は半身を起こす。 駄目だ、眠れねえ。 身体は疲れ切って休ませろ、と訴えているくせに、頭の中はグルグルと同じところを回り続けているし、下腹の奥は高揚感が残って煮立っている。 眠れるはずがない。 しょんべん行くか。 もよおしているわけではなかったが、気分転換に、と馬車から降りようとしたときだ。 「眠れませんか、玄徳様」 耳元で囁かれて、劉備は悲鳴を上げた。 「ぬあぁあ! 孔明、てめえ、また妙な現れ方しやがって!」 どうやって馬車の中に潜り込んだのか、今さら問い掛けるのも馬鹿らしい、神出鬼没な男である諸葛亮が、背後から劉備へ囁いたのだ。そりゃあ仰天するというもの。 飛び退いて、その勢いで馬車から転げ落ちそうになるのを、諸葛亮が腕を掴んで引き止めた。 「そうそう、そういう反応を私は待っていたのですよ」 わけの分からないことを言いながら、諸葛亮はぐいっと掴んだ腕に力を込めて、劉備を馬車の中に戻した。すると鼻をくすぐるこの男の独特の臭いが劉備を包む。 うげぇ、と顔をしかめる。 だいぶ慣れたつもりだったが、密閉空間に押し込められると鼻を衝く。 何の臭いだか、劉備には全く分からない。 花なのか香なのか、薬草なのか。 劉備の鼻が嗅ぎ分けられるのは食べ物と酒と女と、危険が迫ったときの焦げるような匂いだけだ。 鼻の頭にしわを寄せたまま、何の用だよ、と尋ねると、ちょこんと膝を抱えて座り(大男のくせにそういう格好が妙に似合っていた)にこり、と笑った。 「安眠をお届けしようと思いまして」 へえ、と素直に驚いて喜んだ。 さすがは一手も二手も先を読むことに長けた男だけある。曹操軍の動向の把握や劉gの増援など、諸葛亮の指示がなければ成し得なかっただろう。 「おいらが眠れねえっておめえには分かるのか」 「はい。正と奇が――玄徳様の中にある正と奇の安定が崩れておりますから。そういう時は、安らかに眠ることはできません」 正と奇ねえ。 諸葛亮の言う正と奇は、やはり劉備には良く理解できない。 「要するに、お天道様とお月さんが交互に出ねえと人間、いつ起きていつ寝て良いか分からねえってことか?」 諸葛亮の目が満月のように丸くなる。月明かりしか射し込まない馬車の中で、三つの瞳孔がキラキラした。それから「ふふっ」と笑う。 「貴方はいつでもそうですね。感覚で物事を捉えますが、意外と図星を指す。面白いお方です」 抱えていた膝を揃えて前に付き、身を乗り出すように劉備へ身体を寄せてきた諸葛亮は、二つの瞳の中に浮かんでいる三つずつの輝きをぴたり、と据える。 不思議な目だなぁ、と見つめ返して劉備はぼんやり思った。 そんな具合にぼぉっとしていたことが悪かった。 ちゅ、と音が唇の上で立った。 「〜〜〜〜〜っっっ!!」 声もなく飛び退く。再び馬車から転げ落ちそうになるところを、諸葛亮の腕がまたしても引き止めた。 「学習なさらない方ですね」 呆れ顔の諸葛亮に、劉備は唇を押さえたまま吐き気を堪えていた。 文句を言いたくとも口を開くと胃の中の物が逆流しそうだ。腕を離せと掴まれている手首を振るが、がっちりと捕らえられていた。 男に……男に口を吸われたー! 嫌な汗が全身から吹き出ている。突発的な吐き気をやり過ごして、劉備はごしごしと唇を手の甲で拭いながら男をねめつけた。 以前からベタベタと纏わりつくし、鼻に唇を寄せられたこともあった。『そっち』の気があることは薄々と察していたが、こうもあからさまなことをされたのは初めてだ。 「……ここできっちりはっきり言っておくが、おいらは男を抱く趣味はねえぞ。期待すんなよ」 珍しくも首を傾げて何を言われたか分からない、という素振りを見せた諸葛亮だったが、ああ、と頷いた。 「それはもったいない。男同士も男女で交わるほどの悦びがありますのに」 ぞわっと鳥肌が立つ。あわわ、と腰が引けた。関さん、益徳、子龍〜、と呼びたいが恐怖のあまり声が出ない。百戦錬磨の劉備でも、この男の怪しさは苦手だった。 「そもそも、今のは友好の証です」 「そんな友好の証はいらねえ!」 そうですかと、しゅん、となる諸葛亮に、荒げた息を整えつつ、もういい加減に話題を逸らしたくなった劉備は、話を元に戻した。 「それで、おめえの言う正と奇ってやつは、どうしたら戻せるんだ」 はい、それはですね、と萎れていたのが嘘のように目を輝かせる男に、劉備はよくよく表情の変わる奴だ、と呆れる。 「そちらにうつ伏せになってください」 「何もしねえか」 「何もしないで元に戻せません」 唇を尖らせる諸葛亮に、劉備はうろんな視線を投げかける。 「玄徳様が嫌がるようなことはしません」 きりっと真面目な顔で言われて、渋々劉備は敷かれた寝具の上に横たわる。先ほどのこともあり、警戒心むき出しになるのは仕方がないだろう。 「正と奇、今回にいたっては精神と肉体ですが、これをつなぎ合わせることで、あるべき流れを作り出します。それには少々身体に触れないといけません」 断って、諸葛亮の掌が足に触れた。びくっと条件反射で硬直したが、当てられた手が足の裏を揉み始めると、勝手に力が抜けた。 「んあ〜……こいつは気持ちいいぜ」 うっとりと目を細めて、腕を枕に目を瞑る。 「足の裏には、 諸葛亮は足のあちこちを揉み、時折強く押し込みながらあれこれと説明している。もちろん、劉備は半分以上を聞き流しつつすっかり寛いでいた。 ふ〜ん、へえ〜、と気のない相槌を打ちながら、忘れていた眠気に誘われ始めていた。 「そして背中ですが、こちらは腕や足の強張りを取り除き、全身を寛がせるツボがございます。 あ〜、おいらには関係ねえなぁ、とうつらうつらしながら呟く。すると、なぜか諸葛亮はくすくすと笑い始める。 「ええ、確かに」 命門だとか言うツボは腰の辺りにあるらしく、諸葛亮はぐいぐいと押していたのだが、その手を止めてしまう。途端、劉備はいつの間にか 「ぬあっ? どういうことだ、こりゃ」 「どういう、などと。別段、不思議ではありませんでしょう? 元より元気のある玄徳様の性欲を刺激してしまったのですから」 「ちょっと待て」 これじゃあ眠れん、と文句をつける。意識をしたら最後、むずむずする息子を抱えて一人寝など出来るはずがない。しかし、身体は諸葛亮の整体によってすっかり力が入らない。 「ご安心ください。こちらも、ちゃんとあるべき流れに戻します」 くるん、と鉄板の上の肉でもひっくり返す手軽さで、劉備の身体は仰向けにされる。目の端にすっかり 「ああ、これはお辛いでしょう。ではさっそく」 あっという間もない。制止の声を上げたときには衣はたくし上げられて(何せ元々下穿きは穿いてないままだ)、息子は諸葛亮の口の中だった。 「だあ〜〜、おめえ、なに考えてやがる!」 力の入らない腕で床をずり上がろうとするが、両足を諸葛亮の脇に挟まれて叶わない。全身が鳥肌に包まれる中、息子に絡みつく暖かい柔らかなものに悲鳴を上げる。 「やや、やめろって……んあっ」 ちうぅっと吸われて妙な声が出る。恐ろしいぐらいに真っ直ぐな眼差しで「どうして?」といわんばかりに諸葛亮が見つめてきたので、ばっきゃろー、と喚く。 「男に息子咥えられて嬉しいかってんだ」 「ひぇも、ひぇんろくひゃまのひょひょは、ひひゃいひゃひゅよ?」 なに言っているかさっぱり分からない。 (意訳・『でも、玄徳様のここは、違いますよ?』) 「おいらのを咥えたまましゃべんなってーの」 頭を思い切り叩く。力は入らなかったものの、良い音がした。諸葛亮は少し痛そうに顔をしかめたが、口淫をやめるつもりはないらしく、口腔を蠕動させた。 「だから……やめろ……って」 股間に顔を埋めている諸葛亮の髪を引っ張るが、脇に挟まれた足を締め上げられて再び悲鳴を上げる。 「いてえ、いてえって……ちょ、こーめい!」 ツボの位置だけでなく、人体の弱点も知識として備えているのだろう。力勝負に持ち込めば勝てるはずだが、諸葛亮の的確な締め技に根を上げる。 勝てない戦には手を出さない。 劉備の、生き残るための鉄則だった。ただ、中には例外もあり、時に意地で出陣することもある。 今がそのときだろう、こりゃあ。 と思うのだが、息子を人質に取られ、関節を決められていては手も足も出ない、完全なる負け戦だ。 本物の息子を失っても動揺しなくなったが、自分の股間にいる息子には未練タラタラだ。失いたくはない。 舌と上顎に挟まれて女の中とも思しき快感が這い上がる。 「うあっ……孔明、おめえ巧すぎ、だ……」 「ふぁりひゃとうごひゃいまひゅ」 これは、分かる。ありがとうございますだ。 って、褒めてねえっての! そういえば、益徳が初めて孔明を見かけたとき、変態ポン引き( 諸葛亮の手足となり、情報を提供している人間たちはほとんどが女で、妖しい雰囲気を漂わせている。手管に長けている印象はあったが、男の扱いも心得ている、ということだろうか。 無造作に垂らしている諸葛亮の髪を掴んで引っ張る。 「おいらの嫌がることはしねえって言ったじゃねえか」 さすがに髪の毛を引っ張られ続けるのは煩わしかったのか、諸葛亮は劉備の一物から口を離して、顔を上げた。むぅ、と不満そうに唇を尖らせたまま、文句をつける。 「このまま放置されるほうが、よほど辛いでしょう」 「女抱く」 「居ませんよ」 唯一生き残った甘夫人は激しい逃避行にすっかり体調を崩して寝込んでしまった。後はむさい男ばかりだ。掴んでいた髪を離して言う。 「おめえ、女を連れてただろうが」 「彼女たちはもう 「じゃあ、自分でする」 「人と交わるほうが気持ちいいでしょうに」 「だからって男は嫌だ」 困った方だ、と眉をひそめる男に、困った奴はおめえだ、と唾を飛ばす。男同士でもさほど変わりませんよ、と言う男へ、変わるわ、阿呆、と返す。変わりません、変わる、違いません、違う……と散々に子供同士の喧嘩のような言い合いを続けて、お互いに息を切らしたところで休戦する。 「理屈をがたがた並べ立てるのが貴方でしたでしょうか」 息を整えた諸葛亮が再び正座して、真面目に問い掛けてきたものだから、劉備も胡坐を掻いて向き直る(もちろん、裾は元に戻した)。 「理屈じゃねえ。気持ち悪いから嫌なんだ」 「では、気持ち悪くなかったら良いわけですね」 「そりゃあ、まあな。でも、相手が男ってだけで駄目だ」 「……天が男だったらどうします」 「あん?」 「貴方が甘い想いを抱き続けている天が、男だったらどうします」 「天に男も女もねえだろうが」 「ですが、貴方は恋をしている、と言いました。甘っちょろい恋心でもいい、と言いました。そして、貴方は惚れられている、とも」 ああ、言った。確かに言ったな。 「天は必ずしも優美でたおやかな女性の姿をしているわけではありません。ときに張飛殿のように荒々しく、趙雲殿のように厳しく、関羽殿のように重いかもしれません」 そうかもな。 「それでも、貴方は天を戴く、と言い放った。ならば、どのような天であろうとも受け止めねばなりません。そのために、男と交わってみるのも良い機会ではありませんか」 「……あのな、孔明」 耳たぶをいじりながらため息を吐く。 「だから、おいらには理屈は通じねえの。それ、屁理屈だろうが」 「貴方こそ、さっきからのらりくらり、と。本当に気持ち悪いか悪くないか、試してから文句付けてくださいませんか」 どうやらついに諸葛亮の忍耐が限界に達したらしい。ちらり、と狂気にも似た色が瞳孔に覗き、げっ、と呻いた。 こいつ、頭に血が上ると大暴れしやがる人種だ。 やべえ、と身を引こうとしたが、相手が早かった。 まだ治まっていない息子をむんず、と掴まれた。 「だあ〜〜〜、いてえ、いてえって」 悲鳴を上げる。愛撫という段階を俊足で駆け抜け、握り潰されるかと思う力が掌に込められている。 「黙りませんと、不能にしますよ」 「おお、おめえ、同じ男としてそれがどんなに辛いか分かるだろうが!」 「黙りなさい」 「はい」 本気の気配を感じ取り、素直に口を噤んだ。 どすっと仰向けに倒されて、圧し掛かられる。 おいおいおい、本当に男とヤらねえといけねえのかい。 しかし抵抗しようにも抗議しようにも、再び息子が人質だ。しかも今度は本当に脅迫されている。 おめえ、おいらに臣下の礼をとったくせに、酷くねえか。 「なあ、孔明……んぐ」 恐る恐る噤んだはずの口を開こうとしたが、唇を塞がれた。 |
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