「どこまで耐えられる?〜汚濁 1〜」
鬼畜攻め台詞10のお題 9より
 諸葛亮×劉備


「もう金輪際、絶対にお前とは同衾などするものか!」
 珍しくも激昂している主を見上げ、諸葛亮は小首を傾げて聞き返す。
「本当でございますか?」
「本当だ!」
「どうあっても?」
「くどい!」
「では仕方がありませんね。殿の命には逆らえませんし。失礼します」
 もっと食い下がってくる、とでも思っていたのか、あっさりと引き下がった諸葛亮を、劉備は薄気味悪そうに眺めている。
 そんな劉備の前で、寝台を降りて、乱れた衣を整え直し、諸葛亮は恭しく礼を取った。
「失礼いたします、殿」
 いつもなら、またな、とか。気を付けて戻れよ、とか。
 何かしらの言葉がかけられるはずだが、今夜に限っては無言だ。
 相当、主の機嫌が悪いことが窺える。だが、諸葛亮はあえて劉備の怒りそうな言葉を選んでみた。
「その強がり、どこまで耐えられるか、見届けましょう」
「孔明!」
 予想通り、劉備の声が鋭くなる。
「絶対だ。絶対にお前と同衾などせぬからな!」
 諸葛亮の目の前で、勢いよく戸が閉められた。
 中の人には分からぬように溜め息を吐き、諸葛亮は自室へ戻るために踵を返したのだった。



          ※



 ことの発端は些細なことだった。
 忙しい合間を縫っての、貴重な同衾の夜、諸葛亮は山積みだった未決済の書類を何とか片して、嬉々として劉備の寝所へやってきた。久しぶりの同衾で、本来ならもっと短い周期でそれが回ってくるのに、このところは激務が続き、それも叶わなかったのだ。
 さっきも、半ば強引に仕事を切り上げた、と言っても良かった。
 いつものように、劉備は笑って諸葛亮を迎えてくれたが、少し酔っているのか上機嫌であった。
「何か良いことでもございましたか?」
 尋ねると、うむ、と実に嬉しそうに頷いた。
 寝台に寝そべっている劉備の枕元に椅子を寄せながら、諸葛亮は先を促した。
 体を重ねる以外にも、こうして主と他愛もない会話をすることも、諸葛亮にとっては幸せな時間であったので、今日あった出来事を話し始める劉備へ耳を傾けた。
 今日の予定では、劉備は趙雲と馬超の鍛錬を見学したのち、黄忠と魏延の演習を鼓吹する、というものであったはずだ。
 日頃、卓上へ向かっていることの多い劉備のために、時に息抜きのための日程を組むことがある。それが今日であった。それが思いのほか楽しかったらしく、それを話して聞かせたかったようだ。
 諸葛亮から見ても、劉備はどうにも書卓へ向かって物事を為す、ということを不得手としているようで、集中力を欠いては怠けているのを知っている。それを励まし、説得し、ときには宥めつつやる気にさせるのも、諸葛亮の仕事といえば仕事だった。
 そんなときと、そしてもう一つの劉備の性質を除けば、いたって諸葛亮は劉備のことを心より慕っていた。三度の庵への訪れから始まり、益州という地を得た今にいたるまで、この主についたことを後悔したことは一度もない。
 それほどに、会うべくして会った人である、と思っていた。
「……結局、趙雲が一勝をもぎ取ったところで再戦は後日、となったのだ」
「そうですか、今回は趙雲殿に軍配が上がったのですね。あの二人も武を磨くことに余念のない方たちですからね」
「そうなのだ。あの二人の打ち合う姿を見ているとな、真剣でありながらも、まるで舞を見ているかのように美しいのだ。その内に、自分まで卓越した武を持つ人間のように思えてくるほどだ」
「左様ですか」
「それにな、見るたびに二人の槍さばきに磨きがかかっているようで、段々目でも追いかけられなくなっている」
 趙雲と馬超の鍛錬を、事細かに、それは熱心に劉備は語る。その顔がまた、自分が誇れる武人にでもなったかのように、己の喜びであるように語るのだ。まるで幼子が目を輝かせ、今日はとてつもないことが起きて大変だったのだ、と親に話して聞かせるような、そんな無邪気さがある。
 それへ対して、諸葛亮はそれこそ劉備より年下であるにも関わらず、子供の自慢話を熱心に聞く親になったかのように、丁寧に相槌を打つ。
 そうしながらも、ふとした隙間に胸をちくり、と刺す嫌な感覚を覚える。
 それは、とても滑らかな触り心地の良い卓上の表面を愛しく撫でたのに、不意にささくれ立った小さな棘に指を刺されるような、不快な感覚だった。
 その覚えのある感覚を押し込めながら、諸葛亮は表面上は変わらずに微笑んでいた。
「……黄忠も、本人には絶対に言えぬが、あの歳とは思えぬ軍さばきでな、見ていて惚れ惚れした」
 話題は、黄忠と魏延の演習に移っていた。
「少しでも軍列を乱した者を見かければ、自ら飛んでいき手本を見せる。厳しくもあるが、とても分かりやすい。また、兵の心理に詳しいのだな。少しでも兵が手を抜いた、と感じれば激しく叱責をするが、逆に褒めるべき瞬間を見極めているようだ。それが兵士たちにいい緊張感と達成感を与えるようで。あれこそ、長年戦場に立つ者がだけが持ちうる呼吸なのだろうな」
「ええ。年長者扱いをすればお怒りにはなるでしょうが、老練した技というのはやはり黄忠殿の持ち味でしょうね」
「私も同じようなことを黄忠へ言ったらな、やはり怒ってしまった。だがしつこく私が褒めたせいだろうか。最後には苦笑してしまってな、殿には敵いませんな、と言っておった」
 分かる気がする。劉備からの賛辞は劉備へ仕える者たちにとっては何よりの褒美だ。それを惜しみなく与えられては、さすがの頑固な老兵も怒りが静まったのだろう。
 また、つくっと棘が刺さり、胸に腹立たしいような感情が湧き起こるが、いつものこと、と抑え込む。
「しかし、魏延は不思議だな。あの風貌で、あの口調であるにも関わらず、軍の士気が高い。なぜだと思う?」
「さあ?」
 今までと違い、思わず素っ気無い返事となってしまう。
「お前は相変わらず魏延のこととなると、口数が少なくなるな」
 呆れたように劉備に言われるが、こればかりは仕方がない。正直自分でも良く分からないのだ。確かに異質な風体ではあるが、劉備を慕っていることは疑いようもない。それは劉備に対する態度を見ていればよく分かる。
 だが、それとこれとは別なのだ。
 自分の中で、どうしても魏延へ対するこだわりが捨てられない。表立って排斥することはしないが、わだかまりがあることは確かだ。それがどこから来る感情なのか、諸葛亮自身も分からない。
「……そのようなことはないのですが。そうですね、推測するに魏延の軍の士気が高いのは、分かりやすいからではないでしょうか」
「ほお」
「魏延はあの通りの語調ではありますが、指揮は単純で理解しやすいですし、余計なことは言いません。個人技に関しても将としての器はあります。ですから、慕う者もいるのでしょう」
 こうして促されれば、冷静に魏延について述べることも可能ではあるのだ。ただ、これが本人を目の前にすると、どうにも上手くいかない。それだけのことだ。
「なるほどな。あやつは純粋であるからな。そこを理解するものが現れれば、少しは違うのかもしれんな」
 何やら真剣に魏延のことを考え始めた劉備を見て、また胸に刺さった棘が疼いた。
「どう思う、孔明?」
「さあ」
「また素っ気無くなるな。いい加減にお前も魏延を認めてやれ。……そうか、むしろお前が魏延を認めたなら、他の者も魏延の良さに気付き交流が図れるのではないか?」
 まるで一世一代の素晴らしい策を思い付いた、と言わんばかりの劉備の興奮に対して、諸葛亮は咄嗟に嫌悪の顔を隠せなかった。
「何だ、問題でもあるのか」
 すかさず、不満そうに劉備の眉が眉間に寄った。
 しまった、と思ったがもう後の祭りである。
「それは殿の頼みでも出来かねる、と思い……」
 正直に告げた。
「なぜだ」
 なぜだ、と問われても自分で説明できない感情ゆえの抗いだ。上手く説明できないが、それは不可能だ、と思った。
 沈黙してしまった諸葛亮を見やって、劉備は珍しくも怒っているようだった。
 大概は穏やかな気質で、あまり感情の起伏を出さない人であるに、相当諸葛亮の態度が気に入らなかったに違いない。
「どうしてだ」
 重ねられる問いに、いつものように明瞭な答えが思い付かない。
 適当に「そうですね、努力してみます」と答えればいい、とも思うが、劉備を相手にそのような真似はしたくなかった。かと言って、拒む理由を説明することも出来ない。
「魏延は真っ直ぐな男だ。誤解を招きやすいが、しっかりとこの国のことも考えてくれているし、私を慕ってもいる。頼りになる、大事な将の一人だ。それを国を支える第一人者のお前が嫌っていては示しがつかんだろう」
 そんなことは劉備に言われずとも分かっている。
 だからと言って、何も今でなくともいいではないか。
 じわり、といつもは澄み切っている湖の底に、黒いドロドロしたものが滲み出てくる。
 何もこの、貴重な同衾の時間であり、政務を離れた久しぶりの二人きりの時間で、他の人間のことに時間を割かなくともよいではないか。
 先ほどから胸で疼いている棘が、ゆっくりと形を変えていくのを感じる。
 普段ならば徹底して隠し通せる思いも、なぜだか上手くいかない。
 澄み切った湖に浮かぶ泥を、いつもなら掬い上げて捨てることなど容易いのに、今は手からこぼれ落ちて、さらにも湖を濁らせる。
 そこに棲んでいる魚すら、穢してしまうほどに。
「殿は私と魏延、どちらが大事なのですか」
 まだ魏延の良さを語っていた劉備を遮って、諸葛亮は低く尋ねた。
「何を……」
 自分の話を途中で遮られ、むっとしたようだが、その問いに劉備が眉をひそめた。
「比べられることではない。どちらも大事で、どちらが欠けることも許せない。だからこそ……」
 続けようとする劉備の体へ覆い被さり、半ば強引に、続く言葉を唇で塞いだ。
「――っん」
 苦しそうに呻いたのは驚いた最初だけで、劉備は諸葛亮を突き離した。
「まだ話の途中だ」
 眼下で睨む劉備へ、さらにまた口付けようと顔を下ろすが、拒まれる。
「孔明!」
 怒りが露わになる。
 これ以上はいけない、と頭の隅を警告がよぎるが、濁った湖は元に戻らなかった。
「殿と私の時間に、他の人間の話など聞きたくありません」
 言い切り、そして後悔する。
 怒りが浮かんだ劉備の瞳の中に、傷ついたような光が見えたからだ。
 そんなつもりはなかったのだ。他の人間のことでも劉備と話せるならば楽しかった。例えそこに微かな嫉妬が芽生えようとも、それでも有意義な時間であるのだ。いつもなら、その芽生える嫉妬の棘も、しっかりと摘み取り、湖を汚す泥も掬える。
 決して、劉備を傷つけるつもりはなかった。
 しかし、今日は抑え切れなかった。摘めなかった、掬えなかったのだ。
「お前がそんな風に考えていたとはな。知らなかった」
 傷ついた光が消えて、また怒りに染まる劉備の双眼へ、諸葛亮は首を横に振る。
「それは……」
「いいわけは聞きたくない。それがお前の本心であろう」
「違います」
「お前が嘘を言っているか否か、私には分かる。先ほどの言葉は本音だ」
 いいわけを許されず、決め付けられ、諸葛亮は消沈しつつも憤る。
 確かに本音が混ざっていたのは認める。けれども、久方ぶりの同衾の時間、想い人の口から他の男の話ばかりされて、自分が少しも不快にならない、とは考えられなかったのだろうか。
「今夜はお前との同衾はなしだ」
「それは――!」
 告げられた言葉に憤りが強くなる。
 劉備の体の両脇に付いた手が、ぎゅっと固くなる。
 自分がどれほどの苦労をしてこの時間を作ったと思っているのだ。劉備と語らう時が欲しくとも、自分がやらなくてはならないことは山積みで、それを片付けるのも劉備のため、と思い我慢もしていた。
 その中からようやく作った時間なのだ。それをこんなあっさりと反故にされるなど。
「嫌です」
「孔明?」
 強い拒否に劉備の目が険しくなる。それでも諸葛亮は引かなかった。劉備の衣を剥ぐように肌蹴させ、露わになった鎖骨の辺りに強く吸い付いた。恐らくは快さよりは痛みで劉備の体が跳ねるほどに、強く跡を残した。
「やめろ! 孔明!」
 体を跳ね除けられて劉備が諸葛亮の下から抜け出した。寝台から降りた劉備は一喝した。
「このような真似をするなら、もう金輪際、絶対にお前とは同衾などするものか!」
 激昂した主を見上げ、諸葛亮は小首を傾げて聞き返す。
 急速に憤りが冷ややか怒りへと変わっていくのが分かる。
「本当でございますか?」
「本当だ!」
「どうあっても?」
「くどい!」
「では仕方がありませんね。殿の命には逆らえませんし。失礼します」
 もっと食い下がってくる、とでも思っていたのか、あっさりと引き下がった諸葛亮を、劉備は薄気味悪そうに眺めている。
 そんな劉備の前で、寝台を降りて、乱れた衣を整え直し、諸葛亮は恭しく礼を取った。
「失礼いたします、殿」
 いつもなら、またな、とか。気を付けて戻れよ、とか。
 何かしらの言葉がかけられるはずだが、今夜に限っては無言だ。
 相当、主の機嫌が悪いことが窺える。だが、諸葛亮はあえて劉備の怒りそうな言葉を選んでみた。
「その強がり、どこまで耐えられるか、見届けましょう」
「孔明!」
 予想通り、劉備の声が鋭くなる。
「絶対だ。絶対にお前と同衾などせぬからな!」
 諸葛亮の目の前で、勢いよく戸が閉められた。
 そうして、中の人には分からぬように溜め息を吐き、諸葛亮は自室へ戻るために踵を返したのだった。



          ※



 そんな劉備との諍いから、すでに五日が過ぎていた。
 未だに、劉備と口を利いていない。
 売り言葉に買い言葉で喧嘩別れとなったことを後悔していない、と言えば嘘にはなるが、劉備の態度に許せないものを覚えたのも事実だった。
 だからこそ、こちらから歩み寄る素振りを見せないのだ。
 とは言うものの、まさか劉備のほうから折れさせるわけにもいかない、とも思っていた。劉備は君主であるし、そのような立場の人間に臣下である自分へ謝らせるなど、あってはならない。
 それが、君主と臣下という立場を越えて、情人同士という関係であっても許されない。
 最終的には自分が折れるしかないことは重々承知だ。だからこそ、少しでも劉備に自分の憤りを理解して欲しくて、折れる気配を見せていないのだ。
「あの、諸葛亮殿?」
 しかし、そんな二人の間に立たされた者ほど、不幸なものはない。
 今もその第一の被害者とも言える人物が、諸葛亮へ恐々と話しかけてきた。
「何ですか、馬謖」
「その……、殿と何かあったのでしょうか」
 兄とは違い、白くはない眉を寄せながら、馬謖が聞いてきた。
「なぜそのような?」
「あ、いえ……」
 キョトキョトと落ち着かなさげに馬謖は視線を彷徨わせ、助けを求めるように隣の人物へと目を向けた。その人物は一つ溜め息を付いて、馬謖の代わりに口を開いた。
「誰もが察しておりますぞ、諸葛亮殿」
 物怖じをすることを知らないのか、費イは諸葛亮を見つめた。劉璋に仕えていた重鎮であったが、この肝が据わったところが気に入られ、今では蜀を支える人間として欠かせない存在となっていた。
「殿と諸葛亮殿が風波を起こすなど珍しいことではありますが、正直申せば、兄弟けいていかきせめぐのは見苦しいのです。早々に元の鞘に収まっていただきたく、こうして諫言しております」
 相変わらずの歯に衣着せぬ物言いに、諸葛亮は苦笑いする。馬謖などはあまりの物言いに顔色を悪くしているほどだと言うのに、本人はいたって困っているのだ、という不機嫌さを隠そうともしない。
 そろそろ、誰かが言いに来る頃だろう、という予感はあったのだが、こうも面と向かって言われるとは思っていなく、諸葛亮は苦笑いを隠せない。
「どのくらいに知れ渡っていますか?」
「察しの良い人間はほぼ」
「ああ、やはりですか」
「分かっておいでなら、お早くお願いします。気の弱いものなど、胃痛に悩まされておりますぞ」
 そう言う費イの横で馬謖が胃の辺りを押さえているのが、何とも痛ましい。もっとも、この場合の胃痛の原因は費イの端的な口振りのせいが大半であろうが。
「やはり殿のほうから露見したのでしょうね」
「貴方は一切に表にはお出しにならないが、あの方は隠し事は出来ぬ性質ですからな」
「困りましたね」
「困っているのは私たちも同じです。喧嘩の原因はあえて聞きませんが、お二人が不和でいらっしゃるのは国内、国外にも聞こえが悪い」
「国外は大袈裟かと思いますが」
「だが、間者はどこに潜んでいるかは分からぬのです。この機を狙い、仮にも離間の計など行われたらいかがなさるおつもりか」
「それこそ大袈裟ですよ、費イ。私と殿の仲はそのように容易く壊れるものではありませんから」
「これはまた自信ありげなお答えだ。では、頼みましたよ、諸葛亮殿」
 にやり、と費イが笑い、念を押してきた。
(これはめられましたね)
 思わず笑う。費イなりの、きっかけを掴めないでいる諸葛亮への後押しと皮肉が混ざったやり方に、まんまと嵌められたようだ。
 みぞおちを押さえて呻いている馬謖を促して、費イは退室していった。
(潮時なのですかね……)
 ふう、と一つ溜め息を吐いて、諸葛亮は後少しで片付きそうな書簡へと筆を走らせた。



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