「玉磨かざれば 光なし 6」 関羽×劉備 |
「俺にとっての一番は、玄徳、お前だ」 『盧先生は、俺にとって大事な人だった! その人を目の前で、見捨てたんだ! お前が止めて台無しにした!』 詰(なじ)った劉備の叫びに、知らず関羽は答えていた。 『お前は何だ! 俺の弟だろう! 俺の我が侭を叶えたいのだろう!! ならどうして邪魔をした!!』 「お前が手にする天下を見たいから、俺はいの一番にお前を守るのだ」 疲労が溜まり、泥のように眠る物言わぬ男を相手に、関羽は一人ごちる。口調は相手が聞いてないこともあり、昔に戻っている。 だから、自分のことなど二の次で良い。俺の矜持はお前の矜持だ。お前の傷は俺の傷だ。お前の喜びは俺の喜びで、お前の天下は俺の天下でもある。 ただ、お前の悲しみは俺だけの悲しみでいい。 お前の憤りは天下へ向けてだけでいい。 それ以外ならば、すべて受け止める。 俺の身ひとつで適うのならば、玄徳の悲しみも外へ向けられない憤りも、すべて受け止める。 お前は、皆の劉玄徳であれば良い。 一人の劉玄徳に戻りたがるお前は、俺の前でだけ戻れ。 俺だけの前で晒せ。 『あの子はな、関羽』 皇甫嵩たちのところへ向かう直前、盧植が関羽だけを呼び止めて、言った。 『危ういのだよ。明るくて前ばかりを見て、考えるより先に体が動くくせに、ひとたび立ち止まったとき、迷ってしまったとき、深く深く考え込んでしまう。そのように慣れないことなどするな、と背中を叩く者がおればよいのだが、そうでない場合は』 劉備の師だという男は、思慮深い瞳に弟子を慮(おもんばか)る憂いを乗せて、関羽を見つめた。 『存じております。劉玄徳はそういう男だ』 義勇軍を募る高札の前で幾日も悩んでいた。 盗賊の退治で知り合い、意気投合して明るく酒を交わしていたときの男の面影はなかった。 何に悩んでいるのか分からなかった。 侠気に溢れている男だ、と関羽は劉備に好感を抱いていた。張飛から、あいつ、高札の前でなんかずっと悩んでてさあ、と不満顔で知らされたときには疑ったものだ。 あの気持ちの良い男ならば、喜び勇んで名乗りを挙げ、そして男を慕う周りの人間が必ずや男を担ぎ上げて、立派な義勇軍を作るはずだ、と確信できた。 『そうか』 知っている、という関羽の言葉に、盧植から憂いが晴れた。 『あの子の生き様は苦労多き道だろう。ましてや、後先考えぬところもある。何も持たない、と玄徳は自分のことを蔑んでいるところがあるが、人に好かれる徳がある。仁の道が良い。仁徳の道を歩み、そして踏み外さぬようにすれば、きっと光明が見える』 それは、漠然と関羽が劉備の行く末に対して抱いていた考えだった。 この男を、どういう英雄にしたら良いのか。 劉備の傍で血道を開きながら、毎日のように自問していた答えを、盧植は与えてくれた。 劉備は間違いなく玉(ぎょく)だ。しかし今はまだ光ってはいない。だから、磨いていくしかない。その方法を教え、そしてその役目の一端を、関羽ならば負える、と盧植は示した。 『どうか、玄徳を頼む』 言われるまでもなく、と頷いた。 『中郎将殿が……盧先生が、長兄の師であって、心より嬉しく思う』 『はっはっはっ、それはこちらが言うべき言葉だな。わしも、お主のような男が玄徳の傍に居てくれて、嬉しかったぞ』 朗笑とともに、力強く肩を叩かれた。 「玄徳。これから先もこうしてお前は苦しむのかもしれんが、どうか俺に、分け与えてはくれないか……いや、違うな」 くつり、と笑う。 「お前が嫌だ、と言っても奪ってでも分けてもらう」 それが、お前を軍の長に、長兄に、と担ぎ上げた俺の負うべき責であり、誇りだ。 関羽は寝ている劉備へ決意を告げた。 * * * 官軍が襲われていた。 無事に張飛たちと合流を果たしたあと、ひとまず?郡へ戻ろう、と関羽が提案した。盧植に会いに潁川へ向かったときから、すでに義勇軍を募った太守からの擁護は失われていた。 態勢を整える必要がある、というのが関羽の言い分だった。 劉備としても、すでに盧植の居ない軍に従う気も起きず、そうだな、と提案を呑み、軍を北へと向けて幾日か経ったときだった。 「助けるぞ」 迷わず言い切り、応、と周りも答えた。 張角の軍だったらしく、旗印は「天公」となっている。張角は天公将軍と名乗り、太平道の信者を率いていた。 黄色い布を巻いた大軍が官軍を押し包むように攻め立てている。その横腹へ、劉備たちは突撃し、切り裂いた。官軍の中ほどでは、率いる指揮官らしき男が黄巾賊の責め手に慌てふためいている。 「将軍殿、こちらへ!」 かく乱し、戦場を浮き足立たせて隙を生ませるのは、ここまで劉備たちが培ってきた経験と手腕では簡単なことだ。指揮官へ退路を示し、混戦の色を見せてきた戦場から見事に救い出した。 急ぎ、負傷者などを拾い上げ、安全な場所で野営地を開いた官軍は、助勢した軍の長に会いたい、と申し入れてきた。 「劉玄徳と申します。幽州?郡出身、中山靖王が劉勝(りゅうしょう)の末孫であります」 軍を率いていた男は、貫禄のある押し出しの効く体躯で、溢れんばかりの野心を剥き出した脂ぎった面容をしていた。 「わしは并州(へいしゅう)を預かっておった、董仲穎だ。今は中郎将の身である」 董卓、と名乗る男は、尊大な態度で劉備へ告げた。 「中郎将……」 「盧植が更迭されたのでな。その後任だ」 この男が、先生の代わり。 ふん、と背後に控えている張飛があからさまに馬鹿にした鼻息を噴き出す。 相変わらず、関羽は静かに佇んでいるだけだ。 「それで、お前の位(くらい)はなんだ。中山靖王の末孫など、幾らでもおるだろう。それよりも役職はなんだ」 「なにも」 あん、と訝しそうに董卓は聞き返した。 「何も位はありません。世の乱れを嘆き、侠気に駆られて立ち上がった一介の士です」 はかっ、と男は盛大に噴いた。 「位がないと! ただの農民くずれか? そのような男に用はない、去れ去れ」 時間の無駄をした、とばかりの態度に、劉備の後ろで怒気が膨れ上がる。当然ながら、張飛だ。 「おめぇこそなんだ! 兄者に助けられてその態度!! 犬畜生にも劣りやがる!!」 「何だとっ? 貴様こそ、誰に口を利いているのか理解しておるのか!!」 胡床から立ち上がった男は、どうして迫力を持っている。若い頃は相当の武勇で鳴らしたのだろう。 「翼徳、やめろ」 関羽がいつものように止めるより早く、劉備は血の気の多い三弟を留めた。 「分かりました。中郎将殿の貴重なお時間を割かせてしまい、申し訳ありませんでした」 静かに告げて、頭を下げた。 なんだよ、兄者! と顔を真っ赤にした張飛を関羽が一足早く強引に幕舎の外へ連れ出し、劉備は拱手してから辞した。 憤懣(ふんまん)やるかたない様子で足取りも荒い張飛へ、すまん、と劉備は謝った。 「私のために怒ってくれた、というのに、無駄にしたな」 「なんで兄者が謝るんだよ! てか、どうして止めたんだよ!! あれが、あの先生の後釜だなんて、腹が立たねえのかよ!!」 「悪かった」 張飛の問いかけには答えず、劉備は自分よりも遥かに硬い背中を叩き、宥めた。何だよ、いったい、と納得いないようで、張飛は劉備を置いて先へ行ってしまった。 残っていた関羽が珍しいものでも見るかのように、劉備を見下ろしているので、小さく笑った。 「あれで、良いんだろう?」 もちろん、董卓の態度には腹が立つ。悔しさで胸が焦げそうだ。困惑して突っ立っている弟の胸ぐらを掴んだ。 「――っ」 引き寄せて、唇を吸う。 だから、この憤り、お前が何とかしろよ、とすぐに離した唇を耳元へ寄せて言う。 「お前が、俺の全部、受け止めてくれるんだろう?」 「玄徳、お前あのとき起きて……」 「さあな」 胸ぐらを掴んでいた指をぱっとほどき、長い腕を持て余して後ろ頭に組んだ。 ほら行くぞ、と弟を促す。急いで追いかける気配を背中に感じながら、そっと肩越しに様子を窺う。 難しい顔をしながら、劉備が奪った唇を撫でている。 さて、今夜あたり、お前の寝込みでも襲ってみるか。 どんな顔をして迎えてくれるだろうか。 少なくとも、拒絶することはないだろう安心感を胸に、劉備はくつくつ、と人の悪い笑みを立てる。 この道へ歩み出す前、迷っていた。 家に残すことになる母親のこと。 何も持たない己自身のこと。 逸る侠気と劉姓の自負と、様々なことで板ばさみとなった。 だが、そんな劉備の前に、関羽と張飛が現れた。 ともに歩もう、と手を差し出してくれた。だから、劉備は歩み出せたのだ。 お前たちが、俺を連れ出してくれたのだから、俺はお前たちを絶対に最後まで連れて行ってやるさ。 それが俺の責であり、誇りだ。 改めて、劉備は静かな決意を滲ませて、二人の男を想う。 玉磨かざれば光なし。 されど、磨くこと知れば、誰よりも玉は輝くこと。 玉自身が心得たときに、強く光輝くことだろう。 終 幕 あとがき 久しぶりに書いた関劉でした。同人誌より再録です。 この話を書く前に、劉備の命日、昭烈帝忌辰祀典に関羽が劉備の王道としての歩き方を教えたのではないか、という仮定で話を展示したんですが、それの「×」バージョンというか、そんなつもりで書きました。 あと、渋かっこいい関羽書きたいなあってのと、若い侠客に近い劉備書きたいなあって思って書いたことを覚えています。 盧植先生書けて、楽しかった、というのは良く覚えています。 そして大事なのが、最近まったく関劉見かけないんだけど、どういうこと! と「星屑」の和沙倉さんと話して、次のイベントは二人で関劉出そうよ、と話して発行した、という点です。それから早2年。あんまり関劉増えてないんですけどね……。 あとそうそう、いま本のあとがきを見て思い出したんですけど、裏テーマはM攻め×S受けで足コキだった(笑)。 関劉って二人の付き合いが長いから、どこを切り取っても美味しいなあって思います。 それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 2012年5月発行 より |
目次 戻る |