「姑の、天下三分の計 1」
 関羽×劉備


 酒は飲んでも呑まれるな。
 これが、諸葛亮の自分ルールである。
 しかし、今日はそのルールを大いに逸脱しようとしていた。いや、逸脱せずにはいられない気分――自棄酒に走りたい気分だったのだ。
「ちょぉ〜っと、オヤジさん、こっちにもう一杯追加してください!」
 だん、と居酒屋の安テーブルの上にジョッキを叩き付け、諸葛亮は知慮深さを覚える、と褒められることの多い声を張り上げた。もちろん、今はそんな片鱗、どこにもあろうはずがない。
「いい呑みっぷりじゃねえの、孔明。俺、ちょっとお前のこと気に入ったぞ」
 こっちにも追加ね〜、とジョッキを持ち上げて注文しつつ、馴れ馴れしく肩に腕を回して、酒臭い息を吹きかけたのは簡雍だ。
 同じく酒臭い息をゴジラの光線のごとく吹いている大男が、ほんとだぜ、と頷いた。オヤジ、俺んところも忘れんなよ、と続く。
「話せる奴じゃんか」
 自慢の虎鬚をビールの泡で白くしながら、がはがは、と張飛は諸葛亮の肩を叩く。
「簡雍殿、張飛殿、私は怒っているのですよ!」
 張飛の怪力に「げぇ〜」と悲鳴を上げたものの、全身を支配している怒りの前にねじ伏せられたらしい。カッとこちらも目から怪光線でも出しそうなほど目力を入れ、つまみであるピーナッツを鷲掴みにした。
 ばりぼりぱりぽり、と威勢のいい音を立てて、口に放り込んだピーナッツを噛み砕く(店で一番安いつまみだ)。ごくり、と飲み込んだものの欠片を咽に詰まらせて、諸葛亮はむせる。
 おいおい、と簡雍に笑われながら背中を叩かれて、ようやく落ち着く。
「あれ、あれはどうにかならないのですか、あれは!」
 ダンダン、と和太鼓名人も裸足で逃げ出す勢いでテーブルを叩くものだから、ジョッキを運んできた主人が「お客さん、壊したら弁償してね」と注意を促す。勢い、諸葛亮の力は抜けるので、どうやらまだ理性が残っていたようだ。
「なにが?」
「へ?」
 と、しかし諸葛亮の訴えに二人はきょとん、とした顔をする。
「なにがじゃありませんよ。お二人はあれを見て、なんとも思っていらっしゃらないのですか?」
「だからさ、あれってなんだよ、あれって」
 真っ赤に顔を染めながら、簡雍がぐびり、とビールを飲む。実に美味そうにビールを飲む男である。
「まどろっこしい人たちですね! あれといえばあれです」
「知ってっか、『あれ』を連発するようになると、ボケの始まりだっていうんだ。この間、糜竺が言ってた」
 沈痛そうな顔で諸葛亮を見やる張飛に、諸葛亮は再び怪光線を向ける。
「あなたのお兄様方のことです! 私はまだボケておりません!」
「玄徳と関羽の旦那のこと? なんだ、何かあったのか」
「何かって、ありまくりですよ。お二人の仲が良いのは重々承知しております。張飛殿を含めて、固い絆で結ばれていることも理解しております」
 そうだろう、そうだろうと張飛が頷きつつ、再びビールの追加を頼んでいる。ペースが早すぎである。
「しかし、です。正直、あれは行き過ぎです。仲良すぎ!」
 酔いが回ってきたのか、諸葛亮の普段は柔らかな口調が怪しくなっている。
「仲って、そうかぁ? 俺は普通だと思うけど」
「兄弟が仲良くて何が悪ぃんだよ」
 簡雍と張飛が口々に言うが、諸葛亮は焼き鳥の肉を一欠けら、串からむしりとりながら、あんたたちの目は節穴ですか、と睨み付けた。
「ただの義兄弟が、ああも四六時中一緒に居るものですか。ましてや、ナチュラルに頬に付いたご飯粒を取って食べてみたり、二頭の馬で行けばいいものの、わざわざ一頭の馬で遠乗りに行ってみたり。なんですか、あんたたち万年新婚夫婦ですか?」
 うちだって、新婚といえるのに、あそこまでラブラブじゃありませんよ。むしろ節度を守った清き昔ながらの夫婦で、普通はそこ、抱き締めるよね、という場面でも微笑んでみたり、過ぎた妻です、と言ってみたりしたものですよ。
 後半部分は意味不明であるが、諸葛亮の言いたいことを察した二人は、あっはっは、と大笑いした。
「そうかそうか、そうだよな。お前さんはまだ玄徳に仕えたばっかりだもんな」
「いや〜、俺たちなんか、ほとんど最初から居るからさ、なんつうの? 日常的な風景というか、『ああ、今日も平和だなぁ』って思える和やかな景色でさ」
『慣れれば平気だって』
 と、綺麗にハモられて、諸葛亮は怒りでこめかみに青筋を立てた。
 相談を持ちかけた人選を間違えた、と今さらながら気付く。
『ちょっとさ、諸葛亮。お前、玄徳の兄者とベタベタしすぎなんだよ。ちょっとサシで飲もうじゃねえか』
 と執務も終わった夕刻、張飛に声をかけられたときは、むしろ好都合、と思ったものだ。諸葛亮も張飛に訴えたいことがあった。そこへたまたま通りかかった簡雍が、『奢りなら俺も行く!』と張り切った辺りで少々方向性がおかしくなったのは止むを得ないが、
『分かりました。ここは私が払います。ですからお二人とも私の話も聞いてくれますか』
 と諸葛亮からも持ちかけたのだった。
 ここ数日の諸葛亮の神経性胃炎は悪化の一路を辿り、昔、華陀という名医に処方してもらった胃腸薬でなんとか痛みを抑えている有様だ。ちなみに、諸葛亮は一度処方箋を出してもらえれば、自分で作ってしまう、という薬剤師泣かせの腕を持っている。
 三人で向かったのは、新野の城下でもそこそこ美味しいが、何より価格がリーズナブル、という貧乏人にはありがたい居酒屋『左慈』という、蜜柑が皮でしか出てこなさそうな名前の店だった。
 とりあえずビールを頼んで、三人は何だか分からないがとりあえず乾杯をした。新橋に繰り出しているサラリーマンのようである。ともかく、しばらくは店のつまみや料理に舌鼓を打ち、酒を空けるだけで過ぎたが、そろそろほろ酔い加減になった、という辺りで、張飛の新人泣かせの儀式に入った。
「俺の酒が飲めねえってのか?」
 と言って、無理矢理酒を強要する、アルコール分解酵素を持っていない人にやったら犯罪なので、良い成人の方はやめましょう、という儀式だ。幸いなことに諸葛亮はかなり飲める口だったので、いいですよ、と薄汚れた店には不似合いなほどの理知的な笑みを浮かべて、張飛の勧めるままに酒を飲み干していった。
 やんややんや、と盛り上げるのは簡雍だ。いや、そもそもこの男は普段から陽気なので、関係ないが。
 こちらは酒が入るとテンションの上がる張飛も、次々とジョッキを空ける諸葛亮に感服したらしく、少し前の険悪な雰囲気もアルコール分解酵素のように景気良く分解される。
 と、いうわけで冒頭に戻るわけだが、慣れるものなのか、あれは、と諸葛亮は二人の答えに疑問符が浮かびまくる。
 張飛の二人のお兄様方――諸葛亮の主君となった劉備玄徳と、その義弟である関羽雲長のことである。
 この二人の仲睦まじさと来たら、微笑ましいなど音速で飛び越え、気色悪いの一言である。しかし、確かに張飛と簡雍は劉備が義勇軍を創設したときからの付き合いだ。当時からああだったかは知らないが、感覚が麻痺してしまうのも無理はない。
 元々、常識という、人が標準装備しているはずのステータスが著しく低そうですし、仕方ありませんね。
 失礼なことを思いつつ、諸葛亮は目の前に置かれていく空ジョッキの数を数えるとはなしに数え……青褪めた。愚痴どころではない。劉備から支払われる給与など高が知れている。奢りとは言ったが、払いきれるか、こんなもん、とキレそうになる。
 ますます胃炎が悪化しそうで、せっかくの酔いも醒めてしまいそうだ。
 領収書を、新野領主、劉備玄徳宛で切ってもらおうと、そして明日は違う人間に相談しよう、と心に決めたのだった。
 しかし結局諸葛亮が居酒屋『左慈』から出てこられたのは、朝もやも漂い始める、勤労な新聞配達の少年がチャリをこいでいるような時間だった。店内を振り返れば、なぜかテーブルの下にもぐり込んで寝ている張飛と、店の隅で丸まって寝ている簡雍の姿がある。
 店の主人にチップを渡し、適当に放り出して置いてください、と言伝し、切ってもらった領収書を丁寧に折り畳んで懐へしまった。



 どうぞ、と言われ、ことり、と目の前に湯飲みが置かれた。
 驚いて目を上げれば、微笑を携えた男が立っている。置かれた湯飲みからは湯気と茶香が漂っていた。
「二日酔いに効く、濃い目のお茶です」
「ありがとうございます、孫乾殿」
 礼を言ったものの、にこにこと笑いながら諸葛亮を見下ろしている孫乾を、こちらもじぃっと見上げる。
「どうして私が二日酔いだと分かりました?」
 諸葛亮は、劉備が三度も足を運んでもらった末に迎えられた人材、ということを誇りに思うのと同時に、プレッシャーも感じていた。特に中原を制しつつあり、新規に人を雇っている曹操のところや、地盤を安定させるために新旧の部下たちを上手く使っている孫権のところと違い、劉備のところは少々異質だ。
 劉備を中心にまとまっている古くからの人間しか居ない、いわば親族経営をしている小会社に近い。しかも劉備を中心に、と言えば聞こえはいいが、逆に言えば劉備が居ないとまとまらない、そういう組織なのだ。
 そこへ新参者とはいえ、劉備が熱烈にスカウトした、という鳴り物入りで飛び込んだのだ。重圧を感じずにはいられない。元々、私塾(司馬徽塾だ)には通っていたものの、集団生活はもちろん、勤める、という経験は初の諸葛亮だ。初出勤のときは相当に緊張した。ただ、彼は分相応という言葉を知っていたし、臥龍と噂されるほどのIQの持ち主であったので、執務自体はすぐに慣れてしまった。
 それでも、諸葛亮に対する評価が全員が全員、好ましいものか、といえばそうでもない。諸葛亮としては未だに心休まらない、隙を見せられない日が続いている。
 つまり、二日酔いをしていようが、欠勤遅刻は厳禁で、仕事の能率を下げるなどということは、許されない。諸葛亮としては表に出ないよう注意深く行動していたつもりだったが、漏れていたのだろうか。
「簡単ですよ。簡雍殿が先ほどようやく出勤されて、頭が痛い、と唸っていましたから。彼が貴方と飲みに行ったのは知っていましたし。張飛殿もご一緒だったのでしょう? あの二人と飲みに行って次の日、二日酔いにならない人間はいません」
「そうでしたか」
 漏れたのは自分のせいではない、と分かり、ひとまず安心した諸葛亮は、淹れ立てのお茶を一口啜った。
 二日酔いでぼんやりしていた頭が少しすっきりする、美味いお茶である。
「それにしても、あの二人と飲んで次の日に遅刻せずにやってきた人は趙雲殿以来です」
 どうやら自分たちの分も淹れたらしく、孫乾は糜竺の前にも湯飲みを置き、自分の席に戻って湯飲みを傾けた。
「確かにそうだね。その点だけでも感心するのに、君は普段通りに仕事をこなしているし、私など公祐(孫乾)から聞くまで気付かなかったよ」
 糜竺が凄いね、と連発しながらお茶を冷ましている。猫舌らしい。
 三人がいるのは、新野城でも官舎として割り当てられている中規模な部屋だ。机が四台と書棚などが突っ込まれれば手狭で、必然的に各自の席に座っていても会話に支障をきたさないほど近い。
「趙雲殿でしたら、分かる気がします」
 諸葛亮はすらり、とした長身を持ついかにも武人、という佇まいをしている男を思い描く。もちろん、見た目を裏切らない猛者ぶりと将器を携えているのは、この間の軍の演習で見せてもらったばかりだ。
「あ、でも彼は気をつけたほうがいいですよ。顔に全く出さないまま酔いますから、予告なしに奇怪な行動をとります」
 一番最近の武勇伝は、庭先に飛び出して月に向かって延々と吼えていた、というものだという。犬か。
「ですが、諸葛亮殿が張飛殿と酒を飲み交わすような仲になってくれて、ほっとしました」
 孫乾が本当に嬉しそうに笑う。もっとも、彼は劉備の組織内では営業部外交担当、のような職務なので、誰に対しても人当たりがいい。笑顔も彼が身に付けている特技の一つのようなものだ。
「口は悪いですし気も短いですが、殿を慕う心は人一倍ですし」
「言えてるね。あとはもう少し酒を控えてくれれば言うことはないんだけど。今日も不明な請求書が居酒屋から回ってきているし。うちの財政難を理解して欲しいな」
 孫乾に同意しつつも愚痴をこぼした糜竺は、経理部後方担当だ。劉備軍は彼の財産で成り立っている、と言っても過言ではない。
 不明な請求書、という糜竺の言葉にぴくり、とも眉筋ひとつ動かさなかった諸葛亮は、そうだった、と思い立つ。
 初めから、この二人に相談すれば良かったんですよ。
 臥龍、迂闊。
 同じ政務を預かり運営し、時期は違えども途中から加わった者同士。分かり合える部分はたくさんあるに違いない。
「あの、お二人ともご相談があるのですが、よろしいでしょうか」
「貴方ほどの方が我々に。もちろん、力になれることでしたら協力しますよ」
「相談するといい」
 快い、頼もしい返事がもらえ、諸葛亮はちょっと泣きそうになる。
「実は、殿と関羽殿のこと……」
「諦めて下さい」
「すまない、無理だ」
「まだ途中です!」
 全て言い終わっていないというのに目を逸らされて拒否られた日には、本気で泣きそうになる。同情の眼差しまで向けられては、涙目だ。
「郷に入っては郷に従え、と昔から言います」
 今が大昔(一八〇〇年前)。
「人のふり見て我ふり直せ、とも言うし」
 それ意味が違う。
「何でしたら、良い医者を紹介しますから。私は昔胃を患って、お世話になったことが」
 もう遅い。
「悟りを啓くために仏教徒を紹介しようか」
 変な宗教を勧めないでくれ。
 いちいちつっこみを入れるのにも疲れた諸葛亮が、がっくり、と机に突っ伏したのも、当然だった。



 麗らかな昼休み、女官たちが中庭でお弁当を広げながら噂話に興じる時間、諸葛亮は重苦しいため息を吐いて、池の畔の岩に腰掛けていた。
『知っているかい、孔明。人が新しい職場で長く勤められるコツを』
『やりがいのある仕事と、それに見合う給金ですか』
 ちっちっち、と人差し指を振って否定した徐庶は、長い間風来坊をしていたせいなのか、渋めの顔立ちをしているせいなのか、そんな動作も様になっていた。
『この人ならば、という生涯を捧げてもいいと思える上司がいることと、円滑な人間関係が築けるかどうか、これだな』
『ふ〜ん、そんなものですか?』
 一匹狼な徐庶からそんな言葉が出たこと自体が驚きだったが、自宅警備員をしばらく辞めるつもりのない諸葛亮は気のない返事をした。
『何せ、新入社員が辞める理由の大半は職場の人間関係だっていうからな。人間関係は大事だ』
 なぜ、唐突にそんな話を諸葛亮に聞かせたのか、あとから振り返れば、その頃の徐庶は劉備に仕えるかどうか迷っていたのだろう。その自分の気持ちを固めるためにも、何が大事なのか諸葛亮に語ってみた、というところか。
 そんな徐庶も、曹操の強引なヘッドハンティングと長らくのマザコンである弱みを握られて、劉備の軍師という座から引き摺り下ろされたわけだが。
 今なら、元直の言葉が身に沁みる。
 給金は最低賃金を割る、という労働法も真っ青な職場環境であるが、やりがいと、一生を捧げるに相応しい上司、という点ではここは文句なしの職場である。ただし、人間関係、という点に置いてだけは、いかんともしがたいものがあった。
 またしても、大きく深いため息がこぼれる。
 孔明様、ため息をひとつ吐かれるたびに、幸せは逃げていくのですよ。
 現実主義な妻である月英の、唯一根拠のない迷信的な言葉を思い出す。
 帰りたくなってきた。
 何せ今の諸葛亮は、結婚したばかりだというのに、実質単身赴任のようなものなのだ。小さな畑に囲まれた、出来のあまり良くない弟と過ぎた妻の下へ帰りたいと、池の波紋を眺めながら切実に思う孔明、二八の春である。
 と、背後で賑やかに会話をしている女官たちから、黄色い悲鳴が上がった。しかし、郷愁に駆られている諸葛亮は気にも留めない。
「諸葛亮殿」
 しかし、すぐ脇に立たれ声をかけられれば、緩慢ながらも顔を上げざるを得ない。
 趙雲様よ、今日も素敵ね、あそこだけ新緑の風が吹いているわ。
 後ろで女官たちが囁いている(でも声は筒抜け)。
「趙雲殿、どうされましたか」
 二重人格か、と思うほど先ほどまでの哀愁を消し去り、諸葛亮は涼やかな軍師の表情を繕い、問い返した。そんな諸葛亮の態度に何を思ったのか、趙雲は整った容貌に苦笑を乗せた。
「悩んでおられる、と人づてに聞いたのですが、勘違いでしたか」
 軽く目を見開いた。表情を取り繕うことも忘れ、岩に腰掛けたままだと遥か上を見上げないと窺えない、趙雲を見つめた。
 武将としての器は鬼才だが、離れれば劉備オタクで槍と馬だけが友だちの男かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。新しく入った社員のメンタルをフォローする気遣いを持っている。
「趙雲殿!」
 勢い余って、立ち上がって趙雲の両手を握り締める。諸葛亮も相当に上背があるほうだが、趙雲はそんな諸葛亮よりまだ高い。
 なぜか、後ろの女官たちがさらに黄色い悲鳴を上げたのだが、諸葛亮の耳には入らない。
「悩んでおります、聞いてくれますか!」
 藁にも縋る思い、とはこのことだ。諸葛亮にとっては最後の砦、劉備軍の理性がここに居た、と思った。
「聞きましょう」
 微笑んだ趙雲の笑顔の爽やかさといったら、普段街中ですれ違っていたら結婚詐欺師か、と唾を吐き捨てるところだ。荒んでいるぞ、諸葛亮。
 ひとまず揃って岩に腰を下ろした。悔しいことに、座ると趙雲との背が少し縮まった。足長すぎだろう、アジア人のくせに、と関係ないことへつっこみつつ、諸葛亮は切り出した。
「殿と、関羽殿のことです」
 恐る恐る口にしたが、趙雲は今までの四人と違っていきなり切り捨てることはせず、黙って先を促した。ほっとして、諸葛亮は言葉を選びつつ説明した。
「趙雲殿は、あのお二人の仲をご覧になり、どう思われますか。……その、少々目に余るだとか、精神衛生上良くないだとか。むしろ存在自体があーるじゅうはちだとか」
 これでも本人としては言葉を選んでいる。
「つまり、諸葛亮殿は殿と関羽殿の仲睦まじさに嫉妬しているのですね」
「へ……?」
 しかし予想外の意見が返ってきて、諸葛亮は呆ける。天才軍師にあるまじき反応である。
「いや、そうではなくて」
「分かります!」
 力強く、今度は趙雲から手を握られた。
「張飛殿を含むお三方の絆は誰にも断ち切れない、と理解しています。その中でも殿と関羽殿の絆の強さといえば、誰もが羨むほど。かの曹操でさえ切ることは出来ずに涙を呑んだ、と聞いています」
「……」
「そんなお二人の間に入り込む、など無粋なことは思いませんが、少なくともあの半分、いえ十分の一ほどの絆を求めてしまうのが、殿の正しい臣下の姿です」
 それは正しいのか?
「私も常々、そうありたいと日々努力を重ねていますが、その道は果てしなく険しい。しかし、険しければ険しいほど、挑む山が高ければ高いほど達成したときの喜びはひとしお。諸葛亮殿もそう思いませんか」
 いや、別に。
「どちらかといえば、いかに的確に素早く頂上を目指せるか計画を練り、なければ作り上げる。それが軍師の仕事ですし」
「分かります! やはり貴方が悩んでおられるのはそこですね!」
 どこ?
「大丈夫です、鬱屈した悩みなど、体を鍛えることで忘れられます。そして、鍛えた体で再び挑めばいいのです!」
 何が何だか。
「さあ、諸葛亮殿、一緒に鍛錬しましょう。そうすれば貴方の悩みも吹き飛びますから」
 論点がすでにずれている。
「いえ、申し訳ないのですが、私は頭脳労働担当なので、肉体労働担当の貴方と一緒にそんなことをしたら、死んでしまいます」
 冗談でなく、事実だ。趙雲の指揮する部隊の調練の厳しさといったら、見ていた諸葛亮が青褪めるほどだ。だからこそ強靭な部隊が出来上がるのだろうが、生まれてからこのかた、筆と書簡以上に重い物を持ったことがない諸葛亮にとっては自殺行為だ。ちなみに、畑を耕していたのは弟なので、鍬も持たないエセ農民である。
「分かります! では、今から参りましょう。いざ、殿の目指す世を作らんがために!」
 趙雲殿の申し出は大変嬉しいのですが、私はこれから執務がありますので。
「人の話を聞け、犬」
 うっかり本音と建前が逆になったが、趙雲は気に留めた様子もない。
「さあさあ、龍とならん!」
「いえ、確かに私は臥龍ですけども、まだもうちょっと臥していたいなぁ、なんて」
 腕を捕まれ、引きずられるままに池の畔から運ばれる。
 興味津々で二人のやり取りを見守っていた女官たちの脇を過ぎるとき、実に楽しそうな会話が飛び込んでくる。
「あ〜、やっぱり私、次のイベントで趙雲様×諸葛亮様を書くわ!」
「えー、ずるい。私も書くから、合同本にしましょうよ」
「私はやっぱり諸葛亮様×趙雲様だと思うけど」
「どうしてあんたはいつもそうイバラへ行こうとするのよ。王道にしときなさいよ」
 言っておきますが、この話は関羽×劉備ですよ!
 つっこみたいのは山々だったが、諸葛亮は趙雲から逃げる策を巡らすのに必死で、いつの時代にもいる(腐)乙女心を持った女官たちの誤解を解くに至らなかった。



目次 次へ