「真荀彧文若の苦労日誌 7」
荀彧×曹操


 身支度を整えるにはまだ曹操は疲れているようで、荀彧は暇を持て余して、上半身を晒している曹操の肌へ手を伸ばす。傷跡を撫でると、くすぐったそうに身を捩った。何じゃ、と言われて、いえ、と首を左右に振るが、すべてをさらけ出した後だからだろうか。ふっと思いがこぼれ落ちた。
「貴方が怪我をして帰ってこられる度に、寿命が縮んでいたことを思い出していました」
「……特に文若がわしに従ってくれたばかりの頃は負け戦が多かったしの」
「同時に、自分の身の不甲斐なさや、夏侯将軍たちを妬(ねた)ましく思う自分が居て、自己嫌悪に陥ったものです」
「文若……」
「私は貴方の帰りを待つことしか出来ない。その傍で貴方を守ることは出来ない」
「お主の役割は違うであろう。夏侯惇たちとは違う方法でわしを守ってくれている」
「それでも、悔しかったのです」
 だから、たぶん、どこかで夏侯惇に遠慮していたのかも知れない。自分には出来ない、曹操を本当の意味で守れることの出来る人間に、荀彧のもっとも大事な人間を任せたかった。
「文若は、誠に頑固で融通が利かず、やはり我が侭じゃ」
「私のどこが我が侭ですか」
 あのときは背中を押してくれる言葉として聞けたが、からかうような語調に、むっとして言い返す。
「よく働き、慎み深く、一歩引いて主君を立て、間違っているときは罰せられることを恐れずに諫言し、主公の幸せを誰よりも願っております」
「ははっ、何だ、分かっておるではないか。良いか、文若。戦だけが乱世を治める手段ではないだろう。国が立ち回れるように政治を行わなくてはならない。民の暮らしを守らなくてはならない。お主にはお主の戦いがあり、その時にわしを傍で守っているのは他でもない、文若だ。戦に出ているときとて、お主がここを守ってくれている。わしの帰るべき場所で待っていてくれる。その安心感が無ければ、決して戦いに出向くことなど出来なかっただろう」
 頭をそっと撫でられた。小さな手であるはずなのに、大きく暖かく、包み込まれるような感触がした。
「それ以上、お主は何を望むというのだ。まったく文若はわがままじゃの」
 言い包められたような気がするが、今はそういうことにしておく。曹操から掛けられた言葉に胸が幸福感で一杯で、溢れ返りそうだ。
 怜君に相応しくない、崩れ切った顔になっていることを自覚して、急いで曹操の身体を抱き締めて、肩口に顔を埋める。だが少しだけ遅かったらしく、耳元で曹操が忍び笑っている。
「好い笑顔だ」
 嬉しそうな声に、頬が熱くなった。




 ぶ~んじゃくっ、と陽気な声が後ろから聞こえて、顔をしかめる。かつかつ、と足音も軽快に、聞こえないふりをして回廊を闊歩する。ちょ、待ってよ、文若~、と追い縋る声はするものの、あっさりと遠のき、ちらっと振り返れば、回廊の隅で蹲っている男を捉えてため息をついた。
 来た道を引き返し、急に駆け出したせいで貧血を起こしたらしい郭嘉の前に立つ。袂から飴を取り出して半ば無理矢理その口の中に放り込むと、血の気の失せた顔が少しだけ赤味を取り戻した。
「あ、これ主公の部屋にあった飴だ」
「要りません、と辞退したのに無理矢理渡してくださってな、困っていたところだ」
「主公って時々近所のお婆ちゃんみたいだよね」
「主君を老婆呼ばわりできるのはお前ぐらいだ、郭嘉」
 糖分を取ったせいで元気を取り戻した郭嘉だったが、それでも欄干に寄りかかって億劫そうだ。
「もー、ほんと酷いよ。俺が体力ないの知ってて、体力勝負させるような行動するんだもん」
「私はただ歩いていただけだが?」
 具合が良くなったのならもう良いだろう、と言って踵を返そうとしたが、ぐいっと袖を掴まれて引き止められる。
「もう、嘘をつくのやめたんだ」
「元から、私は誰にも嘘はついていない」
「ふ~ん……。じゃあ、LIKEとLOVEの違いも知っているんだ」
「……」
『主公は大好きで大好きで、でもあんまりにも二人は長く傍にいたから、LIKE(好き)とLOVE(愛)の境界線が曖昧なんだよ。本人にも分かってないもん、あれ。相手も、きっと同じだと思う。尊敬する人、仕える主君で、男としても人間としても慕ってるけど、それ以外の気持ちが混じっているだなんて、これっぽっちも思ってないみたい』
 今思えば、あれは夏侯惇のことではなくて、荀彧のことを指していたのだろう。
 荀彧の良き理解者は、心底、理解者だったわけだ。
「洞察力は自分の方が優れている、という自慢か」
 照れ隠しに冷たくあしらおうとすれば、郭嘉は嬉しそうに笑顔を浮かべる。笑うと、本当にこの男は童のようだ。
「そうじゃなくて。一言だけ!」
「……」
「おめでと、文若」
「お前に礼を言われる筋合いは無い」
「冷たいなあ。これでも、俺は陰で頑張っていたんだよ?」
「今回の話では皆無だろう。保健室で寝てただけだ」
「違うよー。ちゃんと甘味処で主公をたき付けてましたー」
「後からならどうとでも言える」
 とは言うものの、あの後曹操に、どうして唐突に自分への想いを打ち明けてきたのか、と訊いたのだ。
 すると曹操は、少しだけ頬を赤らめて、あまりわしも人のことは言えなくての、奉孝にたき付けられて、ようやく気付いた。分からなければ、口付けてみろ、と言われてな。と説明した。
「冷たい、冷たいよ、文若、本当に!」
「それで、私に何をしてもらいたいのだ」
「別に無いよ~? 文若が主公を幸せにしたいのと同じように、俺だって、文若のこと気にかけているってこと」
「きも」
「えー、何それー」
 不貞腐れる、何もかもを見抜いている年下の同僚の存在を、たった一言でこけ下ろし、荀彧は今度こそ背を向ける。
「ねえ!」
「まだ何かあるのか」
「文若、いま幸せそうな顔しているよ」
 へへ、と郭嘉の笑う声が聞こえる。そうか、と短く答える。
 それは困った、と心の中で呟いた。
 辛いことは幾らでも嘘もつけるし誤魔化すことも出来るというのに、嬉しいことは隠しておくことは難しいらしい。
「困ったな」
 口に出して呟く。
 さて、どうやったら隠しておけるか。早急に解決しなくてはならない事案となりそうだ。何せ大陸を覇する曹操の片腕である荀彧文若としては、常に慎ましく穏やかであらねばならない。
「奉孝」
 二人きりだろうとも、私的な話でない限り呼ぶことの無い男の字を呼び、再び振り返る。
「私の自慢話を聞きたいか」
「文若の奢りなら」
「その分、朝まで付き合ってもらう」
 だから、お主も奉孝へ礼を言っておけ。もっとも、お主のことだから素直には言えんかもしれんから、酒でも奢ってやれば喜ぶぞ。
 にこり、と笑う曹操の顔を思い出す。
「俺、生きて朝日拝めるかな」
「人間、そう簡単に死なん」
 ひとまず、隠し通す前に、胸からこぼれそうになっている幸せを吐き出さないと、はち切れそうだ。郭嘉を巻き込んで、懸念の事案は解決するとしようか。馴染みの酒家に郭嘉を誘いつつ、荀彧は抱えていた書簡を持ち直した。



 おしまい





 あとがきがわりの代筆 郭嘉

 再び、跋(ばつ)文(ぶん)担当 郭嘉奉孝

 ここまでありがとな、またまた俺が跋文を担当してやるよ、ありがたく思って。てか、給金出ないんだよ、知ってた? つまりボランティア。まったく俺って基本的に良い人だよね? で、今回の話は、文若とお主公の話だって。主公が人気あるのは当然だけどもさ、みんな狙いすぎだよ。これじゃあ俺が狙う隙ないじゃん……っと、これは関係ない話だっけ。
 とにかく、今回はあんまり俺の出番なかったけど、でもこの中で誰よりも文若のことを分かっていて、文若のために動いたのは俺だからね。だってさ、あの人、世話かかるんだよ、知らないでしょ。見てないところでは結構ずぼらだし、毒舌家だし、付き合うほうは大変なわけ。でも、主公はそんな文若が良いって言うんだから、海よりも広い心を持ってるよね~。俺、感動する。
 今回、無双はあえてつけなかったけども、でも一応無双準拠らしいよ。でも文若とか俺が出張っている時点でどうなのって思うけども、俺たちってモブ脱出できるのかなあ。そしたら、俺だって主公とらぶらぶしたいなあ。密かな野望ってやつ?
 ん、なんか文若の話とずれてきたけど、まあいいか。文若について書きたいことは詰め込んだって言っているし、あとは読むやつに任せるって。
 で、また18禁のくせにその場面短すぎないか、て俺がつっこんでやったら、まあまあ、とかいって誤魔化したんだ。その辺りはまたリベンジする気があるのかねえ。俺んときはねっとりじっくり主公を喜ばせられるような感じでさ、ひとつよろしくな。

 じゃあ長くなったけど、そろそろ主公のおやつタイムだから。また、この本の感想の返事は俺か文若が担当するらしいよ。おやつタイム中は、俺絶対に働きませんから、そのつもりで。

(ここまで)

 というわけで、苦労日誌シリーズ(いつの間にかシリーズ化している)、第二弾は、本来このタイトルだったらこうでしょう、の人、荀彧さんでした。ちなみに、第三弾は、最凶劉備です(笑)。
 荀彧×曹操を本格的に書いたのは、これが初めてでした。
 ある程度、自分の中で荀彧、という人の像が固まってはいたのですが、これによって、本格的に固まりました、ということは、まさかの彼はボケ担当(笑)。
 しかし、無双8なり、猛将伝なりでプレイアブル化されたらどうなる!? な話ですが、これを書いているときはまだ6が発表されたばかりだったんだなあ、と感慨深く思いましたとさ。第一、郭嘉もオリジナル仕様ですし。

 それでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 2011年12月発行 より再録



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