「帰ってきた 荀彧文若の苦労日誌 ５」 劉備×曹操 |
■□■ 珍しく、怜君が怒りを露わにしていた。むしろ荒んでいた、と言ったほうが正しい。どのようなときでも執務をおろそかにしないのが、彼の美徳であり、実は欠点でもあるのだが、それすらも手に付かないでいる。 許チョに曹操の追跡を阻まれてから先、荀彧の脇には処理待ちの書簡が山積みになり、運び込む侍従たちは部屋の外で決死の顔をしてじゃんけんをしている。もちろん、負けた者が書簡を山の上に運ぶ役目である。将棋の山崩し、逆バージョンであった。 「私が持っていくよ」 壮絶な十回戦に及ぶ総当り戦の末、最下位を喫した侍従が泣きそうな顔で書簡を届けようとする横から、郭嘉が声をかけた。 郭嘉殿ー、と感涙に咽ぶ侍従の肩に手を乗せて、にこりとイケメンスマイルひとつ、 「君のお姉さん、美人だったよね、紹介して」 と付け加えなければ、決まっていた。 「荀彧殿、そろそろ仕事をしてあげたらどうです？」 頭を抱えて机に突っ伏していた荀彧に、郭嘉は手にした書簡を山の隅に立てかけて、声をかけた。すると顔も上げずに荀彧は返す。 「なんだ、偽者」 「ちょっと、ひどいですよ。認めてくれたんじゃなかったんでしたっけ？」 「認めたのは主公だ。まだ私は貴様の実力、認めたわけではない」 「なに主人公脇にいるクールキャラ的な台詞口走っちゃってるんです？」 「黙れ、郭嘉もどき」 ようやく顔は上がったが、目が据わっている。数日徹夜したところで麗しい面容に疲れなど滲ませないというのに、たった半日で十も歳をとったようだ。 「ああ、そんな顔をしていたら女の人たちが悲しんじゃうよ」 「お前という男は、主公の心配より女の心配か。それでも主公の軍師か」 「曹操に仕えた軍師。優れた洞察力による献策で幾度も勝利をもたらし、曹操に高く評価された。柔和な物腰で――」 「いっぺんモブ戻れ」 「もーさっきからひどいですって」 「大体にして一人称が『私』とか、私と被るではないか。その上、柔和な物腰で常に笑みを絶やさないとか、いちいちキャラ被って腹立たしいことこの上ない」 「はは、大丈夫です、全然かぶってません。荀彧殿、物腰柔らかそうに見えて毒舌の塊だし、笑みを絶やさないのは付き合いの浅いどうでもイイ人たちと、イイ顔を見せていたい殿の前だけですし」 「そもそもこの非常時にどこへ行っていた。私の代わりに主公を追い駆けてくれれば良いものを」 「寝てました。だって、徹夜明けだったし、寝る子は長生きするって言うでしょう？」 「何の用だ」 私のボケにもつっこんでくださいよー、と郭嘉は残念そうにするが、気を取り直したのか笑顔に戻る。 「荀彧殿の様子を見にきました」 「ほお、命知らずなことだ」 「冗談に聞こえないんですけど、冗談ですよね？」 「今のが冗談に聞こえたとは、私も随分舐められたものだ。どうやら主公と行動をともにしている間に、甘くなってしまったようだな」 「ああ、その最終的には主人公の仲間になっちゃったライバルキャラが、新しい敵を前にして吐いちゃう台詞、やめてくださいって」 「お前は、腹が立たんのか。主公が劉備に……犯……掘ら……やら……あぁあ～～、とにかくだ、主公が劉備に△□※○された、というのに、どうして平然としていられるのだ」 「え？ △□※○ってなんですか？」 「△□※○は、△□※○だ！」 「さんかくしかくこめじるしまる――って意味が分かりませんけど」 「郭嘉、画面の左下を今すぐ見ろ」 「あ、無双ゲージ三本溜まっている」 「くらうか？」 「遠慮しておきます、私これ以上寿命短くしたくないんで」 「で、どうなんだ」 「どうって言われましても。でも曹操殿だって大人だし。女の子なら子どもできちゃうとかそういう心配あるけど、男ならないわけですし」 「ぎゃー、言うなやめろ！」 「あんたが言えっていったんでしょ」 「やはりお前、偽者だな。お前の野望はモブを脱出して郭嘉×曹操でオンリーを開くことではなかったのか。モブを脱出できただけで満足してしまったというのか！」 「あー、でもさ、この話って結局劉備×曹操なわけですし」 「えぇい、神が決めし運命など、変えてしまえばいい！ 運命は変えるために存在するのだ！」 「カッコイイこと言ってはいますけど、まあここは諦めて。実は私、悪くないことだ、と思っていますよ？」 「よし郭嘉、斬首と縛り首、牛裂き、どれがいいか選ばせてやろう。お勧めは牛裂きだが」 「聞いてください！」 目が血走っている荀彧に、郭嘉は急いで遮って主張した。 「もちろん、もちろんですよ、私だって曹操殿が劉備に食べられてしまったことに関しては、悔しいです。まだ無双の郭嘉×曹操は書いてないし、とどこかの誰かもなんか言ってますし」 「そうだろう」 「しかし、それは置いておくとして、劉備が曹操殿へ与える影響力、というのは無視できない、悪くない影響を与える、と私は感じています」 「感じている？」 現実主義者らしからぬ郭嘉の発言に、ようやく荀彧はやや冷静さを取り戻す。 「何となく、ということです。曹操殿と私、似てるから、曹操殿が劉備を気にする気持ち、分かるんですよ。曹操殿がずっと悩んでいることも知っているし、それに対してたぶん打開策を打ち出してくれるのは、どうもあの男が一番手っ取り早いってことも、感じちゃうんです」 悔しいですけど、ともう一度郭嘉は言う。弧を描いている口元が、今はわずかに歪んでいた。 「殿がずっと悩んでいること、荀彧殿だって知っているんでしょう？」 「そりゃあな」 「あの人、誹謗中傷を鼻で笑い飛ばした、と思えば家に帰ったらこっそり泣いてそうなところありますからねえ、私と似ていて」 「最後は認めんが……そうだな。父君が亡くなられたときも、見ているこちらが辛くなるほど消沈されて。それを何とか怒りに転じさせて徐州を取る原動力にしたものの、そのせいでますます悪評が広まった」 曹操の覇業への道は、三歩進んでは二歩戻る、を繰り返している。 「弱り目に祟り目でしたから、曹操殿も普段の闊達さを失ってしまって。でも、あの男なら殿の良いところでもあり悪いところでもある繊細な部分を笑い飛ばす力がある……ような気がするんですよ」 「……」 そういうものだろうか、と思うものの、荀彧とて郭嘉と似たような考えを劉備から感じ取ったからこそ、曹操が劉備に接するのを黙認――はしていなかったが、断固阻止までにいたらなかったのだ。 しかし、とそこは理屈で理解できたとしても、曹操が劉備に△□※○をされた、と思えば感情は収まらないわけで。 「主公！」 唐突に叫んで立ち上がった同僚を、郭嘉は目を瞬いて見つめたのち、曹操の駆けてくる足音を遅れて捉えた。 「文若～」 ここ久しく見なかった曹操の屈託の無い笑顔が、そこには広がっていた。思わず見とれてしまい、荀彧と郭嘉は咄嗟に答えられない。 「おお、奉孝も一緒か。丁度良い、ちょっと聞いて欲しいのだが」 そう前置きをして、曹操は口を開いた。 『ぎゃっぷもえ、ですか』 怜君と享楽の軍師は声を揃えて聞き返した。知っておるか、と得意げな曹操に視線を投げかけられた荀彧は頷いた。 「主公の子房、とまで謳われた荀文若に、知らないことなどございません。あの、戦艦とかに乗って『弾幕足りないよ、なにやってんのー』と叫ぶ者のことでしょう」 「鈴置ボイス！ 相変わらず物真似が上手い上に、ついに無双キャラから離れおったなって、それはキャップじゃ」 「では、おたまじゃくしが並んでいる」 「音符でもないわ」 「紺の下地に白抜き文字のアパレルの」 「ＧＡＰでもない」 「私の出番ですねえ～、荀彧文若、行っくよ～↑☆」 「それ馬岱って、物真似したかっただけじゃろ！ 一文字も合っとらんぞ！ そして似すぎて恐い！」 「ほら、私は袁紹のところに居たことありますから」 「なるほどってそれは中の人繋がりじゃ！」 「関羽のあの髯袋、実は本人の手編みらしく」 「可愛いな！」 「それが、ギャップです」 どこまでボケていくのか見守りたい欲求に打ち勝った郭嘉が横からつっこむ。 「それがどうなさったのですか」 「わし、それを目指してみようと思うのだが、どうだろうか」 『断固反対』 再び声が揃う。 「なぜじゃ」 『これ以上萌えを供給されたら、身が持ちません』 そうなのか、と小首を傾げる曹操に、これだから無自覚は恐ろしい、と二人揃って天を仰ぐ。 「誰に吹き込まれたか、聞くまでもありませんが、いいですか？ 何度も申し上げていますが、主公がご納得されるまで申し続けます。主公はそのままご自分の信じる道を進めばよろしいのです。それに人々は付いてくる。ご自分をもっと信じてください」 「そうか、やはりそうなのか」 しかしな、といつもだったら続く弱気な言葉はなかった。ようやく思いが届いたのか、と安堵したのは一瞬だった。 「劉備にも、同じことを言われてな。ようやく踏ん切りがついた」 怜君のこめかみ、曹操から見えない側にくっきりと青筋が浮かんだのが郭嘉には見えていた。 曹操は何を思い出したのか、ふっと満足そうな笑みを浮かべる始末。 「文若、奉孝、これからもわしとともに覇道を歩むため、尽力してくれ」 「もちろんです、主公」 「曹操殿と大好きな女性と酒、戦のためにも」 頷いた二人に、曹操は嬉しそうに頷いて、ではな、と手を上げた。どうやらそれだけを言いに立ち寄ったらしい。 軽い足音が遠くなり、部屋には静寂が戻ってきた。 「なあ、奉孝」 「……なんです、荀彧殿」 自分に向けて呼び方が変化したことと、低く発せられた声に、柔らかな笑みが引きつりそうになった。 「ひとつ、良い策を思い付いたのだ」 「へえ、なんでしょう」 あまり聞きたくないなあ、と正直思ったのだが、話を合わせないと本気で寿命を短くされそうな目に遭いそうだったので、大人しく先を促した。 「最近、陛下に代わっての主公の政務代行を 「そうでしょうね」 董承は陛下、帝の舅にあたる、帝にもっとも近しい人物だ。董卓の専横だったころより帝の傍で支えてきた。 「人を介し、少しつついてみようと思う」 「……なるほど」 曹操が邪魔ではありませんか、と囁くという。そうすれば、当然董承は帝に勅命をもらおうとするだろう。 すなわち、曹操を誅殺せよ、という そして、自由に動けない自分の代わりに誰ぞ信頼できる人間で、なおかつ曹操に容易く近づける人間を仲間に引き入れようとする。 劉備の名が挙がることは容易く想像できた。 「確かに、大義名分ができますね」 曹操の暗殺に加担した、という名分があれば、皇叔という立場であろうとも処罰できる。 「ふふ、ふは、ふはははは」 「荀彧殿の高笑い、こわ！」 「これだ、これしかあるまい！」 先ほどまで老け込んでいた面容が、急に若々しく張りを取り戻していく。あっという間に、郭嘉と女官たちの人気を二分する怜君が戻ってきた。 「でもねえ、そういう危険な真似、あの男がひょいひょい乗ってくるとは思えないんだけど、どうかなあ」 つぶやく郭嘉の声は、悦に浸っている荀彧には届かなかったようで、執政府中に響き渡る高笑いを荀彧は上げている。 「荀彧殿がモブを脱出して、司馬懿とキャラ被ったら、どうしよう」 郭嘉は本気で同僚の身を案じるのだった。 ＥＮＤ 【跋文】 ここまでありがとう。無双の郭奉孝です。どうでしたか、私の初めての活躍。さすがは曹操殿に高く評価されただけのことはありますでしょう？ 私も楽しめましたよ。あ、でも今度は劉備になんか曹操殿あげないで、私が美味しく殿をいただきたいですけど。賈ク殿っていうライバルも出てきたしなあ。どうなんですかね？（とナレーションに聞くも、沈黙） まあいいや。私の策があれば何とでもなりますものね（イケメンスマイル）。 はい、一応仕事をしておきますよ。今回の話は劉備×曹操殿、ということでしたが、劉備が許都へ連れてこられたとき、実は曹操殿ってば結構悩んでいた時期で、まだまだはっきりと台頭してきている時でもなかったし、大変だったんですよ、という視点から描いたもの、ということらしいです。だから、劉備の仁徳を利用して、何とか諸侯との差を見せ付けたかった、という裏があったのでは、という解釈らしいです。 なるほど、そういう捉え方もありますね。曹操殿は私と同じでとても繊細ですから、内面ではあれこれと悩んでいたに違いありません。そこを狙うとは、やはり劉備という男、厄介な相手です。 では、こんな怜君が苦労するお話にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたなら、享楽の才子としても嬉しい限りです。 【跋文担当 無双郭嘉より】 あとがき とまあ、こんなノリで当時書いてましたね、懐かしいです、とここから本当のあとがきです。 この荀怜君苦労日誌シリーズ、気が付くとシリーズ化していて、 書いた当人もびっくりですよ。 しかし、そろそろ荀彧さん、モブ脱出してもいいころじゃないですかね。 どういうことですかね。 でも、脱出したらこのシリーズは終了なわけですが……っていうか、この劉備×曹操で終了は終了なんですが。これ以上イク様は苦労しなくていいと思うんで（笑）。 すでに郭嘉がこの時点でモブ脱出したせいで破綻していますしねえ。 それもネタの一つですが。 そんなこんなで、自分が楽しんで書いたシリーズでした。 少しでも皆様が楽しんでいただけたら幸いです。 ２０１１年１２月発行 より |
| 目次 戻る |