「めかくし鬼 5」
劉備×曹操


 遠く春雷が鳴る中で、劉備は曹操と向かい合ってささやかな酒宴を開いていた。
 勢いで曹操を抱いてしまってから、初めて顔を合わすことになる。気まずくはない。劉備は後悔していないし、曹操は魅力的だった。今も臣下になりたい、という気持ちは変わっていない。
 でも、少しだけ違っている気がした。何なのか分からない。ただ、劉備はもっと曹操を知りたくなった。そのせいかもしれない。
 会話は珍しくも弾んでおらず、お互いに会わなかった間の他愛のないことをぽつりぽつりと話すだけだった。そして不意に曹操が切り出した。
「あれから、色々と考えた」
「貴方は考えることが好きですね。私はどうも苦手でして。ちょっとでも考えられたら奇跡です」
「茶化すな」
 叱責しながらも曹操は楽しそうだ。釣られて劉備も笑う。ようやく、硬さが取れた気がした。
「わしの心に根付いた劣等感は、そう簡単に拭えはしない。だからお主の言うようにすぐに己の全てを認めることなど出来はしないだろう。それでも、努力はしてみようと思う」
「あー、それは良いことですけども、曹操殿はいちいち物事を難しく考えますね。いいんですよ、努力なんかしなくても。誰かが毎日毎日、貴方は綺麗だ、そのままがいいって言い続ければ、いつかはその根っことやらも消えていく」
 綺麗な花、美味しい野菜を育てるには、毎日の手入れが大事なのだ。雑草を抜き、葉を食う虫を潰して、そんな些細だが大事なことを、私にやらせてくれればいい。
 ニコニコして曹操を見つめるが、曹操はどこか遠くを眺めていて、劉備の視線を受け止めはしなかった。そしてゆっくりと整った唇が弧を描いた。
 綺麗な笑みに劉備が見惚れていると、そうだな、と曹操が呟いた。
「わしを認めてくれる者は傍にたくさん居るというのに、わしは耳を傾けてこなかった。これからはもう少し素直に受け止めることにする」
 冷たい感覚が胸の底から湧き起こる。
 その役目は、私ではないのですか。
 私は貴方の視界に入る一番ではないのですか。
 むっとしたのが曹操にも分かったらしい。綺麗に色付いている紅い唇が小さく笑んだ。
「何が可笑しいのです」
「のお、劉備。お主はこれを言われると腹が立つらしいが、わしも散々言われたからあえて返してやろう。お主はわしの臣下になりたい、と思っているらしいが、それはお主らしくない。劉玄徳らしくないのではないか?」
 剣呑な光が双眸に宿っただろうが、曹操は怯まなかった。それどころかさらに笑みは深くなって、じっと劉備を見つめてきた。見つめ返す曹操の瞳は、やはり深い紺色で見惚れそうだった。
「わしは、わしと並び立てる男は、お主だけだと思っている。お主は誰かの下で満足できる男ではないだろう?」
 途端に鳴り響いた雷鳴の中、劉備ははっとして手にしていた盃を取り落とす。大丈夫か、と曹操は新しい盃を劉備に手渡してくる。
「わしの眼は節穴か?」
 違うか、と重ねて問われる。
 初めてだ。こうもはっきりと自分らしくない、と人に指摘されて、そうかもしれない、と思ってしまったのは。己らしさを人から決め付けられたことも、己らしくない、と認めさせられたのも、初めてだった。
 劉玄徳を、劉玄徳と定めることができるのは自分だけだと思っていた。
 だけど、認めないといけないらしい。他人(ひと)によって気付かされる自分らしさもある、ということを。そしてそれが曹操であったことが嬉しい。
 何より、気付いた。
 曹操の臣で居るよりも、曹操の言うように並び立つ、唯一絶対の存在であれば必然的に曹操の一番でいられる。寵愛を分け隔てなく与えられる臣下などでいたら、絶対に曹操の一番になどなれはしないだろう。
 そのほうが、手っ取り早い。
 本当は、曹操の前に立ち塞がるほうが、数多居る臣下の中で寵愛を競うよりも過酷であろうことは、さすがの劉備とて想像するのは容易かった。それでも、あえてその航路へ舵を取ろうと思う。
 めかくしをさせられていたのはどちらだったのだろう。
 曹操が注いでくれる酒を受け止めながら、劉備は珍しくも物思いに駆られる。
「私は貴方という存在に、めかくしをさせられていたのかもしれませんね」
 己らしさが見えなくなるほどに、盲目にさせられた。
 注ぐ手が止まり、曹操がちらりと劉備を見やって笑った。
 夜明けを連想させる瞳は、乱世の荒波に漕ぎ出そうとする者への一筋の光源であるのか、迷わせるための目くらましなのか。
 新しく注がれた盃をゆっくりと飲み干しながら、再び乱世の荒波に漕ぎ出す楽しさを思い出す。
 しばし身を横たえた船の居心地は最高だった。当面の羅針盤も手に入れた。
 まだまだ、自由を満喫しよう。
 劉備は、雷光に照らされて美しく映える曹操の顔を肴に、極上の酒を楽しみ続けた。



 終 幕



   ※ ※ ※



 おにさん こちら てのなるほうへ
 おにさん こちら てのなるほうへ

 どこからか楽しそうな声がする。

 めかくしおにさん てのなるほうへ

 囃し立てる大勢の童たちの声々に、
 右を向いたり左を向いたり。

 こっち こっちだ
 わしはこっち
 おいかけてきているか
 わしをおってきているか

 童のはしゃぐ声の中に、
 ひとつだけ、
 聞き覚えのある男の声が混じる。

 のお しっかりおってこい
 おぬしにはわしがひつようだから

 それにはおぬしがわしを

 ずっとずっと
 おいかけつづける
 ひつようがある

 おにさん こちら てのなるほうへ

 めかくしおにさん てのなるほうへ

 わしは ここに いる

 わしは ここに いる

 ずっとずっと
 おぬしを みているぞ


 りゅうび





 あとがき

 ここまでありがとうございました。同人誌からの再録になります。
 ちょっと変わった感じの劉備と、小さいことなど色々気にしすぎている曹操様と、
 それらを見守る周りの人々、の話です。

 でも、実は主題は「めかくし」だったりします。
 「めかくしいいよ〜」と勧めてくれた、某さわらさんに感謝しつつ(笑)、
 作った話となりました。

 少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。

 2009年8月15日 発行
 ↓
 2011年7月 再録



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