「梅の雨が降りしきる 5」 劉備×曹操 |
「これで恩を返した、と思っても構わんぞ」 「戦場で受けた恩は戦場で返すもの。これで返したことにはなりませぬ」 「しかし、それは儂を助けることになる。もしも劉備が生きていたのなら、きっと袁紹を頼っておるはずだ。儂が勝てば、劉備の立つ秋(とき)だけでない。命すら、今度こそ危うくなるやもしれぬぞ?」 身支度を整えながら、曹操は意地の悪そうな笑みを浮かべる。すでにいつもの曹操であり、思慮深さを思わせる鋭い眼光を関羽へ向けた。 「おかしなことを。曹公は兄が死んでいる、とお思いなのでは?」 関羽にしては珍しく、皮肉で返した。自分に抱かれた後なのに、躊躇いもなく他の男の名を出したのが気に入らなかった。 それがたとえ、敬愛する兄だとしても。 「覚えておったか。だがな、お主が劉備が生きている、と信じている以上に、儂はあやつが生きておると信じている。あれぐらいで死ぬような漢だとは到底思えぬわ」 綺麗に身支度を整え終わった曹操に、色香は漂ってはいなかった。覇者たる風格を滲ませながら、好敵手である、と劉備を称え、朗笑する。 敵わないのだろう。 割り切れたわけではないが、抱いて気付かされたことがある。 曹操と劉備にだけしか通じない、奇妙な信頼関係がある。それは誰も壊せないのだと、知らされた。 「それならば、どうかお体をご自愛くだされ。兄も、劉玄徳も同じことをお思いだ。どういうわけか、貴方を必要としている。そんな貴方が体を壊されたら、兄は悲しむでしょう」 夜の闇が関羽を見つめても、今度は見つめ返すことが出来た。 「兄は貴方から離れて清々しい思いを抱いたのは、決して貴方から解放されたことを喜んだわけではありませぬ」 劉備は、曹操から離れたことで本来の自分を取り戻せたことを喜んだ。同時に、それでも曹操が心に残り続けていることを、不思議と清々しいほどの顔で受け止めていた。 まるで、距離ができたぐらいでは二人を繋ぐ縁(えにし)が切れることはない、と言われたようで、そのときの関羽は自覚がないままも、間違いなく悋気を起こしていた。 「だから、どうか兄を想い出して体を苛めるのはお止めください。誰も喜びませぬ」 微笑んだ。すると珍しくも曹操は頬を微かに染めて、俯いた。 可愛らしい、と素直に思う。 「別にあやつのせいで眠れぬわけではない。ただ、考えることが多すぎて寝損ねるだけだ」 言い訳など、これまた珍しい。 このような曹操が見られるのは、特権である、と自惚れていいだろうか。 「貴方のことが理解できぬのは、もう仕方がありませんが、兄を理解できないことは少し口惜しいです。何が二人をこうも強く結び付けているのか知りたいものです」 許都からの劉備軍鎮圧の出立が知らされ、小沛と下?へ分かれることを決めた劉備は、出立の前夜、思い出したように関羽へ語りかけた。 『こうなったこと、私は後悔していないよ。あのまま曹操の下にいれば、その背中だけを追って生涯を終えただろう。私は誰の背中も尻も追いかけない。そんな人生などつまらないだろう? だから、これで良かったのだ』 珍しくもその夜は、劉備は饒舌だった。 やはり何か予感めいたものがあったのだろう。 『曹操とは……隣で寄り添うことも違う。背中を向け合うことも違う』 『では、なんでしょうか』 関羽の疑問は曖昧な笑い顔で誤魔化された。いや、たぶん劉備もその答えが分からないのだ。 「そうだな、それは儂も時々考える」 目の前の男もそうなのだから。 首を緩く左右に振って、何度か言葉を創ろうとしたらしいが、徒労に終わったようだ。 諦めたようにため息を吐き、関羽を見上げた。 「劉備の居所がはっきりすれば、行くのだろう」 「はい」 簡素に、迷わず頷く。 「儂は止めぬ。ただ、伝えてくれ」 「なんと」 「待っておる、とな」 「御意」 関羽は曹操に降ってから初めて、心から拱手をして深々と頭(こうべ)を垂れたのだった。 関羽に抱かれてからしばらくして、初めて遠駆けに誘われた。 予感はあったので、曹操は忙しい政務を縫って、誘いに乗った。付いていきたそうな顔をしている許チョを何とか納得させて、二人きりで馬を駆けた。 この間とは違い、曹操は自分の馬に乗っている。 黙って先を駆ける関羽の背を、曹操は無心で追い駆けた。 関羽を乗せた赤兎が足を止めたのは、あの池の畔にぽつん、と立っている梅の木が遠くに見え始めたときだった。 「こたびの白馬での顔良を討ち取った手並み、さすがであったな」 やはり黙ったままの関羽へ、曹操は改めて賛辞を贈る。 「いえ、拙者は恩義を返しただけのこと。これで、心置きなく貴方の下から去れます」 振り返らずに、関羽は言った。 「そうか。劉備の消息を掴んだか」 もっともらしく言うが、曹操も当に劉備の行方は掴んでいた。後は関羽に恩を尽くさせる場面を与え、かつ有効に利用すればいいだけだった。 そしてそれは果たされた。 「ただ一つ、曹公に謝らねばならぬことがございます」 首を傾げた。 「兄者への言伝を頼まれましたが、拙者には無理のようです」 振り返った関羽は、どこか泣きそうな顔をしている。一陣の風が関羽の美髯を揺らし、目を細めさせたせいだろうか。 「拙者はここから引き返し、許都を出立する準備をいたします。それから、貴方を迎えに行くように、許チョ殿へ伝えましょう。それまで、あの梅の下で待っていてくださらぬか」 「関羽?」 意図が分からず、曹操は眉根を寄せる。 「言伝は、貴方自身からお伝えくださいますよう」 そう言って、関羽は馬首をめぐらせた。 追い駆けようとも思ったが、相手はあの赤兎馬だ。出遅れた曹操の馬では許都に着くまで追いつけまい。 「何なのだ」 さすがに呆れ返り、それでもすぐに帰るのも馬鹿馬鹿しいので、曹操は言われたままに、遠くに見えていた梅の木へ足を向けた。 「まだ咲いておったのか」 季節は初夏であるのに、この勘違いをしている梅はしぶとく花を残していた。しかしそれももう後ひとつふたつ、といったところだろう。 「仕様のない奴だ」 笑いながら、馬を降りた。足元は散っていった花びらで真っ赤に染まっている。 また、一陣の風が吹き、梅の花を散らしていく。 ついに最後の花弁が残るばかりとなった梅を、目を細めて眺める。 不意に人の気配を後ろに感じ、はっとして振り返ろうとしたが、抱きすくめられて硬直する。 「間に合ってよかった」 耳元で響いた声に、一気に力が抜けそうになる。 「約束が果たせましたよ、曹公」 柔らかな声が曹操を包む。 嘘だ、と心の中で悲鳴混じりの声が上がる。 「お主がここにいるはずがない」 掠れた声だった。 「では、今貴方の後ろにいる私は誰なのですか」 穏やかな声音は、いつも男の本質を包んで隠してしまうようで、曹操は嫌いだった。なのに、今は無性に懐かしい。 「季節外れにまだ咲いている、この馬鹿な梅が見せる幻だ」 「それはひどい」 笑いが滲んだ。 「この木はきっと、曹公と私との約束を聞いていて、ちゃんと果たされるように咲き続けていてくれただけですよ」 「お主、いつからそんな文士くさい台詞を吐くようになった。あの名族かぶれのところにいるうちに、貴族臭くなりおったか」 「はは、相変わらず痛烈ですね」 密着した体に直接響く声が、心まで揺らしていくようだ。 「……お主」 「はい、曹公」 後ろに立つ男の顔を見たくて、狭い腕の中で体を回す。僅かに顔を上げた先に、微笑む男を見つけた。 「また、花びらがついておりますよ」 指が伸ばされて、髪に引っ掛かったらしい梅の花弁を摘み上げる。 「よほど、こいつは貴方が好きらしい。それとも、貴方がこいつを愛しいと思うから、引っ付くのでしょうか」 あの時と同じように、花弁へ口付けた男は、そっと花びらを風の中へ解き放った。 「それでも、風が吹けばあっさりと旅立っていくではないか。所詮はどれだけ愛したとしても去っていく運命なのだ」 花びらを目で追いながら、曹操は呟く。 お主のように。 言葉にしなくとも伝わったのだろう。男が苦笑した。 「理解されている、と思っていましたが? 自惚れでしたか」 私が貴方の下に留まれないことも、貴方が私を引き止めないのも、全ては互いが示す光明の先が違うゆえ。 続ける男に、曹操は首を左右に振った。 「そう簡単に割り切れるほど、人は賢くないぞ」 「分かっております。だからこうして逢いに来てしまった」 「袁紹の目を誤魔化すのは大変だっただろうが」 「私の舌先三寸と涙に掛かれば、あのようなお坊ちゃま」 男の顔が悪戯小僧のように煌く。 「そうか」 可笑しくなって曹操は笑う。 「それでも、長くは騙しておけません。もう少し賢い言い訳を考えてから、離れることにします」 「それがいい。奴はもう終わる」 「貴方のせいで?」 「さあ、それはどうかな。儂の手に掛からずとも、あやつは天を統べる器ではないからの」 「まだ、私を信じておられる?」 「ああ、英雄と呼ぶに相応しいのは、儂とお主、劉玄徳をおいて他にはいない」 男が――劉備が微笑む。それからその微笑んだ唇が降ってきたので、曹操は大人しく目を瞑った。 交わった口吻はしばらく離れず、名残惜しそうに離れたときは、互いの口元を銀糸が幾筋も跡を残していた。 「時間はあるのか」 「ええ、雲長が作ってくれるはずです」 「そういうことか」 関羽の奇妙な行動と劉備の出現で察してはいたが、曹操はまんまと騙されたことを不快には思わなかった。 不思議と関羽は信じられた。決して曹操に忠心を尽くしていないのに、裏切るはずがないと、そう思える。 「お主にはもったいない漢だ」 「私も、時々そう思います」 劉備の手が頬を撫でる。 「それでも、私の前で他の男を褒められると、少々焼けますね」 「珍しいことを口にする。儂を散々に抱いておきながら、そのようなこと一度も言わなかっただろう」 好いたとか惚れたとか、そんな甘い言葉は掛け合わなかった。それは、気持ちを上手く表している言葉とは言えなかった、というのもあるだろう。 「そうでしたか?」 とぼける劉備は、するり、と上衣の隙間から手を差し入れてきた。襟元を割り、素肌を撫でる劉備の掌に、曹操の身体は素直に熱を高める。 背中を梅の木に押し付けられて、大きく襟元を肌蹴させられた。 「少し、お痩せになられました?」 覗いた素肌に唇を寄せながら、劉備が尋ねたので、曹操は苦笑した。 「一時ほどではないが」 「貴方が倒れたら、喜ぶ者が多いです。お気を付けになられたほうがいい」 舌が胸の粒に絡げられた。ぞくっと、慣れ親しんだ感覚が背筋を痺れさせた。 「お主は喜ぶほうか?」 音を立てて吸い付かれ、息を詰めた。 「どうでしょう」 「またそうやってとぼけおる」 小憎らしい男の髪を掴んで、軽く引っ張る。しかしそれも空いている粒を指先で捏ねられて、逃してしまう。 くち、と唾液の絡んだ舌が勃ち上がりかけた粒を掬い上げる。尖った舌が先端を嘗め回せば、曹操の吐息が濡れ始める。 じくじくと倦むような熱が舌で嬲られる箇所から身体の芯を犯してくる。 指が粒をきつく摘まめば、耐え切れずに短い声を上げてしまう。腰に回されていた手がいつの間にか臀部を撫でていた。 布地の上から強く臀部を揉まれて、じわっと熱がまた上がる。そこを揉まれるのはまるで女のようだから、嫌だ、と文句を付けたこともあったが、気持ちよさがあったのも確かだ。 それを劉備は充分知っているようで、こうして身体を寄せた際は、いつも手を伸ばしてくる。 「そんな、に、尻が好きな、のか」 心地よさに身を任せながらも、まるで自分はそうではない、と言うように、曹操は劉備をからかった。 「ええ。人の尻に付くのも嫌だし、見るのも嫌ですが、こうするのは好きですよ」 特に貴方のは……。 そんなことを言いながら、耳元で笑いと共に舌が差し込まれたので、身を竦めた。さらにぐいっと揉んでる手に力が籠もって、劉備の腰に寄せられた。 そうすることによって、身体の中心が劉備の太腿へ押し付けられた。 曹操の身体を自分の身体と梅の木に挟むようにして、さらに劉備は曹操との重なりを密にした。曹操の脚を割った劉備は、膝頭を幹に付ける。半ば劉備の腿に乗っかるような形になった曹操は、強く下肢を圧迫された。 思わず甘い声が漏れた。 ゆさり、と梅の木が揺れた。 劉備が幹に付けた膝頭を揺らしたからだ。 んん、と短い呻きを上げる。 振動が劉備の太腿と背中から伝わって、曹操の悦を刺激する。耳孔に差し込まれた舌がくちゅっと鮮明な音を立てた。 どくり、と血が昂ぶったのが分かる。緩やかな熱の塊だったそれが、不意に形を露わにした。胸の粒が転がされると、じくじくした熱がさらに高くなる。 大きな、嘆息に似た感じ入ったため息をこぼすと、劉備の口が塞いで閉じ込める。 臀部を揉んでいた手が、胸の粒へと這い上がってきた。変わらず指戯(しぎ)を受けている粒と合わせて、倍の刺激となる。 口腔を舌で、まるで挿入でもされているかのように、激しく掻き混ぜられる。 朱粒を指先が嬲り、太腿が大きく動いて下肢を幾度もこすり上げた。 この多面からの愛撫に、曹操の意識は溶けそうになる。 全ての手順など飛ばして、奥へ劉備のものを感じたいとすら思ってしまう。 隠れた布地の裏で、浅ましくヒクついている後孔を感じていた。 しかし余裕の顔で曹操を昂ぶらせている男を見ると、悔しくなってもう少し抵抗を続けたくなる。 いや、むしろこの時間を引き延ばしたいのだ。ただひたすら互いの熱を貪っていたい。そんなことは不可能だし、二人の関係に相応しくない。 だからこそ強く求めてしまうのかもしれない。 劉備、と熱を籠めて男を呼べば、優しげに微笑んだ。 似合わんな、と呟く。 男の、徳の将軍と呼ばれる呼称には似合いかもしれないが、その本質を本能的に知っている曹操からすれば、虚像の笑みに等しい。 なにがです? と不思議そうに聞き返す劉備に、曹操は不敵な笑いを浮かべてみせる。 儂の体躯に訊いてみろ。 挑発すれば、少し目を開く。 それから……。 「喜んで」 笑った顔は、男に良く似合う、不貞不貞しい笑みなのにどこか無邪気な、悪戯小僧のような顔だった。 やや強引に割り拓かれて受け入れた劉備のものは、立ったまま、という体勢もあるが、深く曹操を貫いていた。 「ぁ、ぁ……ぅ」 声を漏らすと、劉備が少し気遣うような表情を浮かべるので、首を横に振ってみせた。 「だいじょ、ぶだ」 様子を見るためか、ゆるり、と劉備の腰が円を描く。目一杯に食んで拡がっている後孔が痛むが、それ以上に奥にこすり付けられた熱く硬い感触に痺れる。 軽く揺すられると腹側にあるしこりが圧迫されて、ぞくっと鋭い悦が曹操を侵す。劉備の手に握られている下肢から新たに雫がこぼれたのが分かった。 「相変わらず貴方の中は狭い。これが癖になり、女を抱けなくなったら、責任を取ってもらいたいくらいですよ」 冗談なのか本気なのか分かりにくいことを劉備は言った。 「ふ、ん。こんな淫乱な奴が早々女と縁が切れるか」 「お言葉を返すようですが、貴方も相当かと思いますけど?」 雫を飽きもせずにこぼしている先端を、強く指先がえぐった。 「ぁぁあ……」 すがり付いていた衣を強く引っ張る。 「でもね、そんな貴方も魅力的だと思います」 真面目な顔で言われ、曹操は自分でも珍しいと思ったが、顔を朱に染めた。 「それは褒め言葉とは言わんからな!」 言い返したが、強く突き込まれて喘げば、説得力は乏しい。 それにしても、と曹操はぼんやり思う。 先ほどから妙な違和感が付いて回っている。 こうして軽口を叩きながら肌を重ねることはいつものことだが、何かいつもと違うような気がする。 それはここがだだっ広い外であることでも、久しぶりの逢瀬であるからでもない。 貫かれていることに曹操が馴染んできた、と感じたのか、ずっ、と劉備の楔が挿抽(そうちゅう)を始めた。 「っう……ぁく……んっ、んんぅ」 引いては奥を突く硬さに曹操の思考は容易く乱れる。 奥を突かれれば吐精感を強く覚えるし、浅くこすられても切ないような悦に襲われる。その度に強く劉備の楔を締め付けてしまう。 与えられる悦を貪欲に貪る己に羞恥があるといえばあるが、締め上げるたびに劉備の顔が快感に歪むので、羞恥に上塗りされる充足感がある。 どちらかといえば、劉備はいつもどこかに余裕を残した飄々とした印象がある。その生き方など常に綱渡りでもあるのに、そんな余裕がどこにあるのか、といつも不思議に思っていた。 しかし曹操に食い締められ、吐精を堪えている劉備からは、いつもの余裕はどこにも見えない。 それがひどく曹操を満たす。嬉しい、と。 「そ、うか」 違和感の正体に気付く。 思わず口を吐(つ)いた言葉に、挿抽を止めないまま劉備の目が問いかけるように見つめてきた。 「こうして、向かい合って抱き合うの、は、初めてでは、ないか?」 途端、さぁっと人より大きな劉備の耳が赤くなった。 「劉備?」 その反応が不可思議で、曹操が今度は問う眼差しを向けた。 「どうして貴方はそういう余計なことに気が付くのですかね」 恨みがましそうに劉備は言って、それ以上の言葉を恐れるように曹操の唇を自分の唇で塞いだ。 「……ふ、ぅん……ぅ」 口腔を荒々しく弄(まさぐ)られながら、曹操は今の意味を探る。 どうやら劉備はわざと曹操を正面から抱かなかった、繋がろうとしなかったようだ。 それは……? 答えに行き着きそうだったが、深くえぐられて意識が飛びそうになる。 反射的に腕を背中に回す。劉備の腕に足を抱えられて、結合がさらに深くなった。 「っは……っ……ああっ」 唇を離して大きく喘ぐ。 頂はあと僅かのようだ。 引っ切り無しに湧き起こる吐精感に、まだもう少し味わいたい、と抵抗する。 「りゅう、び……ぁく、うぅ、ぁ……」 「曹公……」 劉備が呼ぶ声が耳に優しい。歪んでいく景色の中で劉備を捉えると、悦に耐えるために結んでいた眉間の皺が自然とほどけた。 余裕のない、雄の顔をしながら、曹操へのめり込んでいる劉備の顔があり、充足感は堪らないものになる。 その顔を、儂に見せたくなかったのか? 普段のどこか取り澄ましたような面がひどく男臭い。 答えを見たような気がして、曹操は笑う。もちろん、快感に翻弄されているから、綺麗な笑みではなかったかもしれないが、劉備には分かったらしい。 「そういう、鋭いところが怖いんですよ」 拗ねたように言いながらも、劉備も歪んだ笑みで応える。 二人は追い上げる快感に身を委ねながら、歪んだ唇を合わせた。 「関羽に謝らねばならない」 「どうしたのです、急に」 「儂はあいつにお主の影を見出して、代わりにした」 ああ、と劉備は苦く笑った。 初めて関羽とここまで遠駆けをしたとき、髪に触れられた。その瞬間に劉備を思い出してしまった。いや、思い出さない日などなかったのだから、傍にないはずの姿を、関羽の中へ求めてしまったのだ。 「それはやめたほうが良いでしょう」 「やはりそう思うか」 「ええ。それはあいつを傷付けるだけだ」 きっぱりと言われ、曹操も思い当たる節があった。 抱かれている最中、意地が悪い、と口にして、咄嗟に劉備を思い出した。そうして目の前の男を劉備の代わりとして肌を合わせることに罪悪感を覚えて謝ろうとした。 しかし関羽自身によって止められた。 関羽はもしかして、全てを理解して己を抱いたのだろうか。 「それにあいつは代わりにされるだけのことを貴方にした。いや、私が巻き込んだだけですが。何にせよ、むしろあいつの方こそ貴方に謝りたいのかもしれないですよ」 「お主と一緒に儂を抱いたことか?」 「気付いていましたか」 「まあ、薄々はな……」 はっきりと気付いたのは、この梅の下で口付けたときだ。 関羽に口付けたのは、ただ劉備の面影を追い駆けたせいだったが、唇を合わせたとき、気が付いた。 それによって、劉備の面影をさらに強く感じ、雨の夜に抱かれた、髪を梳いてくれた関羽の手すらも、もう一度感じたい、と思ってしまったのだから。 「貴方を抱きたくなければ、ちゃんと拒んだはずです。それだけのことが出来る男ですから、私の義弟(おとうと)は」 「ふん、惚気おる」 「それはお互い様です。これで雲長は貴方を決して殺せなくなった。もしも次に戦場で出会ったら厄介なことになりそうだ」 少し木屑や土ぼこりに塗れてしまった曹操の衣を、劉備は軽く叩いて整えた。 「軍神がそんな情けをかけるか?」 「はは、あいつは神でも何でもない。確かにその強さは他の追随を許さないかもしれませんが、義に篤く、情に脆い、そういう熱い漢ですから」 さて、と唐突に劉備は伸び上がった。 「行くのか」 「ええ。そろそろ戻らないとさすがに鈍いお坊ちゃまも不審がるでしょうから」 「今度は誰を頼るつもりだ」 「そうですね、北にはもう当てはありませんし、南へ行ってみようかと」 「劉表か」 「怖い怖い、曹公にかかれば何でもお見通しですか。もちろん、すぐには行けないでしょうけど、貴方が格好の言い訳を与えてくれそうですし」 「どっちが怖いのだか」 苦笑する。 劉備が南へ下れば、袁紹を片付けられたなら曹操は追撃するだろう。そして、曹操に追われた劉備は、劉表のところへ逃げ込む口実が出来る。 「勝って下さい」 「いいのか? 儂が袁紹に勝てば、お主が抜きん出る機会などこの先なくなるぞ」 「構いません。貴方が袁紹に負けてこの大舞台から居なくなってしまうほうが、よほどつまらない。この大舞台は、私と貴方、曹孟徳のためにあるのですから」 大胆不敵にもそう言い退けた男は、にやり、と笑った。 「それに、私はまだまだ退場はしませんよ。しぶとく生き残って、きっと貴方の覇道を妨げる男になりますから、覚悟しておいてください」 「珍しくも大口を叩く」 言い返しながらも、劉備の放つ輝きに曹操は魅了されていた。 ああ、これがあの軍神や荒ぶる武人を惹き付けてやまぬのか、とどこかで納得する。 「では、待っておる」 関羽に託したはずの言伝を、短く告げた。 「ありがとうございます」 不意に強い風が二人の間を吹き抜けた。 「ああ、これは……」 「まるで赤い雨だな」 目の前を、赤という赤が埋め尽くす。 枝にしがみ付いていた花弁もついに散り、足元に落ちていた梅の花弁が、風に巻き上げられるようにして、空中を舞った。 「儂たちの間にはこうして、血の雨が降るような戦が横たわっているかもしれぬが、これが散った後には、必ずや実を残す。それを食べるのは儂たちではないかもしれぬが、それもまた面白いかもしれんな」 「ええ。舞台は、永遠に続くのですから」 空に舞った花弁が落ち尽くすまで、二人はただただ降りしきる梅の雨を眺めていた。 終幕 |
目次 戻る あとがき |