「夏侯元譲の残暑報告書 2」
  夏侯惇×曹操


 日が傾いてきても昼の熱が籠もった建物内は暑く、じっとりと汗が出てくる。荀彧の策を聞いて、それしかないか、と頷いた頃には夕刻だった。さっそく策を実行に移すべく曹操の下へ向かったが、生憎と執務室は空だった。近くを歩いていた文官に行き先を尋ねると、調練を見に行った、とのことだ。
 礼を言って調練先へ向かおうとしたが、ふと思い付いて文官へ訊いてみた。
「殿は服を着て向かわれたか?」
 見る見る赤くなった文官の顔が、答えを訊くまでもなく示していた。外へ行くにも服を着ないとは、どういうことだ、とぶつぶつ文句を付けながら、調練場へと足早に向かった。
 ところが一足遅かったらしく、曹操はもう立ち去った後だった。相変わらず落ち着きのない奴だ、と呆れる。行動力に溢れているのは良いのだが、探しているときは実に厄介だ。
 今日、調練を行っていたのは曹洪で、夏侯惇の姿を見るなり、八つ当たり気味に叫んだ。
「元譲、殿に服を着せろ、俺はお前と違って殿に欲情したくない!」
 いつもながら歯に衣を着せぬ物言いである。
「俺だってさっき帰って来たばっかりで、あれ見たんだ、無茶言うな!」
「おかげで全然調練にならなかった」
 ちっ、と憎々しげに舌打ちをして、ぎろり、と不機嫌な顔で睨み付けてきた。
「その上、殿から叱られた。動きが悪いのは暑さのせいじゃなくて、殿のその姿だって言ったが、まったく信じてもらえん。意味が分からん、とか言う始末だ。自覚がないにもほどがある」
 そりゃあ、まっぱの君主が傍で調練を見ていたら、兵卒たちは気が散って仕方がないだろう。
操兄(そうにい)は、基本頭は良いが、ときどき簡単なことが分からないのはどうしてなんだ?」
「俺に訊くな」
 本音を漏らしたためか、曹操に対する臣下の口調を忘れて訊いてきた従兄弟に、夏侯惇は短く答えた。俺も知りたい、と続けようとしたが、今は曹操を探すほうが先だ、と思い直し、行き先を尋ねる。
「さあ? ぷりぷりしてたから、訊きそびれた。ああ、でも、外へ向かっていったみたいだ」
「あの格好でか」
「そうなるな」
「止めろよ」
「俺、これ以上操兄に嫌われたくないから。それに、いつもはさすがに外へ出て行くときは服着てたから、まさか、と思って見送ったが、やっぱりあのまま出て行ったな」
 あの格好で外へ出かけたなど、危険極まりない、色々な意味で!
 急いで曹操が行った方角へ駆け出した。もう、水を被って汗を流したことなど意味をなくし、夏侯惇は滝のように流れ出る汗を拭いつつ、足を運んでいた。
 それから先も、さっきまでいらっしゃったのですが、という人々の目撃情報を頼りに方々を探し回ったが、結局曹操に会えたのは、夜もすっかり更けた執務室の前でだった。
「孟徳、お前、そんな格好で出歩き過ぎだ」
 夏侯惇が出会い頭に文句を付けてしまったのも無理からぬことだろう。曹操が煩わしそうに鼻の頭に皺を作る。
「なんだ、いきなり。先ほどは、帰ってきて顔を見るなり怒鳴り散らすし、服を着ろとうるさいし。お主はわしの()(母)か」
 いつもなら、小言を言うな、媽か、など言われるとかちん、と来る夏侯惇だが、よしせっかくだ、言ってやろう、という気になる。
「媽だと思っているなら丁度良い。俺の言葉を媽だと思って聴け。まず頼むから服を着ろ。暑いからと言って裸でいてもな、逆効果だ。流れてきた汗を吸ってくれるものが必要だ。それに肌の露出が多いまま出歩くと、皮膚が焼けてあとで痛い思いをする。特にお前は昔から日に焼けると真っ赤になる方だろう。何より、お前のその格好、だらしないにも程がある。示しがつかん。どうする、周りに噂が広まったら。天子を戴く曹孟徳は暑さに負け、毎日裸で過ごしている。自己を律することもできぬ者が中原に覇を唱えるなど笑わせる、などと侮られては困る。お前だけではない、お前に仕えている人間たちまで笑い者にされるのだぞ。許せるのか」
 一息に捲くし立てる。ますます、曹操の機嫌は悪くなったらしく、眉間にまで皺が生まれていた。
「笑っている者は笑わせたままでよい。わしの価値はわしで決める。わしに仕えている者たちとて、笑われたぐらいでへこたれるような人間は居ない。それに、外へ出ているときは、許褚がちゃんと日傘をさしてくれているから日焼けの心配もない」
 ああ、もう、と頭を抱えて蹲る。そもそも従兄に口で勝てるはずはないのだが、それでも口煩くなってしまうのは、やはり「媽」だからなのか、とやや自虐的な気分にすらなってくる。
「蚊に刺されるぞ」
「蚊取り線香持参じゃ」
「だから時代考証……」
「細かいことにこだわる奴じゃの」
「分かった、よし分かったぞ、もう分かった」
 すっくと立ち上がった。駄目だと思えばすぐに気持ちを切り替えて、ある意味で開き直ってしまうことができるのは、夏侯惇の強みだ。おかげで、従兄を相手に恋慕を抱いている、と気付いたときもあまり悩まずに済んだのだ。
「許褚、少し外してくれるか」
 二人のやり取りを見守っていた――というか二人の掛け合いなどいつもの光景なので、許褚にとっては日常茶飯事なわけだが――許褚が、んだ、と言って離れていった。
「いいか孟徳、お前が裸で居ることの危険性がもう一つある」
 言って、腕を掴んで執務室の隣に設けられている仮眠のための部屋へ引きずって、問答無用で牀台(しょうだい)(寝台)へと押し倒した。
「なんじゃ、いきなり……っ」
 闇夜の中で曹操が夏侯惇を押し退けようともがくが、膂力は夏侯惇のほうが上だ。手首を絡め取り、牀台へ押し付けて動きを封じる。白い裸体が窓の隙間から射し込む僅かな夜灯りに浮かび上がる。
「……」
 曹操に跨り、無言で見下ろす。まだ曹操は抵抗する気があるらしく、夏侯惇の手を振り払おうともがいているが、黙り込んだ夏侯惇を不審に思ったのだろう。次第に大人しくなっていった。
「……っ」
 それどころか、まだ目は慣れていないのだろうが、自分の身体が視線に晒されていることに気付いたらしく、小さく息を呑む気配がした。
「元譲……?」
 呼びかける声も、不安と僅かな羞恥に彩られている。
「孟徳の身体はやはりイヤらしいな」
 言うと、馬鹿者、と怒鳴られる。ただ怒声には羞恥も入り混じったものだった。
「こうやって押し倒したくなってしまうほど、危ない」
「わしにこのようなことをするのはお主ぐらいじゃ! 危険も何もない!」
「……本当にお前は、時々呆れるぐらいに鈍いな」
 馬鹿にしたわけでもなく、むしろ感動して感想を漏らしたが、曹操は当然ながらむっとしたようで、元譲、と声を荒げる。しかし夏侯惇が手首を押さえている手とは反対の手で胸や腹を撫でてくると、ひあ、と息を弾ませて身悶えた。
「うぅむ、なんかまたお前痩せたんじゃないか。暑いからと言って咽の通りの良い物ばかり食べて、栄養を偏らせていないだろうな」
 荀彧や郭嘉に言わせると、こういうところが曹操から「媽」だと呼ばれる要因ということなのだが、生憎と本人は心底真剣だ。
「忙しい、から……簡単に食べられる物にして、いるだけ、で」
 声が途切れ途切れになるのは、夏侯惇の手が胸の厚みを測ったり、下腹、背中を這い回ったりしているせいなのだが、真摯に曹操の身体を診ている夏侯惇は気付かない。
「やはりか。それに、どうしてこんなに身体が冷えている」
「そ、れは……ぅん、先ほどまで水、浴び……をっ」
「ああ、それで。確かに、川の匂いがする」
 くん、と曹操の首筋に鼻先を押し付けて嗅げば、水の香りが鼻腔をくすぐる。馬鹿者、嗅ぐな、と曹操が言うが、夏侯惇は首を微かに傾げた。何かいけないことでもしただろうか、と考える。
「大体、お主は汗臭い」
「それは悪かった。お前を探してあちこち走り回っていてな」
「わしをか?」
 そうだ、と頷くと暗闇に目が慣れてきた視界で、曹操が眦をきりきりと吊り上げたのが見えた。
「お主こそ、帰還の挨拶に寄ったくせに、顔を見るなりいきなり怒鳴りつけて喚き散らしてきた挙句に、勝手にどこかへ去っていって。わしがあの後散々探したのを知らんのか」
「そうだったのか、すまん、悪かった」
 頭を下げると、ぐう、と咽の奥で声が潰れた音がして、曹操が押し黙る。
「孟徳?」
「……どうしてお主は変なところで素直なのだ。普段はあんなに頑固な癖に」
 ぼそぼそ言う曹操に、夏侯惇は間髪入れずに答えた。
「お前に似たんだ」
 こうと決めたら困難であろうともひた走り、しかし誤りがある、と分かれば引き返すことになったとしても迷わず踵を返す。従兄の意志の確かさと柔軟性を誰よりも傍で見てきたつもりだ。
 自然、夏侯惇自身の指標として身に付いてもおかしくない。
「しかし、俺を探してくれたのか」
 嬉しくなって笑うと、曹操はぱっと目を逸らしてしまった。白い頬が微かに赤くなって見えたのは、闇夜の気のせいにはしたくない。
「まともに主君に挨拶も出来ぬ臣下を叱るために探しておったのだ」
「そうか、では遅くなったが」
 一呼吸置いて、言う。
「殿、夏侯元譲、命じられていた田畑への水引きを終わらせ、ただいま帰還いたしました。詳細は、先日お送りした書簡の通りです。もし報告内容に不明な点などございましたら、ご指摘ください」
「う、うむ……特にはなかったが、それよりも最後に付け加えられていた治水工事の若干の変更点が気になった」
「あれはですな、水引きのための作業をしていて、農民より聞いた話で……」
 続けようとしたのだが、なぜか曹操は恨めしそうな顔で見上げているではないか。
「何かご不満でもおありですか、殿」
「……」
 ついっと目を逸らされた。はて、と首を傾げたが、自分たちの状態に気が付いた。少なくとも、主従の挨拶をする場面でも、ましてや政務の話をする状況でもない。唐変木と従兄弟たちにからかわれる夏侯惇でも、さすがにありえない、と思った。そもそも、危うく本来の目的から逸脱するところだった。
「冷えたままでは、弱った身体に酷となりますし、元譲が温めましょう」
 気を取り直して、主従も従兄弟の関係も脇へ押しやり、想い人同士の睦やかな場面へと無理矢理転換させるが、無理矢理すぎたのか曹操の機嫌は悪そうだ。
「要らん。せっかく涼しくなったのじゃ、また暑くされては敵わん」
「殿は俺に抱かれると熱くなる、というご自覚がおありか」
「――っ~~」
 今度こそ、はっきりと曹操の頬に朱が走った。夏侯惇は曹操のこういうところが愛しくて堪らなかった。どのような手管にも慣れており、賛辞にも眉筋ひとつも動かしはしないのに、自分が懐深く招いた相手からの言葉には、言ったほうが驚くぐらい()いな反応をしてくれる。
 曹操の中身はいつでも柔らかく、傷付きやすいのだ、と感じる瞬間でもあった。
「こんな汗臭くて暑苦しい、でかい男に引っ付かれれば、誰とて暑いわ!」
「それは大変申し訳ありません。しかし、殿にも非はございます。俺の前でこのように肌を晒し、誘惑するのですから」
 眼帯で覆われていない目を細めてみせて、曹操の(おとがい)を空いている手で摘み、また反論しようとした曹操の唇を奪った。
 かなり長い間水浴びをしていたのか、唇までひやりとしていた。頤に添えている手で鬚をそっと撫でて力を込めると、薄く唇が開く。舌を挿し入れると、口腔までひんやりと冷えている。
 舌が絡めば、夏侯惇の下で身じろぎした。少しでも涼しいところへ、と望む身体のように、夏侯惇の舌は冷たい曹操の舌に絡み、こすった。身じろぎが強まり、やはり強引過ぎて嫌だったのだろうか、と不安に思い、薄く目を開くと、眉をひそめた曹操の顔がぼんやり見て取れた。
 唇を離していた。
「すまない、孟徳。お前の意思を無視していたな」
 身を起こして、拘束していた手首や跨っていた体を退()けて、頭を下げた。すると下げた頭を思い切り(はた)かれた。
「――って」
 思わず声を漏らして、やはり怒っていたか、と同じく起き上がった曹操をちらり、と見やると、薄闇の中で顔を歪めている従兄がいる。
「この唐変木!」
 ここでどうしてその言葉が出てくるのか分からない。
「抱くならとっとと抱けば良いだろう。どうしてここまでしておいてやめるのじゃ」
 従兄弟の顔は真っ赤だ。
「いいのか?」
 それでも思わず確認してしまうのは、惚れた弱みか、年下の弱みか、はたまたやはり夏侯惇が唐変木だからなのか。
「久しぶりに帰って来たくせにまともな挨拶も出来ない臣下で、わしの体ばかり心配する媽で、気の利かない従弟だとしても、わしのことを抱きたい、と言ってきたのはお主だけだ」
 それを許したのも、元譲、お主だけだ、と俯いて、囁くように言われた。曹操は耳まで赤くしている。
 ああまったく、曹操からこんな甘い言葉が聞けるなんて、どういうことだろう。夏の暑さで頭がやられているに違いない。それでも今は構わない、などと思いながら、細身の身体を引き寄せて、抱き締めた。
 今度はそっと牀台へ寝かせて、唇をおもむろに重ねる。啄ばんで、唇の柔らかさを思う存分に味わってから、塞いだ。曹操の腕が首筋に絡げられたのを捉えつつ、再び舌を滑り込ませると、曹操からも応じてきた。
 小さく甘い息遣いが夏侯惇の下で湧き、耳を擽る。抱き締め、布越しに覚える体温はやはりいつもより低く冷たく、切なくなった。時々、曹操は自分を苛めるかのように体を酷使するが、体温が戻らなくなるほど水浴びをするなどと、いくら暑かったからとはいえ、やり過ぎではないだろうか。
 夏侯惇の体温のせいか、ようやく曹操の口腔は蕩けるような熱っぽさを発し始めた。抱き寄せていた腕を解き、頬や耳朶、首筋など掌でなぞり、身体の線に添って下ろしていく。冷たい身体が夏侯惇の掌で少しばかり熱を取り戻すようで、熱心に肌を撫でているうちに、曹操の息遣いが苦しそうなものに変化した。
「ぅう……っん……」
 唇を離すと、はあ、と濡れた吐息をこぼした。
「孟徳、もう少し加減をして水を浴びろ。ここまで冷やしては、本当に体に毒だ」
「……っ」
 すると、なぜか曹操は反論もせずに黙り込み、顔を背けてしまう。せっかくの睦事(むつごと)の最中に、また小言を口にしたことに機嫌を損ねたのだろうか。半ば癖になっているとはいえ、またやってしまった、と反省したが、
「そう思うなら、元譲があっためろ。さっき、そう言っていただろう」
 ぼそっと続いた言葉に、残った目玉を大きく見開いた。驚いて言葉を失った夏侯惇へちらり、と視線を流して、なんだ、出来んのか、と言われて、ぶんぶん、と頭を左右に振った。
「任せろ」
 と答えた声が上ずらなければ、決まっていたことだろう。小さく曹操が笑い、頼む、と腕を伸ばしてきた。


   *****


 夏侯惇の指先が胸の尖りを捉えれば、堪えようとしても思わず濡れた息が溢れてしまう。()(とも)るように、冷えた身体は夏侯惇が触れた先から熱くなる。
「……しかし、すでに裸でいられるのは、脱がし甲斐がなく案外つまらないものだな」
 日に焼けて真っ黒になった夏侯惇の顔は、闇の中に溶け込んでしまい窺い辛いのだが、長年の付き合いだ。声の調子で、からかっているわけでもなく、真面目に思った通りのことを口にしたことは、すぐに曹操は分かった。
 羞恥なのか悔しさなのか、入り混じった感情のまま言い返す。
「先ほど、散々人の身体を押し倒したくなるほど、イヤらしい、と言っておったくせに、なんじゃ」
 おかげで、直前までは裸でいることにまったく抵抗を覚えなかったのに、恥ずかしくなって困ったのだ。
「まあ、そうなのだが。お前だって男だ、分かるだろう、その辺り」
 言われて、従弟を見上げる。細く射し込む明かりで男の肢体が薄っすらと浮かび上がっている。また逞しくなった肩幅や胸板が衣の上からでも伝わり、僅かに覗ける胸元やそこから伸びる首筋は太く、男の強さを窺わせた。
 衣の下を想像しての期待感と、少しずつ露わになっていく過程を想像してしまえば、ぞくり、と背筋が甘く痺れてしまう。
 じわり、と。散々川で冷やしたはずの身体の芯が、熱を生む。
 きっとこの従弟は、自分がどんな思いで水を浴びていたかなど、知らないだろう。久々に会えたのに、顔を合わせた途端怒鳴られて、周りから散々泣きつかれた案件(『頼むから服を着てください大合唱』)とまったく同じことを口にして。
 もっと他に言うことはないのか!
 従弟の行動に気分を害した。曹操とて、外へ出て行くときぐらいは服を着る。それを今日に限って着なかったのは、夏侯惇への当て付けでしかなかった。
 机の前で片付けなくてはならない仕事を終わりにさせて、あちこち出歩いたのも、苛立ちを動くことで紛らせようとしたに過ぎない。少し苛立ちが収まって、無性にきちんと夏侯惇の顔が見たくなり探したが、一向に見つからない。おかげでまた苛立ちが募ってしまい、川で水浴びをして晴らしていたのだ。
 本当は、言いたいことは山ほどある。口煩い、久しぶりに会ったのに小言ばかりでつまらん男だ、と罵ってやりたい。
 しかし、夏侯惇に触れられると駄目だった。
 腹が立っていたことも、苛々していたことも、文句をつけてやろうと構えていた気持ちも、太陽の暑さに温くなる水のようだった。
 困ったことに、やはり自分はこの従弟が好きなんだ、と思い知らされる。
「分からん、こともない……」
 わざと曖昧に答えたのは、そんな自分を認めるのが少し悔しかったせいもあった。だが夏侯惇は言葉の裏に潜む曹操の葛藤に気付いた様子もなく、同意を得られて嬉しそうにしただけだ。その単純さが小憎らしくて、わざと意地悪なことを口にしてみた。
「だが、その道理でいけば、わしは抱き甲斐がない、ということになるな。もうやめたらどうじゃ」
 途端、まさか、と言葉が返ってくる。
「気分を害したのなら謝る。お前の身体は充分に抱き甲斐があり、イヤらしい」
 かあっと、顔が熱くなる。
 そんなことを大真面目に宣言するのもどうなのだ。
 まったくこの従弟は極端から極端で困る。
 馬鹿者、と言って頭を軽く叩いた。
「では、早く温めろ」
 これ以上の会話は不毛だ、と切り上げて、先を促した。久しぶりの逢瀬だと、実は先ほどから身体の底は疼いている。曹操とてやめさせるつもりはなかった。
 そうだったな、と夏侯惇は全身の愛撫を再開した。
 厚い手のひらが脇をなぞり、愛しむように背中を撫でると、じわじわと疼くような熱は強まっていく。再び胸の尖りを指先で転がされると、押し殺し切れない吐息が唇から逃げた。
 何と容易く熱を上げる身体だろうか。従弟に指摘されるまでもない。ただ、一つ従弟が知らないであろうことは、相手が夏侯惇だからだ、ということだ。
 お前を抱きたい、と瞳に情欲とも違う、真摯な光を灯して告げてきた従弟に、戸惑いの中に嬉しさが混じっていたことも、きっと知らない。夏侯惇に抱き寄せられて、身体を開かされるときに小さな恐怖と大きな期待に胸が痛かったことも知らないに違いない。
 唇を柔らかく吸われて、髭と唇が曹操の肌をくすぐり、首筋や耳、肩口に愛撫を施す。
「ふ……ぁ……ぅん」
 もっと夏侯惇を感じたい、と広い背中へ腕を回してしがみ付く。曹操の仕草に煽られたように、夏侯惇の愛撫にも熱が入った。尖りを口腔に含んで、吸い、舌で転がす。きゅん、と尖りが痛みのような悦楽を覚える。
 膝頭で、身体の中心を押し上げられて、ん、と声が漏れた。気が付けばすでに緩く硬さを含んでいる。
「ここはすでに熱いぐらいだが、俺のせいか?」
「……っお主のせいだ!」
 わざわざ確認するな、とお主が悪いのだ、とばかりに責めたのだが、そうか、と嬉しそうに笑われてしまった。どうしてそうお主は、と文句の一つでも言いたくなるほど、鈍くて小憎らしくて……愛しい。
 耳朶を舌で舐めてから、夏侯惇は囁く。
「もっと、熱くしてやるぞ、孟徳」
「――~~っ」
 羞恥と期待に甘く芯が疼き、身を竦める。睨み付けようと思ったが、下穿きの上から下肢を揉まれて、息を詰めた。曹操の好いところを知り尽くした指に、簡単に身体は蕩けていく。
 下穿きはあっさりと脱がされてしまい、男の体の下で一糸纏わぬ姿を晒す。内腿の敏感なところを手のひらはさすり、大きく足を開かせると夏侯惇は身を屈めて、まだ屹立し切っていない曹操の下肢を舐めた。
「やっめ……うんっ」
 気持ち良さとは反対の言葉が出るのは、感じ過ぎる身体が怖いせいかもしれない。曹操の甘い声に触発されたのか、夏侯惇の口淫は初めから丹念で、下肢は簡単に育っていった。
「あ……っんん……げんじょ」
 先走りと唾液で湧き立っている水音と、快感に従順な身体に羞恥を覚えて身悶える。男の(あざな)を呼んで、喘いだ。やめて欲しいのか、もっと、と望んでいるのか、自分でも分からない。ただ、荒くなる息と身体はひたすら熱く、下肢に絡み付く夏侯惇の舌と唇に焼け爛れそうな気すらした。
「も、ぅ……っ」
 息が詰まって、限界への震えが全身を包んだ。短い声を上げて、曹操は夏侯惇の口腔へ欲を解き放っていた。嚥下する音が妙にはっきりと聞こえて、吐精感に酔いつつも頬が熱い。
「熱いな……」
「っいちいち言うな!」
「いや、これまで冷たかったらどうしようかと思っていた」
 そのようなことあるはずなかろう! と怒鳴り付けると、冗談だ、と真顔で返された。夏侯惇の冗談は分かりにくくて困る。
「だいぶ、温まったか」
「汗が止まらん」
 言うと、夏侯惇の顔が首筋に下りて、舐めていった。確かに、と呟く。そのまま音を立てて首筋を啄ばまれて、まるで汗に塗れた身体を清めるように、肌のあちこちに唇を落としていった。
 愛しむような行為に、欲を吐き出して熱を鎮めた身体が再度ゆるり、と体温を上げてきた。今度は身体の奥、夏侯惇と一つになれる場所からだ。
「元譲、水浴びをもっとも楽しめる方法を知っておるか」
「いや」
「……もっと、熱くなることじゃ」
 小さく、夏侯惇が笑った。なるほど、と言って、闇の中でもはっきりと分かるほど肩を揺すってひとしきり笑っていた。
「孟徳の言うことはいちいちもっともだ。では、その提案を呑もう」
 夏侯惇の指が秘所をほぐしに伸びてきた。力を抜いて迎え入れ、また一層節くれ立ち、男の指になっている感触に肌が粟立つ。秘所を割る感覚に喘ぎながら、腕を伸ばす。まだ衣を着込んでいた男から、剥ぐように脱がせ、逞しくなった、と感じた肉体が確かなものであることを目にする。
 感嘆をこぼす。
「本、当に焼けた、のだな……っん……そ、れに……またこのよう……に」
 鍛え抜かれて、と続けようとした言葉は、増やされた指に途切れる。従弟の照れ隠しだ、と分かったので、快感に歪んだ眉筋に、笑みを乗せた。
「お前は、ずっと机に向かっていたようだ」
 笑ったので、意趣返しのつもりか、曹操の白いままの肌を撫でて従弟は言い返してきた。
「お主とて、日に当たるといかん、と言っていただろう」
「まったく、何よりだ」
 音を立てて肌に唇が落ちてきた。吸い付くように口吻を寄せたので、くっきりと跡が肌の上に残る。強く吸われた小さな痛みと肌に残された夏侯惇の証に直接的な熱以外の、温かさにも似た想いが込み上げた。
「元譲……ふ、くぅ……ぃあ」
 二本の指が秘所を掻き乱し、内側の悦を押し上げ、曹操の身体も声も乱れさせる。真っ黒に焼けた腕が自分の白い腰に巻き付き、引き寄せられると、ぞくぞくと悦楽が駆け抜ける。
「孟徳」
 低く呼ぶ声が曹操と一つになりたい、と訴えてくる。こくり、と頷いて先を促せば、圧倒的な質量が曹操の身体と心を開いていった。夏侯惇の熱が欲しかったのだと開いた心身は曹操自身に叫んでいて、なお快感を高めていった――


   *****


 無事に策が成ったというのに、文官殿は大変不機嫌だった。
「やはり、下の下の策でしたね。将軍に殺意を覚えます」
「そう言うな。俺だって、あの後大変だったんだ。今もあちこち痛い」
 きっちり服を着込んでいる曹操を遠目に見ながら、ぼそぼそと荀彧と夏侯惇の会話は続く。。昨夜の睦事の名残でどこか気だるそうで、なおかつ暑いのにきちんと胸元が隠れる衣を選んでいる曹操は暑そうだ。横で許褚がひらひらと団扇で風を送ってあげていた。
『こんなに跡を付けるな、馬鹿者!』
 と曹操から激しい叱責と殴る蹴るの暴行を受けた夏侯惇は、全身を擦りながら愚痴る。
「それも計略通りです」
「ひどいな、お前」
 澄まして言った怜君に、呆れる。
『これでは裸でいられないではないか!』
 喚いて、渋々と服を着込んだ曹操を眺めながら、ようやく許都に平和が訪れる、と安堵したものだ。
 昨夜の夏侯惇との交わりで、散々肌に跡を残された曹操は、さすがにこれを露わにしたまま政務はできない、と観念したらしく、久しぶりに袖に腕を通した、というわけだ。
「北風と太陽の計、我ながら見事ですね。将軍に対する不愉快さを除けば」
「はいはい」
 無理矢理着せるのではなく、自ら着なくてはならない状況を作ればいい、という荀彧の策である。北風と太陽の話は逆で、いかに旅人の服を脱がすか、北風と太陽が競い合う、という話らしかったが。
「それにしても、暑いですねえ」
「ああ、だがそれももう少しで終わりだ。秋の気配がする」
 庭の茂みから秋の虫の音が聞こえ、空をトンボが滑るように闊歩している。
「そろそろ、程昱殿と郭嘉を呼び戻してきましょうか」
「そうしろ。お前も少し休め」
 曹操と同じほどに働き詰めであろう男を労わりながら、夏侯惇は滲む汗を拭う。
 この暑さとももう少しで別れが待っている、と思うと名残惜しくなるのは不思議なものだ。心なしか勢いが衰え始めた太陽を見上げて、夏侯惇は小さく笑った。


 夏侯元譲の残暑報告書、以上。


 ■□■


 夏侯将軍殿

 報告書、確かに読みました。しかしこれは何ですか、報告書というのは客観的に、事実のみを書くものです。これはどう見ても、貴方の主観、感情、あまつさえ主公の視点すら入っているではないですか。腹立た
 報告書、と名付けるにもおこがましい代物です。
 書き直してきてください。
 ん、なんですか、この報告書についての注意書きは。
 すでにちまたに流出している? 何と言うことですか。個人宛の文書が世間に出回って良いとお思いですか。誰ですか、流出させたのは!
 責任の追及を求めます。
 将軍、これも貴方に責任の一端がございます。必ずや原因を突き止めて報告してもらいますからね。

 荀彧文若





 あとがき

 そんなわけで、いかがだったでしょうか。
 あの記録的な極暑となった年に書き上げたお話でした。
 再録するにあたり、ざっと読み返したら、あのあっつい年が蘇ってきました(笑)。

 再録するのにも丁度良い季節となりました。
 あまり部数を刷らなかった記憶があるので、
 お手にとっていなかった方がいらっしゃいましたら、
 少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。

 2010年 極暑 にて発行




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