「栖ニ腎ヲ殘ス 4」
  夏侯惇×曹操


 獄舎からの帰り、曹操の私邸に立ち寄った。
 遠征直後だというのに、曹操は滞っていた書簡に目を通していたらしく、まだ起きていた。
「少しぐらい休んだらどうだ。子桓も手伝ってくれたおかげで、さほど急を要する案件も持ち上がっていない」
「ああ」
 生返事だというのは、語調で明らかだ。目許には深い疲労が浮かんでいるが、何かを忘れるかのように執務に没頭している従兄に、また苦い思いが込み上げる。
 大仰なため息をついてみせて、注意を向けさせる。
「なんだ」
 煩わしそうにする曹操へ、楊脩からだ、とは言わずに、伝言を口にしてみる。
「今のお前のことらしいが」
「栖に腎を殘す、か。少なくとも、お主が考えたものではないな」
「意味が分かるか」
「さあな。それでお主はわしに何の用がある」
 ようやく、夏侯惇が来訪した理由を訊いてくれた曹操へ、告げた。
「お前を連れ戻しにきた」
「……分かっているではないか」
「何のことだ」
「今の伝言の意味だ」
「そうなのか?」
「分からず言っておるのか。お主らしいの」
 それで、どうやって連れ戻す?
 尋ねる曹操へ、夏侯惇はしばらく考え込む。
「何だ、何も考えていないのか。まったく、何から何まで元譲らしい」
「劉備は、どうだった」
 聞きたくはなかったが、この話題をするしかなかった。まだ執務を続ける気だったらしく、書簡に手を伸ばしかけていた曹操の動きが止まる。椅子に腰掛けたまま、卓子の前に立つ夏侯惇を見上げた。
「見違えるほど、戦が強くなっていた。攻めあぐねた。妙才は上手く直情的なところを晒されて負けたのか、と思っていたが、そうでもなかったのかもしれん」
 それほど、あやつの軍は強くなっていた。
「苦しい戦だった。なのに、退こうという気が起きない。まだ戦い続けたい、あやつの戦をもっと感じたい、そう思っていた。冷静な、将として自分が撤退するべきだ、と何度も提案していたが、無視し続けた。わしはたぶん、楽しんでいたのだ。兵たちを犠牲にしておきながら、己の個人的な感情を優先して、少しでも長く劉備と向き合っていたかった」
 楊脩に指摘された。
『今の貴方は王として動いておりません。撤退すべきです』
 腹が立った。
 わしと劉備との関係も知らずに、どの口で言うのかと。しかし立場を思い出したわしは、鶏肋だ、と呟いていた。
 そして、楊脩は鶏肋を撤退命令だと解釈し、布令した。楊脩の解釈は間違ってはいなかった。
「それでも、まだ未練があったのだろう。怒りに任せたまま楊脩を処罰した」
「楊主簿は覚悟の上だったようだ」
「そうか。逃がしても構わんぞ」
「いや、本人が望んでいない」
「やはり、お主が通じていたのか」
「お前が悩んでいたら、苦言をしてくれ、と頼みはした」
「おかげで、戻ってくる決意が出来たが……」
「まだ、俺の前にいるお前は曹孟徳ではない」
「そうか」
 何がどう、とははっきり説明できない。ただ、夏侯惇の知る曹操の半分も、曹操らしくない、といえばいいのだろうか。
 影が薄い。そう、恐らく曹丕が初めて劉備を見たときに抱いた感想と同じ思いを、今の曹操から感じ取れる。
「どうしたら、お前はお前に戻るんだ」
「わしに訊くか」
 わしだって分からんぞ。
「……抱き締めていいか」
 構わん。
 卓子を回り込んで、椅子から立ち上がった曹操を腕に囲んだ。
「細くなった」
「最後は、兵糧も尽きかけていたからな。あまり食べなかった結果だ」
「口付けていいか」
 いいぞ。
 戸惑いながらも頷いた曹操へ、口吻を寄せた。
「お前の味はこんなだったか」
 唇を啄ばんでから、首を傾げた。
「久しぶりだから忘れたか」
「ここで抱いてもいいか」
「許チョはおらんぞ」
 私邸なので、衛兵も近くにはいないが、大声や不審な物音を聞けば駆けつけてくるほどには近い。
「加減する」
 自信はないが、と付け加えると、曹操は「そうか」と呟いた。戸惑いが、先ほどよりも濃くなっていた。
 以前よりもさらに細くなってしまった腰に腕を回して、顎を持ち上げた。上向いた赤い唇へ、自分の唇を押し付けるように重ねた。朱の走った目許が閉じられて、夏侯惇に身を預けてくる。
 薄く開いた唇を割り、舌をもぐり込ませた先には、湿った舌が待ち受けている。
 じん、と痺れるような甘さにやはり違和感を覚えたのは、久しぶりだったからだろうか。
 口腔で絡み合う舌は、お互いの存在を確かめ合うように、離れることを拒んでいた。
 身体は夏侯惇の腕の中にあり、暖かさもしなやかさも感じることが出来るのに、人形(ひとがた)を相手にしているような虚しさを拭えない。
 舌を絡めたまま、肢体をまさぐる。衣の上からでも分かる骨ばった体付きに、じりじりと焦げるような痛みを覚える。
 本当に痩せた、と感じる。元々、ただでさえ小柄で細いくせに、蓄えることを知らない身体だ。武も嗜む曹操ゆえに鍛え抜かれているからこそ、激務や長期に渡る戦に耐えられているだけで、普通の人間なら病に伏したとしてもおかしくない。
 抱き締めるたびに、支えるたびに、曹操の均衡を崩さないで保っている体躯と強い精神力の在り処を不思議に思う。弱っていようとも、倒れかけていようとも、まだ奥底に芯が通(かよ)っていると感じることが出来る。
 そのたびに夏侯惇は、曹操はまだ大丈夫だ、と思える。
 しかし今は、まるで骨を抜かれてしまった魚のように、だらり、と横たわるだけの人間だった。
 先ほども、本当に曹操が執務を行いたいのなら、夏侯惇がどう言おうとも続けていただろう。なのに、少し誘いをかけただけで従順に応じてきた。もちろん、久しぶりに再会した夏侯惇と身体を重ねたくなった、というのなら望むところだ。
 だが恐らく、そんな甘い理由ではないだろう。
 曹操とて理解している。己の中身が、ここにないことを感じている。だからこそ、疲労しているくせに執務をしてみたり、夏侯惇と抱き合って存在を確かめてみたくなったりしているのだろう。
 唇を離した。はぁ、と色めいた嘆息をこぼした曹操の目尻は、元からの朱色よりも濃く染まっている。溢れて、顎や鬚を汚した唾液を指で拭ってやると、元譲、と低く字(あざな)を呼ばれた。
 手早く卓上に置かれていた書簡や筆を隅に追いやると、曹操の身体を押し倒す。開いた両足の間に身体を入れて、前ごろもを乱雑に広げて素肌をあらわにさせると、胸の飾りに舌を伸ばした。
「……っ、ぁ」
 小さく身体が跳ねた。曹操の弱いところを知り尽くしている夏侯惇の下で、やせ細った四肢がぎゅっと強張った。硬くなってしまった腕や脚を撫でて弛緩させる。
 舌の愛撫で屹立した突起に歯を立てると、また身体は跳ねた。所在なさげに放り出されている手が、机の天板を掴んだ。
 愛撫を受けずに晒されているだけのもう片方の胸に、指を這わせた。すでに芯を持ち始めていた突起を指の腹で転がすと、曹操の脚が腰に巻きついた。
「動きづらいぞ」
 まだ早くないか?
 とからかえば、曹操は首を横に振って否定する。
「お主が近くに居る気がせん」
 揺れる眼差しで訴えられた言葉に、夏侯惇は眉を曇らす。夏侯惇が曹操を遠くに感じているように、曹操も夏侯惇を感じられないでいたのか。
「こんなのは、嫌だ」
 目を伏せて呟く曹操に、夏侯惇は言葉を探す。
「帰ってこい、孟徳」
 言葉を巧く操れない自分には、精一杯だ。
「戻ってこい、孟徳」
「元譲……」
「帰ってこい、と俺が言ったとき、お前は当たり前だ、と答えてくれたじゃないか」
 出立の前夜、夏侯惇が曹操へ向かって言った言葉をもう一度、伝える。
「当たり前。そうだ、わしにとってお主の下へ帰ることは当たり前のことだった」
 曹操の両手が伸ばされて、夏侯惇の頬を挟んだ。
「その当たり前のことを、わしは忘れてしまっている。帰り道が分からぬ」
 顔が歪み、泣きそうだ。巻きついていた脚がはずれて、口付けられた。
 少しだけ、曹操の味がした。
 夏侯淵の言葉が鮮明に蘇る。
『最後の最後、殿が帰ってくる場所は惇兄のところだからさ』
『私は役目を果たした。――まだ、貴方の役目は残っていますから、お忘れなく』
 楊脩の言葉も蘇る。
『もしも父が戻ってこなかったら、貴方が連れ戻してきてください。それが貴方の役目です』
 曹丕の声が木霊した。
「俺が……」
 歪んだ(おもて)が夏侯惇を見つめる。
「俺が連れ戻してやるから、そんな顔をするな」
 下穿きの帯を緩めて、指を滑らせる。まだ柔らかい下肢を掴み、こすり上げた。
「っん……ん」
 すぐに、夏侯惇の手の中で下肢は存在を主張した。反応の良さに驚き、思わず尋ねていた。
「抜いていなかったのか?」
「もう、そんな歳ではないだろう」
「だが、お前はこんなにイヤらしい身体をしているぞ。よく我慢できたな」
 至極真面目に――羞恥を煽るでもなく、皮肉でもなく言い、弱い箇所を強くこすってやると、声を漏らして背を反らす。
「元譲……!」
 強く睨む曹操の眦は濡れている。身体も心も感じやすい男は、夏侯惇の手と言葉で簡単に乱れていく。もしも夏侯惇以外の男が相手だとしても、こんな淫らで艶かしい姿態を晒すのだろうか。
 考えても仕方のないことが頭を過ぎる。
 劉備が相手だとしても?
 ざくり、と刃先で胸を裂かれたときのような痛みが襲う。
 慌てて、根拠もない妬心を追い出そうとするが、曹操と劉備がともに居たところを見かけては襲われていた痛みは、時を経た今も簡単には追い出せなかった。
 慣れた、とは嘘をついたものだ。
 曹丕と酒を飲み交わしながら語ったことを思い出した。
 慣れるはずがない。
 何年経とうと、いくら情を交わそうとも、この痛みには慣れない。
 情けない、とも叱咤するが、事実、劉備のために抜け殻になっている曹操を目の前にしているのだ。遠い地にいる男に奪われてしまっている悔しさをどこにぶつけたらいい。
「俺を思い出しはしなかったのか」
 掌で下肢を育て上げながら、曹操へ問い掛ける。
「――?」
「俺を思い出して、こうしなかったのか?」
 先端を掻き混ぜる。
「や、ぁんっ……なにを……」
 馬鹿なことを言うな、と叱責する曹操の頬は赤い。珍しくも初な反応をした曹操に、夏侯惇は嗜虐心を誘われてしまう。
「疼かなかったのか。お前は劉備に夢中で、俺のことなど少しも思い出さなかったのか」
 下穿きを引き下ろし、腰から下を露わにさせた。脚を掴んで左右に広げ、あられもない格好にさせると、やはり曹操は羞恥に頬を染めて身じろいだ。
 抵抗しそうな素振りを見せたので、そそり立っている欲の(しるし)を咥えこんだ。
「ひゃ……あ」
 力が緩んだところを見計らい、秘奥も指で刺激した。硬く窄まっている秘奥は夏侯惇を拒絶するかのようで、曹操の中を占めているであろう男が潜(ひそ)んでいる気さえする。
 口腔で欲を育てつつ、指は秘奥を傷つけないようゆっくりと侵入を果たす。まだ早い、と訴える曹操に耳を貸さず、舌で欲を。指で奥底の欲を暴きだしていく。
 性急に曹操を求めたい、と思うのは、やはり見慣れない反応をする曹操に誘われてのことだろうか。
「もっと、ゆっくりやら、ぬか……っ」
「何でだ」
 咥えたまま不明瞭にしゃべると、刺激で悦を覚えてしまうのか、曹操の息が詰まった。
「駄目だ……ひっ、ぅ」
 指が皮膜のしこりを突いた。仰け反って悦に身悶える曹操は、弾けた声に恥じたように顔を背けてしまった。
「お主を近……くっ……に感じぬ、と言ったで……ぁ……あろう」
 先端を強く吸う。指がしこりを撫で上げれば、ひくん、と口腔で脈打つ欲が夏侯惇の官能を生む。
「元譲ではない者に、抱かれている……ぃ、あ……気が……っ」
「俺ではない誰かに抱かれて、お前はこんなに感じているのか」
 口から下肢をとき、指で奥を突いた。
「うぁ、あ……っ、は」
 ふくり、と曹操の眦と下肢の先に雫が盛り上がる。
「違うっ……、そうではない、が……ぁ」
 先端に盛り上がった雫が伝い落ちる前に舌を伸ばして掬えば、甘い声で曹操が啼く。指は内側を抉って、雫を次から次へと流させた。
「ふぅ……っぅう」
 曹操は袖を噛み締めて、声を抑えはじめた。訴えかけるような、濡れた眼差しを向けられて、夏侯惇は背筋がぞくっと痺れた。
 まるで初めて夏侯惇に抱かれて、感じすぎる自分をどうしていいのか持て余していた、あのころの曹操がいた。
 きっかけはなんだったろうか。今となっては遥か昔のことだ。
 政や戦、あらゆることに手を伸ばして傍目にも無理をしていることが分かりきっていた。そんな従兄の身を案じて誡めようと口を開いた。
 ところが、従兄に口論で勝てるはずもなかった。どうしても通じ合えない想いに切なくなり、悔しくなった。
 抱き締めれば伝わるのだろうか、とやけくそのように曹操を腕に囲った。
 気付いたら、肌を合わせていた。
 ただ鮮明に覚えているのは、抱き締めた従兄の身体が思った以上に細かったことと、抱き終えたあと、ああ、こうすれば良かったのか、と妙に納得したことだけだ。
 曹操を案じる想いをどう言葉にしていいのか分からなくなるもどかしさが、肌を通して伝わっているような気がしたのだ。
 どうして、曹操がひどく感じてくれたのか、情事のあとに訊いてみた。
『……っ馬鹿者が。そんなことを訊く奴がおるか』
 恥ずかしそうに目許を赤くして、それでも曹操は答えてくれた。
『お主のわしを想っている情が流れ込んでくるようで、恥ずかしかっただけだ』
 やはり自分は、口よりも行動で示したほうが、何事も伝わりやすいらしい、と自覚したのはそのときからだ。
『俺も、孟徳が抱えている痛みや苦しさを感じ取れたような気がする』
 そうか、とそのときは顔を背けられて素っ気無い態度を取られたが、後から嬉しかった、と言われた。
 増やされた指に、咽が晒された。細い肢体が夏侯惇の下で踊っている。
「……はっ……ふ、うっ」
 強い刺激に曹操の全身は薄く桃色に変化している。久しぶり、ということもあるだろうが、悦楽に溺れる自分が怖いのだろうか。それとも、やはり夏侯惇ではない誰かに抱かれている気がするのか、曹操は腕を伸ばして、内側を乱している手を掴んだ。
「嫌か」
 首は左右に振られるばかりだ。
 どうしていいのか、曹操自身にも判断がつかないのか。だが、夏侯惇も分からないのだ。
「続ける」
 指を引き抜いて、曹操の腰を高く持ち上げた。何をする気なのか察した曹操は、焦った顔をした。
 舌を伸ばして、秘奥を舐めた。
「ひ……っふ」
 曹操は強く袖を噛んで、漏れる声を抑えようとしている。
 舌先に感じる曹操の秘奥は、指よりも鮮明に、夏侯惇へ悦楽に酔っていることを伝えてくる。
 夏侯惇の頭を押しやろうとするが、不自由な体勢だ。力が入らないらしく、諦めて顔を覆った。
 舌が水音を立てて蕾をほぐすたびに、下腹や下肢がひくひくと痙攣する。もちろん、舌先にもヒクつきは覚えていた。
 曹操の咽奥から嗚咽のような声が漏れている。両腕に覆われた顔は窺い知れないが、本気で嫌がっているなら夏侯惇には分かる。舌を深く挿し込めば、秘奥は蕩けるように広がった。
「も……いいから」
 小さな声で、袖を口から離した曹操が先を促した。逆らわず、曹操をうつ伏せた。卓上に手をつかせた曹操の腰を掴む。
「挿(い)れるぞ」
 覆い被さり、耳元で断りの言葉を囁く。曹操を案じての気遣い、というよりは、期待感を煽らせるものだ。事実、掴んだ腰が小さく震えた。
 猛り、熱塊(ねっかい)となった下肢を白い双丘へとあてがう。隙間をこすり上げるように数回、秘奥を撫でることを繰り返す。熱で突付くたび、細い背中は痙攣した。
 指と舌で散々にほぐしたあとだ。僅かな刺激でも期待感と馴染んだ悦に昂ぶるのだろう。育ち切っている曹操の下肢からは雫が滲んで床を汚していた。
「げんじょ……はや、く」
 堪らなかったのか、曹操は首を捻って促す。
 元譲、と再び促されてから、ようやく夏侯惇は下肢を曹操の中へと埋め込みにいく。待ち望んでいたせいか、さしたる抵抗を覚えずに、ずるり、と熱い皮膜に下肢が包まれていく。
「あ……っあ、ひっ……」
 しかし割られる感覚だけは強い刺激だったらしく、曹操の手はがりっと卓上を引っ掻いた。腹側の鋭敏な箇所を掠めたときは、背中は弓なりに反れてびくり、と震えた。
 張り出した部分を鋭敏な箇所の先で止めて、耳元で指摘する。
「声が大きいぞ、孟徳。衛兵に聞かれる」
 横目で睨み付けられた気もしたが、身体を起こすようにすると、微妙なところで留めていた切っ先が内側のしこりに当たったのだろう。
「や、ぁ……ふぅんん」
 顔を伏せて、再び袖を噛み締めて声を殺した。
 下肢を最奥まで到達させた夏侯惇は、腰を掴んだまま軽く揺すった。曹操の身体は跳ねて、秘奥が締まった。狭くなった皮膜を掻き混ぜるようにすれば、くぐもった嬌声が伏せた顔の下から聞こえる。
 腰を掴んでいた手を滑らせて、胸の突起を撫で上げる。
 身体の下で反応する曹操に充足感を覚えつつも、さらに最奥を侵したい、と腰を打ちつけた。
「ふぅっ……」
 呼気に似た喘ぎが上がる。
 奥の奥を欲望で満たして、曹操の中に巣食っている男の影を引きずり出したい。曹操を己で満たして、誰の入る隙間も作りたくない。
 腰を引き、再び奥へと激しく穿った。
「はっっ……っふ」
 突き込まれて、逃げるように曹操の身体がずり上がっていくのを、再び腰を掴んで押しとどめる。これ以上ない、というほどに奥を突いているのは分かっているが、深く深く、と身体が求めて仕方がない。
 腹側をこすり上げれば、痛いぐらいに秘奥は締め付けてくる。熱い皮膜を掻き乱せば、曹操は嫌だ、とばかりに左右に首を振る。すでに半ば乱れていた髻(もとどり)はぱらぱらとほどけていき、首筋や頬に落ちていった。
 孟徳、と崩れた髻に鼻先を埋めながら、囁いた。
「孟徳……」
 もう一度、呼ぶ。
「お前の奥にいるあいつの影や、お前の執着はお前のものだろう。だけども今、お前の中を埋めているのは誰だ。お前の中を侵し、お前を夢中にさせているのは、何だ」
 深く、曹操に刻み付けるように、熱塊を送る。
「……っう、ふ」
 胸にまた手を伸ばせば、尖り切ったしこりが当たる。強く摘み上げて、余すことなく悦楽で曹操を満たす。
 袖を咥えている顎を外して、顔を向けさせた。
「孟徳、俺は誰だ」
 悦楽に酔っている目が夏侯惇を捉えて、ゆっくりと小さな弧を描いた。
「元譲……、元譲だ」
 何かが一本、曹操の中を貫いたのを感じた。
 手ごたえが変わった。
「元譲」
 身体を捻って、腕を伸ばしてきた曹操に応えるため、夏侯惇は仰向けにと体勢を戻させる。中に埋められたままの熱塊に皮膜を抉られて、曹操は極みを迎えかけたのか身体が強張ったが、縮こまった肢体をそっと伸ばして、笑った。
 再び腕を伸ばした曹操の身体を強く抱き寄せた。
「わしの中にいる劉備を、お主が認めたことなど初めてだ」
 近くになった曹操の唇が、夏侯惇の耳元で動いている。
「お前の中にあいつがいてお前が曹孟徳だというのなら、俺はあいつごとお前を抱き締めてやる」
 たとえ、胸を抉る痛みを覚えようともだ。
「男前だな、元譲」
 くつくつ、と笑う声が耳に優しい。
「からかうな」
「からかってなどいない。おかげでわしはわしで居られる」
 音を立てて、耳朶に口付けられた。ぞくり、と少しの間、脇に押しやっていた欲望が主張し始める。
「口を動かすのはお前の得意とするところだろうが、俺は生憎と不得手だ」
 だから、と奥に収めてあった下肢を揺する。
「んぁ……ぁ」
 甘い声が上がった。
「分かっておる。だが、少しだけ待て」
 慣れた、とは嘘をついたものだ。
 慣れるはずがない。
 何年経とうと、いくら情を交わそうとも、この痛みには慣れない。
「帰ったぞ、元譲」
 これぐらい、言わせろ、と笑う。
 しかし痛みは、曹操の言葉と笑顔を見ると薄れていく。
 お前がどこの誰に心を奪われようとも、俺の下が帰る場所だ、と笑ってくれるなら、幾らでも、何度でもこの痛みに耐える自信がある。
 何せ、俺にとってもお前の笑顔が帰る場所なのだから。
 腕に包み込んだ曹操の肢体の奥に、確かに通っている芯を覚えて、夏侯惇はようやく口にした。
「ああ、おかえり、孟徳」
 あとは二人に、言葉は要らなかった。



 ******



 司馬懿と政務の打ち合わせをしているらしい曹丕を、夏侯惇は呼び止めた。遠慮した司馬懿が離れていったのを見てから、夏侯惇は楊脩の言葉を曹丕に訊いてみた。
「栖に腎を殘す、ですか」
 じぃっと天井を睨んで、曹丕はしばし考え込む。それからすぐに夏侯惇へと視線を戻す。
()す、はそのままの意味で、『(のこ)す』でいいでしょう。(じん)は、『(こころ)』に置き換えることができます。(せい)は、ざるの形をした鳥の巣のことです。ざるに水を入れると、当然水を留めておくことはできず、流れていってしまいます。そのことから、ざるの目から水、つまり陽の光や暖かさが流れていく方向、『西』を意味する語源になりました」
「ということは」
「意味としては『西に心を残している』ということでしょうね」
 今の父には関係ない言葉となったようですが。
 大いに含んだ物言いをする甥に夏侯惇は頭を掻いた。漢中から曹操が戻ってすでに幾日か経っているが、すっかり普段の曹操らしい活力溢れる姿に戻っていた。
 夏侯惇は暗にからかわれているのは分かったが、無言でやり過ごすことにした。
「子桓、元譲!」
 大声で、後ろから曹操に呼ばれる。
 喜悦に満ちた声音に、二人は顔を見合わせつつ、駆け寄ってくる曹操を待つ。
「何か良いことでもありましたか、父よ」
「おお、ついにな、あやつがやりおった」
 あやつ、とは?
 首を傾げる夏侯惇と曹丕に、曹操は言い放つ。
「劉備め、漢中王と名乗りおったわ」
 それは、と目を見開く。高祖、劉邦が名乗った称号だ。すなわち、曹操を滅びた項羽に見立てた、とも取れる。
 影が光に取って代わった、というのか。
「そのどこが良いことなのだ、孟徳!」
 思わず唾を飛ばす。
「愉快ではないか。あやつが劉邦、わしが項羽だというのなら、項羽が勝つ歴史をのちに見せ付けることになる。見ておれ、劉備め」
 気炎を上げている曹操は一人で楽しそうで、夏侯惇は天を仰ぎ、曹丕は呟く。
「勝負を楽しんだ者が勝ち、ですか。そうかもしれませんね」
「しっかし、あいつの元気はどこから出てくるのだろうな」
「……自覚なし、ですか。叔父貴らしい」
 曹操が倒れそうなとき、崩れそうなとき、いつも傍で支えていたのは誰なのか、隻眼の将軍は分からないらしい。
「誰しも己のことは分からないもの、か」
「なんだ、さっきから一人でぶつぶつと」
 不審がる叔父へ、甥は何でもありません、と答えて小さく笑う。

 建安二十四年(二一九年)、七月のことだった。



  終 幕





 あとがき

 09年3月に出した同人誌より再録でした。
 この本は、曹操と劉備との関係性を夏侯惇から見たら、というのがテーマでした。
 曹操と劉備の関係は二人にしか理解できなくとも、それを許容できるのが夏侯惇、という男ではないか、と思った結果の話です。もーとくもーとくうるさくっても、曹操が帰る場所はやっぱり夏侯惇のところであるし、夏侯惇はそれを本能で分かっていて欲しいな、という妄想でもあり(笑)。

 劉備が思った以上に出張ったことと、曹丕がこっそり活躍している辺りは、いつもの鉛筆倶楽部仕様です(笑)。

 それでは、ここまでありがとうございました!




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