「目がつぶれるような嘘で 僕をだましてくれませんか」 君に贈る7つの懇願 より 夏侯惇×劉備 |
昔から、従兄と同じものを好きになった。 暖かくなると咲く、鮮やかな色を誇る花であったり。 暑い時期に夜空を見上げると必ず輝いている一つの星であったり。 秋になったら実る大地からの贈り物であったり。 寒くなると空から降ってくる冷たいものであったり。 主体性がない、と大人に諭されるのが何よりも嫌だった。好きな人が好きなものなのだ。自分が好きにならないはずがないではないか。 だがこれは。 とさしもの自分でも呆れ、悩み、呪った。 嫌いだ、と言いたかった。 ともに愛でることの出来る花でもなく、肩を寄せ合って見上げることの出来る星でもなく、分け合って食べることの出来るものでもなく、騒ぎながらその上をごろごろと転がりまわることも出来ない。 ただ、ひとりの、人。 自分だけを見ていて欲しい、と願う、もの。 従兄が気にしていた。義勇軍の長であるという、一人の男だ。武技を誇る自分などは、従兄が気にした男よりも、脇に立っている長髯の男や、大柄な男のほうが気になった。それでも従兄があまりに気にするものだから、自然と自分も男を注視するようになった。 妙な男だ、と思った。 従兄のように学に長け、戦術に秀でているわけでもない。口も上手いほうではないらしく、少しばかり困ったように笑う、何を考えているか良く分からない男だ。 だのに、男の周りに人は絶えない。 会うたびに、増えているように見える。 ついに従兄は男に力を貸す、とまで言い出した。乱世の中で行き場を失った狂犬に、寝床を奪われてしまった男を助ける、という。やめておけ、とは言わなかった。そして、自分はその途中の戦で片目を失った。 「夏侯将軍」 回廊で呼ばれた。あまりしゃべらないくせに、一度口を開けばその声は良く通り、はっと人の耳を惹き付けて離さない。 狂犬を退治した従兄は、男を許都へと招いていた。その頃には自分も片目を失った傷は癒え、ただ急速に狭くなってしまった視界に、必死で体を慣らしていた最中だった。 振り返ると、男が立っていた。いつもと同じ、少しだけ困ったような淡い笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。 「何か御用か、左将軍殿」 男は――劉備は帝から将軍の位を授かっていた。当然のように夏侯惇はそう呼んだが、居心地悪そうに、劉備の浮かべていた笑みが困惑の色を含んだ。しかしそれには何も言わず、口を微かに開いて、何か逡巡しているようだった。 夏侯惇は黙って劉備の言葉を待った。こうして劉備が個人的に話しかけてくるのは初めてだった。目が合えば略礼ぐらいはしたが、会話を交わした記憶はない。だが、従兄が良く劉備のことを話すせいか、あまり知らない男、という印象はない。 それに恐らく―― 「傷の……目のお加減はいかがでしょう」 「……ああ、いや、もう。時々痛むぐらいです」 「そうですか」 笑みが、安堵に変わる。劉備に気遣われることが意外で、それが顔に出たのだろう。劉備が続けていった。 「大丈夫ですよ。私のところにも片目を失くした者がおりますが、今も戦場に出ております」 「……」 嗚呼、と微かにため息まじりに声が漏れた。 好きだ、と思った。 この男はこうやって、相手のもっとも欲しい言葉を容易くくれるのだろう。だから、人が集まる。あの従兄が、気にする。 心配するな、無理をするな、ゆっくり休め。 隻眼となった夏侯惇へかけられる言葉は、その身を労わるものばかりだった。従兄は見舞いに来て、待っている、とだけ言った。夏侯惇が戻ってくる、と信じて疑わない言葉は嬉しかったが、不安がないわけではない。 その不安を取り除くような、慈しみでもなく労わりでもなく、背中を押す言葉がありがたい、と心に沁みた。 この男は、こういう男だ、と本当は知っていた。従兄が話すからではない。自分が、ずっと劉備を見ていたからだ。 『これ』は好きになってはならない男だ、とどこかで理解していた。従兄が好きだからと言って、好きになってはならない男だ。 だが、従兄が男を助ける、と言い出したとき止めなかった。それは、自分も男を助けたかったからだ。 「なぜ、俺の傷の心配をしてくれる」 口調が素に戻る。偽らざる自分のまま、劉備と話したかった。 「私を、見ていたから」 「なに?」 「将軍は、私を良く見ていたでしょう。その眼差しが一つ、少なくなってしまった。見つめられている側とすれば、気になりますでしょう」 「気付いて……」 気付いていたのか、と口にしかけて、はっとした。劉備が珍しく楽しげに笑っているではないか。自分を見つめている男を、劉備はからかっているのだ、と気付く。存外、人が悪い。 「心配、していました」 にこり、と笑うこの顔は、どういう意味だろうか。 自惚れていいだろうか、と残った目玉で劉備を見つめる。その笑顔から内面を読み取ることは難しい。 むしろ―― ああ、むしろそうだ―― 初めて従兄と分け合いたくないものが出来たのだ、と口にしてみよう。 そうですか、と男が引き続き笑っていたのなら、それでいい。 もしも男が笑みを消してしまったのならば、この残った目玉すらくり抜いて、お前の笑顔だけを焼き付けて、闇の中へ閉じ込めてしまおうか。 だが、夏侯惇には確信めいた思いがある。 劉備の笑みは消えないだろう。 それが男の本心であろうと、偽りの笑みであろうとも、この男は自分を騙しぬいてくれるはずだ。 なにせこの男は、相手の欲しいものが分かるのだから。 さあ―― 目がつぶれるようなうそで 俺をだましてくれ―― 終 サイトのバージョンが、劉備→夏侯惇だったので、今回は、夏侯惇→劉備 ってーことでひとつ。 |
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