「赤く染まった目許」 どきりとする10のお題 9より 曹操×劉備 |
さぁっと、まるで化粧の紅をさすかのように走る、その目許の朱が好みだった。それを見るためには、どんな手をも使う。 たとえそれが、怒りによって現れるものだとしても。 強引に宴で隣席させた。 今日行われている宴は、曹操が主役のものだ。決して隣の男のためのものではない。 詩歌愛好者たちのためだ。 詠み交わされる詩に、各々の解釈や編訳を付け加えて、ひとつの詩に何通りも意味をもたす。 もちろん、詩に精通していなければ出来ないことであり、そういう一歩踏み込んだ詩家たちの集まりだ。 それは当然、曹操の隣に座っている劉備という男にとっては、もっとも縁遠い世界であろう。そう分かっていて曹操は隣席させているのだ。 そして、少なくとも微笑を浮かべてはいるが、倦んでいる上に苛立ちすら感じているのが、曹操には手に取るように分かっていた。 「退屈か、劉備?」 苛立ちが並々と注がれた器に、さらに水を注ぎ足すような真似をする。 「いいえ」 簡素な答えに、それが是だと答えているようなものだ。 「詩はどうだ」 「良くは分かりませんが、風情は覚えます」 「そうか、ではお主もひとつ作ってみないか」 頬に朱が乗った。 惜しい。 「私ごときでは、詩など」 断ろうとする劉備の言葉に覆い被さるように、曹操は声を張り上げた。 「劉皇叔殿が詩をおひとつ詠まれるそうだ」 ほお、へえ、とあちこちから声が上がるが、それは侮蔑の含まれたからかいの声であるのは明らかだ。 「曹公っ」 小さな叱責が劉備から聞こえたが、当然無視をした。 「さあ、ではどうぞ、劉皇叔殿」 ちらり、と目線を流せば、微笑を浮かべていたはずの口元が僅かに震えている。 「何でも良いのだ。お主が感じたままを詩にいたせば」 頬に乗っていた朱が、徐々に目許をも染めていく。 ああ、近い。 だが、欲しい光景とは少し違う。 「私のような者は、曹公や皆様のように繊細な心を持っておりませんので、詩などとても……」 逃れようとする劉備に、今度はあからさまに見下したような、そうでしょうな、という賛同する声が上がる。 普段の曹操なら、一睨みしてそういう声を封じる。誰にでも才はある。それを言葉の刃で殺すのは、大抵は己の才に溺れているものだ。そういう他者の才を潰すようなことをする輩は、曹操の一番嫌う人種であった。 しかし……。 劉備の顔がその野次に俯いた。朱が乗った頬が白く戻った。 そうだ、一瞬にして赤に染まらなくてはならない。 白を取り戻させた、その野次を放った者を許した。 「作れぬのなら、無理はしなくとも良いが。聞いているうちに何か思いつくこともあろう?」 一端引いてみせ、男の矜持をくすぐる。憎い男に救われる、となれば我を張るだろう、と思った。 「ええ、そうします」 しかし劉備の矜持は揺れなかったらしく、安堵したように曹操の言葉に乗った。 失敗か、と曹操が思ったとき、また野次る声が上がる。 「皇帝のお血筋であるが、やはり農民上がりでは詩歌を愛する心など理解できぬのであろうな」 さぁっと、真っ赤な紅をさしたように、劉備の目許が赤く染まった。 不思議と、その待っていた光景に曹操の胸は高鳴らなかった。 それどころか、胸に溢れたのはどす黒い感情だ。 侍ていた近衛を招き、その耳に囁く。 あの男を殺せ、と。 短い返答と共に、近衛は幾人かを従えて、野次を飛ばした男を捕らえ、宴の席から連れ出した。 それを呆然と見送る参列者を一瞥して、曹操は少し席を外す、と言い残して、劉備の腕を引いて広間を出る。 「曹公、あの男は」 訊かなくとも分かるだろうに、劉備は作り笑いであった微笑を消して、愁眉を作った。 「お主に恥をかかせた。そんな者に生きている資格が必要か?」 冷たく吐き捨てれば、劉備はその愁眉を開いた。 「おかしなことを。貴方こそ、私に恥をかかせたくて、このような席に招いたのでしょう」 「やはり気付いていたか」 「当たり前でしょう」 「ふんっ」 面白くない、と腕を掴んだままの男を睨む。誰もが怯むであろう、権威を含んだ曹操の眼差しを、劉備は平然と受け止めている。 普段のこの男は本当に可愛気がない。 あの朱を走らせた目許だけが、曹操を愉しませる。 ぐいっと、掴んだ腕を引いた。 懐へ倒れ込むように身を寄せた劉備の唇を、素早く己の唇で塞いだ。 劉備の身体が強張る。 どん、と突き放された。 真っ赤な、熱い男の魂(血)を示すかのようなそれが目許を艶やかに飾った。 ああ、これだ。 どくん、と心臓を打った心地よい満足感に、曹操は笑った。 「何を……っ」 ぎゅっと唇を擦って怒気を露わにした劉備は、背を向けて駆けていってしまう。 どうしようか。 一人残された曹操は、唇の端を釣り上げながら思う。 癖になりそうだ。 あの目許の鮮やかさと、そして……。 唇の柔らかさに。 無糖な二人。いつも通り。 |
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