「憂える横顔」
どきりとする10のお題 6より
 曹操×劉備


 義弟たちに囲まれて笑う男は、いつも楽しげだった。
 曹操から見れば冬の風に晒された、木の枝に一枚残った葉のように、いつどこへ飛ばされてもおかしくないような、そんな日々であるのに、男はそれが何だ、といわんばかりに楽しげだ。
 むしろ、飛ばされるなら飛ばされるで大歓迎だ。飛んだ先に何があるのか、見てみたい。
 そう思っていそうだった。
 ならば、少しぐらい、その枝から自分が摘まみ上げ、窓辺に飾ってみてもよいか、と思ってしまう。せめてこの寒風吹きすさぶ中でなく、薫風舞う中で踊ればいい、と少し手元に置いておきたくなったとしても、構わないではないか。



「のお、劉備、ここでの暮らしはどうだ?」
「ええ、とても素晴らしいです。隙間風に悩まされることもありませんし、明日の食料を心配する必要もない。毎日暖かい寝台に潜れる」
 ありがたいですね、と微笑んだ男は、しかし義弟たちに向ける、弾けるような笑顔を曹操に見せてはくれなかった。
「不自由していることはないか」
 何かが足りないのだろうか、と訊いてみる。
「いいえ? 曹操殿の心配りが行き届いているのでしょう。困っていることは何もありません」
 小首を傾げて、劉備は、ああでも、と続けた。
「不自由がないことが、不自由でしょうか」
「なんだ、それは」
 謎かけのような言葉に、曹操は首を捻った。
「どうも慎ましい生活に慣れてしまったようでして、贅沢がひどく悪いもののように思えるのです」
「そういうことか」
 面白いことをいう、と曹操は笑うが、その実、劉備の憂えた横顔を見逃さなかった。
 窓辺に飾った葉が、曹操の鼓動に会わせるようにかさり、と音を立てた。



 ある日、曹操は微行して、劉備に与えた屋敷へと赴いた。
 劉備がここの生活に不満を抱いているのなら、そしてそれを曹操に遠慮して言い出せないのなら、弟たちには漏らしているのでは、と確かめに来たのだ。
 ここ最近、劉備は屋敷の近くで畑を耕しているらしい、との報告を受けていた曹操は、そちらへ向かってみることにした。
 案の定、劉備はそこで泥まみれになって農作業に没頭しており、傍では関羽や張飛もせっせと草むしりをしていた。
「兄者〜、俺もう腰が痛い」
「翼徳、お前、さっきからそればかりだぞ」
「だけどよ、雲長の兄者、俺こういう地道なのはどうも。畑を耕すとか力仕事ならいいけどよ……って、雲長の兄者、髯、髯!」
 曹操に背中を見せている形の劉備は、体を揺すって楽しげに笑った。
「あははっ、雲長、髯に泥がついているぞ」
 関羽の立派な髯は無惨にも泥まみれとなっていた。
「やや、これは!」
「今度、髯嚢でも作ってやるか」
 愉快で仕方がない、といった劉備の声が、曹操を戸惑わせる。
「劉備……」
 思わず姿を現して声をかけていた。
「曹操殿! どうしてこのようなところに」
 驚いた劉備だったが、自分の姿を見下ろして照れたようだ。
「申し訳ありません、このような格好で。今すぐ着替えて参りますので。雲長、翼徳、お前たちも屋敷に戻って曹操殿を迎える準備を」
 不満そうな張飛を促して、関羽が拱手して去っていく。残った劉備が、曹操を傍の腰をかけるのに程よい石へと誘う。
「少しこちらでお待ちください」
 そう言って、劉備は引いてある小川の中で手を洗い始める。その屈み込んだ背中は楽しげだった先ほどとは打って変わり、どこか窮屈そうだった。
 気付けば、曹操はその背中ごと劉備を抱きしめていた。
「っと、危ないですよ、曹操殿。それに私は泥だらけですから、汚れてしまいます」
 動じた様子もなく、劉備は笑いの滲んだ声で答え、首をねじって曹操を見やった。
「……どうしました、曹操殿」
「お主を、枝から摘み上げてしまった儂がいかんのか」
 枝から離れた葉は枯れてしまう。自ら離れてどこかの地へ飛び、その地で身を横たえて、肥やしとなる道を選ばせなかったから、男は窮屈そうに生きているのか。
「貴方のおっしゃることはいつも難しくて良く分かりませんが、私のせいで貴方が苦しんでいるのなら、謝りましょう」
「そんなものはいらん。儂が欲しいのは」
「欲しいのは?」
「……っ」
 言葉に出来ずに、劉備の首筋へ顔を埋める。
 土と草と、日向の匂いがした。それが酷く懐かしくて、自分の都臭い香などくすんで思えた。
「曹操殿、そのように押されては……っ」
 しかしその懐古は長く続かず、劉備の慌てる声で我に返り、二人は揃って小川の中へと落ちてしまう。
 畑のために引いた小川なので、深さは全くないが、二人がずぶ濡れになるには充分だった。
「すまない」
「貴方が謝ることではありません。私も謝らなくてはならない。居心地の良さを、貴方のせいにして少々腐っていました。勝手に窮屈だ、などと思い背を丸めていました。それを貴方はご自分のせいだ、とお思いになったのでしょう?」
「やはり、窮屈だと?」
「私は、どうも根っからの貧乏性らしいです」
 照れ臭そうに笑う劉備は、あの兄弟たちに見せる笑顔に近かった。
「それにしても、これは曹操殿も着替えないといけないようですよ」
「そのようだな」
 二人は自分たちの姿を見下ろした。
 派手な水音に驚いた関羽が駆けつけて来たときには、二人は大声で笑い合っていた。



 窓の外はすっかり春の暖かな風が流れていた。
 窓辺に飾った葉もすっかり枯れ、曹操の掌の上で崩れそうだった。それをそっと窓の外へ吹き飛ばす。
「今度は、どこへ行くのだろうな、劉備よ」
 見送った男の背中は、いつか見た楽しげな背中と同じで、きっと今窓の外へ流れていった葉と同じで、二度と曹操の下へと戻ってはこないだろうが、なぜか悲しくはなかった。
 葉にも冬越しが必要だったと信じていいのだろうか。つかの間の冬に、自分の下にいてくれたことを喜ぶべきか。
「儂が欲しかったのは、お主の自由に踊る姿だ」
 葉の一欠けらが、春の霞んだ空へと舞い上がった。





 私があまり書かない珍しい二人の関係(甘々のつもり)。



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