「その顔の裏側をみせてはくれませんか」 君に贈る7つの懇願 諸葛亮×劉備 |
表情の乏しい男だ。 軍師という男の立場がそうさせているのか、とも思ったが、出会った頃よりそうであった。 三度も男の草庵を訪れた、基盤もない夢ばかりを語る劉備を不審がっているせいで、表情が無いのだろう、と思っていた。諸葛亮のような存在が自分には必要だ、と必死に説き、男の首を縦に振らせるまでは、と食い下がった。 おかげで、承諾してくれたときは嬉しくて泣いた。そのような見っとも無い姿を男の前で晒したにも関わらず、相変わらず男は笑うでもなく戸惑うでもなく、静かな眼差しを劉備に注ぐだけであった。 「なあ、孔明」 「なんでしょうか、我が君」 呉からの使者が帰り、二人きりとなった部屋で、劉備は諸葛亮へ切り出した。 「そなたのその顔は……その、生まれ付きなのか?」 「生まれ付きですが」 「……」 しまった、当たり前のことを聞いてしまった。そうじゃない、そういうことを訊きたいのではない。 「すまん、質問を間違えた。あー、つまり、そなたは笑ったり泣いたり怒ったりをせんのか、ということをだな」 「しますけども」 「……そうか」 また間違えた。 「だが、その、あまり私には分からないのだが、どうにかならんのか?」 「お分かりになられないのですか?」 「……」 そう言われると肯定しづらい。自分で望んで迎え入れた相手のことを、まったく理解できていない無能者のようではないか。 「先ほどの呉からの使者の方へも、私は存分に嘆いてみせたのですが」 「あれは、演技、だろう?」 「もちろんです」 この、普段から表情の変化に乏しい男が、使者が荊州の地の返還を迫った途端、大仰に泣き始めたものだから、そういう打ち合わせをしていた劉備さえも驚いて、つられるようにもらい泣きをしてしまった。 おかげで呉からの使者は騙されて、そこまでのっぴきならぬ事情があるのでしたら、また日を改めますので、と引き下がってくれた。 だが代わりにそれは劉備の興味を大いに刺激する結果となった。いや、前より気になっていたことを切り出すきっかけになった、ということだ。 劉備とて、心許せぬ相手では、あえて喜怒哀楽をはっきりさせないように気を遣っている。それは、やはり相手に心を読まれない手段のひとつであるし、些細なことに動揺しないのは、大器である、と相手に思わせるのに好都合だからだ。 きっと諸葛亮とて同じだろう、と思ってはいるのだが、この男に限り、いつ、どのような場面だろうと笑っているのか怒っているのか、感情の発露を見つけることが難しかった。 その諸葛亮が、演技とはいえ嘆いている姿を目にした、というのは劉備にとって新鮮だった。新しい男の一面を見られて、劉備の好奇心はすこぶる刺激された、というわけだ。 「こう、もっと分かりやすく感情を表すことは、普段から出来ぬのであろうか」 「我が君は、私のそのような顔を見たい、とおっしゃるのですか」 「平たく言うとそうだ」 「平たくおっしゃられなくとも、そうとしか取れませんが」 表情が乏しいわりに、諸葛亮の口舌は常に軽妙だ。それどころか、関羽や張飛が言うには「兄者と話をしているときの諸葛亮は、一番生き生きしている」ということらしい。 生き生き、という表現が、この唇を微かに綻ばせているだけの面容から生まれた、とはとても思えず、やはり劉備は首を傾げる。 「しかし、先ほどは必要があって嘆いた『ふり』をしたわけですから、普段はそのようなことはございませんし」 ふわり、と諸葛亮の右手が白羽扇を扇いだ。 少しだけ落胆した。 それはつまり、日常の中、例えば劉備と過ごす中で、諸葛亮が笑ったり怒ったり、感情を揺さぶられるようなことがない、ということだ。 そなたにとって、私は感情を動かすほどの存在ではない、ということなのか。 「我が君がどうしても、私のそのような『ふり』をみたい、とおっしゃるのでしたら、いたしますが」 「『ふり』では意味がない」 「これは困りました」 困った、というわりに、諸葛亮の表情は動かない。本当に、こやつの心のうちは読みづらくて、こちらこそ困る。主君としては、いかなる物事にも心の動きを表面に出さず、それでこそ稀代の軍師、と膝を叩いて喜ぶべきなのだろうが、生憎と劉備はまったく喜べない。 「生まれ付きの顔を変えることは出来ませぬし、演技もお気に召さない、となれば、やはり我が君がみずから、私の心を動かすようなことをなさっていただかないと難しいですね」 先ほど、普段は無理だ、と言った口で、無理難題をふっかけてくる軍師に、劉備は一考して答えた。 「そなたこそ、誉れ高い臥龍先生だというのに、自分の心うちすら操れぬのか」 内心、にやり、と笑う。こう返せば、諸葛亮も観念するしかないだろう。 「なるほど、それも一つのご意見ですね。……では、こういう方法はいかがでしょうか」 一瞬、微かだった諸葛亮の口元の端が深く持ち上がったような気がした。 「私が感情を抑え込めないほどの、我が君の素敵なお姿を拝見させていただければ、我が君の望むものをお見せすることができるかと思います」 「素敵な、とは具体的に?」 「お耳を」 耳を差し出す。ひそひそと囁かれる内容は、歳を重ねた劉備とて赤面しそうになるほど卑猥な内容であった。 「あ、あほう! そのような真似、できようはずがないであろう!」 「では、諦めてください」 羽扇がまたふわり、と扇がれた。 これは、諸葛亮の策か、と劉備は穿つ。 劉備に無理難題を押し付けて、当然のように劉備が断ることを見越し、無理なものは無理である、と悟らせる、そういう策か、と思い当たる。 「よ、よし、分かった、やってやろうではないか」 悔しさと勢いで言い切った。 おや、と諸葛亮の目が大きく瞬かれた。それだけで、表情の乏しい男にとっては大きな変化だ。己の選択が正しかったことに気を良くした劉備は、さらに乗り気になった。 「その顔の裏側、見せてもらうぞ」 「……我が君には降参いたします」 諸葛亮の顔には苦笑と、そして次にはっきりと笑みが浮かべられた。整った顔立ちを華やがせる、良い笑顔だった。 してやったり、と劉備はほくそ笑むが、三度扇がれた羽扇の下で、諸葛亮の唇が会心の策がなったような満面の笑みを描いていることを知ったら、果たしてどうだったであろうか。 好奇心は身を滅ぼす、そういう話をひとつ。 終 腹黒の書き方を忘れた……。(腹黒孔明指定だった) こんなんでしたっけ? まあでも、あまり書かないタイプの孔明は、書いていて楽しかったです。 |
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