「絡めた指」
どきりとする10のお題 4より
 諸葛亮×劉備


 春の、初夏を思わせる暖かな日和、広がる草の上に寝転んで、鼻腔一杯に青草の香りを取り込む。
 ああ、とゆったりと唇が綻ぶ。
 背中を柔らかな草とどっしりとした大地が受け止めて、大きく広げた手足をどれだけ伸ばしても安心できた。
 髪をサワリと撫で行く薫風が心地よかった。
 顔に照る太陽が柔らかく、瞼は重く閉じていて、意識は覚醒と半覚醒を行ったり来たりしていた。

 先ほどまで、ひどく何かに耐えていたような気がした。
 苦しくて辛くて、しかし決してその辛苦から逃げてはいけない、使命感があり、何より生きるための機軸であった。
 そう、辛苦であるのにそれは決して辛苦ではなく、その辛さ苦しみさえもあの人のためと思えば全く別の意味を持つ。
 だから苦しくとも楽しく、辛くとも充実していた。
 しかし心はそれで満足をしても、体まで満足はしなかったようで。
 異変には早くから気付いていたが、しかし歩み続けなくてはいけない自分は決して立ち止まれなかった。
 自分が立ち止まってしまえば、あの人に置いていかれる。
 いや、置いていくことなどしないだろう。あの人はそういう人で、だから自分は従い、慕っているのだから。しかしそれではいけない。自分が立ち止まってしまったら、倒れてしまったら、あの人は足を止めて手を差し伸べるために、後ろを振り向いてしまう。

 前だけを、どうか前だけを見ていてください。

 だから倒れるわけにはいかなかった。
 そうして耐えた先で、きっとあの人が笑ってくれる。もしかしたらその傍に自分の姿はないかもしれない、と覚悟はあったが、それでもあの人が笑って過ごしてくれるなら、それでも構わない、とまで思った。

 足の先から力が抜けて、膝から落ちた。
 すでに意識は薄れて、あの人が駆け寄ってくるのが最後に見えた。

 ああ、おかしいですね。
 私の策は完璧で、恙無く成功を収めたはずなのに、どうして貴方は笑っていないのでしょうか。
 どうして、そんな悲しそうな顔をしているのでしょうか。
 いいんですよ、私は。貴方さえ笑っていてくれれば、それで充分ですから。

 だから、ねえ?

 それにしても気持ちの良い場所だ、と意識が春の日和へと戻っていく。
 陽だまりの匂いが心を安らげ、背中を預ける大地は揺らぐことを知らない。それはどこかあの人のことを彷彿させる。
 髪を梳く指が優しい。
(……指?)
 気だるかったが、その指の存在に驚いて手を持ち上げた。まるで借り物のような腕で、その指を掴む。
 畑を耕す手でもなく、書を綴る手でもない、剣を握り、そして弱いものを守ろうとする手だ。
 大好きな手だ。
 人一人助けるのに精一杯であるはずのときから、一人でも多くの人を救いたいと願い続け、そしてそれが出来ない己を責めて、悔いて泣いてきた、それでも諦めなかった大きな大きな手が、自分は大好きだった。
 その手が、指が自分の髪に触れ、慈しむように梳いている。
「……殿」
 握った手に力を込めて、その主を呼ぶ。
 ぐっと力強く握り返されて、字を呼ばれた。
「どうした、孔明」
 ずっと開かずにいた瞼がふっと持ち上がる。

 微笑んでいる大好きな人がそこにいた。

「良かった、貴方が笑っていて」
「そうか」
 笑っている劉備は太陽のように暖かく、諸葛亮の体を支える腕は大地のようにどっしりと、そして微かに香るのは、青草の陽だまりの匂いだ。
「だが、いい加減に起きんと、私は本当に笑えんぞ?」
「そのようですね」
 どこからか、自分を必死に呼ぶ声が聞こえる。
 悲痛なその声は、きっと辺りを憚らずに泣いているに違いない。君主としての威厳も何もない。
「困った人だ」
「お前がそうしているのだろう」
 叱られて、でもそれが嬉しくてクスクスと諸葛亮は笑う。
「こらっ」
「申し訳ありません」
 寝転ぶ諸葛亮の顔を覗き込んで、劉備は精一杯であろうしかめっ面をして見せる。
「では、起きますけども、少し力を貸していただけますでしょうか」
「いいとも。お前には助けられてばかりだからな」
「口付けを」
 躊躇いもなく口にした諸葛亮に対して、劉備は少し頬を染める。それでも分かった、と言って、諸葛亮がずっと握っていた手に指を絡めた。
 どくん、と体が一気に覚醒を促されたような気がした。
「目は瞑れよ」
「御意」
 そっと目を瞑った。



 再び目を開いたときは、きっと泣き笑いの劉備が自分を見下ろしているのだろう、と思いながら……。



 おわり





 ED改ざんで。



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