「風吹く鈴の先」
 諸葛亮×劉備


「涼、ですか?」

「そうだ」

 諸葛亮は、つらつらと進めていた筆を止めて、しげしげと劉備の顔を見つめた。諸葛亮の慕う主は、ニコニコと自分を見つめ返している。
 まるで、どうだ、良い思い付きだろう、と言わんばかりに、少し得意げになっている。そんな顔は主を幼く見せるが、諸葛亮は好きだった。

「最近、暑いだろう? 涼しいところへ行こうではないか」

 突然、自分の執務室を訪れた、と思えば、そんなことを言い出した劉備へ、諸葛亮はしかし、得意げな顔を好む感情とは別に、小首を傾げた。

「しかし、殿。先ほど頼みました書簡は、いかがされたのですか?」

 尋ねれば、おかしなほどに挙動不審になる。あれはだな、まあ、なんだ、などとモゴモゴと口籠もる。そんな劉備へ、思わず溜め息を吐いて、諭してしまう。

「執務のほうが滞っているのに、ここを離れるわけにはいきません。もし、どうしても、とおっしゃるなら、執務を片付けてからにしてくださいませ」
「だが、こう暑いと、書簡を読むにも体力を使うのだ。少し涼しいところへ行ってだな……」
「駄目です」
「孔明、お主は少し休んだほうが」
「いえ、大丈夫です」

 ぴしゃり、と告げれば、劉備はしょんぼり肩を落として去っていった。その消沈ぶりに、諸葛亮は少しばかり胸が痛むが、これも劉備を思ってのこと。
 心を鬼にせねばなるまい。
 そう考え、しばらく諸葛亮は筆を走らせていたが、ふと筆を止めた。


「せっかく、孔明と二人でどこかへ出かけようと思い、誘ったのに」

 つれないの。
 劉備は自分の執務室へ戻りながら、一人で呟く。
 働き詰めの、いや、働きすぎている諸葛亮を心配し、少しでも気分転換をして、休ませたい、と思った自分の配慮は、台無しだ。
 上手く伝えられない自分の口下手を恨みながらも、仕方なく、執務室で残された書簡を読むことにした。

 午後の陽射しが部屋を暑くして、劉備の瞼を重くする。
 夏の暑さから逃れようと、うつらうつらとする劉備の耳に、不意に飛び込んだ、涼やかな音。

 ちりんちりん――

 その、聞いたことのないような涼しげな音に、劉備は知らずに口元が綻ぶ。それから音の正体を知りたくて、重かったはずの瞼を持ち上げる。

「起こしてしまいましたか」

 窓辺に、諸葛亮が立っていた。劉備を見下ろして、微笑んでいる。

「それは何だ?」

 諸葛亮が伸ばした腕で、窓の軒先に何かをぶら下げている。音は、そのぶら下げられた物から発せられたらしい。
 釣鐘の形をした陶器の中に、小さな金属片がある。その金属片の先に短冊が下げられ、それが風に吹かれて揺れるたびに、釣鐘の中で金属片がぶつかり、先ほどのような音を立てるらしい。

「名前はまだないのですけど、とても良い音を出しますでしょう?」

「ああ。涼しげな、和む音だ」

「月英がこのあいだ発明したものなのですけど。少しでも殿が涼しくなれば、と思いまして」

 先ほどは少し言い過ぎましたので、お詫びです。
 少し照れ臭そうに、諸葛亮は言ったので、劉備も首を横へ振った。

「いや、私も言葉が足りなかったのだ。もう少しで書簡が読み終わる。そうしたら、今度こそ涼を取りに行こう」

「はい、喜んで」

 微笑み合った二人の頭上で、また涼やかな音が一つ。

「名前がないのだったな。では、このような名前はどうだ?」

「何でしょう」



 ――涼和鈴(りょうわりん)



「人の心が優しく、涼しくなれる、という意味だが」

 どうだろう。
 聞けば頷かれ、

「良いお名前です」

 と言われ、二人は名前の付いた鈴を見上げる。

 ちりんちりん――

 和む音、また一つ。



 後に、風鐸や風鈴、という名が付けられる、夏の風物詩。発祥がここからだったかどうか……。誰も知らず。



 涼(了)





 あとがき

 またしても、あとがきを書くほどではないのですが。
 今回のお題は「夏休みだよ、水魚さん」でしたw

 風鈴の歴史を調べてみたのですが、中国は唐の時代にはあることは分かったのですが。
 三国の時代にはまだなかった、ということで話を作ってみました。

 少しでも和み、涼しくなれましたことをお祈りします。




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