「忠誠を誓う10のお題 1」
 劉備と諸葛亮


 01 あなたのために



 本当は、初めから分かっていたのだ。
 私はこの人へ従うしかない。その道しかない。
 だけども、そんな気持ちを抱いたことが怖かった。

 今の暮らしにも、満足はしていたのだ。
 だけども、確かに胸の奥でくすぶる思いもあった。それをまるで見透かすように、あの人は私の下を訪れる。
 しかし、頷くには怖かったのだ。

「分かっています」
 年下の自分に向かって、丁寧に話しかけるあの人は、責めることなく言ったのだ。
「私も、怖いのです。それでも、突き動かされる何かに、嘘を付けない。そうではありませんか?」
 優しさを湛えた瞳が、強く輝いた。
 天を見つめた男の目は、澄み切っていた。

 私は深く息を吸い込んだ。
「では、天を三つに分け、その一つをまずは貴方に」
 くすぶっていた思いを口にした。

「ありがとうございます」
 微笑んだ両眼に溢れる雫の美しさに、やはり怖い、と思った。

 たぶん、私はこの人のためにしか生きられない。
 そう思ったから。



 02 器用ではないけれど



 この人の生きかたは、ひどく不器用だ。
 いや、人によっては、この乱世で生き延びてこられたのだから、器用だと言うのかも知れないが、少なくとも、私は不器用だと思った。
 自分の身を切り売りし、時には無様なほどに逃げ、それでも自分の志を曲げなかった。

 捨てることも出来たのに。
 気付かぬふりも出来たのに。
 立ち止まることも出来たのに。

 どれだけ這いつくばろうとも、この人は立ってきた。
 立てないときも、それでも前へ進もうともがいてきた。

 その様を、自分は知らない。
 されど、澄んだ瞳の奥に、時折その影を見るとき、どきり、とする。
 そして、またその瞳に魅了される私がいて。

「お主は、器用ではないな」

 なのに、その人にそう言われ、私は驚く。

「お主は捨てることが出来たはずだ。私を選ばすに、ただあの穏やかな暮らしを選ぶことも出来たはず」

 なのに、あえて苦難の道を、自分と共に歩んでくれることを選んだ。

「なぜだ」

「今さら、それをお聞きになりますか?」

 選んでしまい、後戻りなど出来ないのに。
 それでも、私は喜んで答えましょう。

「貴方が、もっと器用に生きていたのなら、恐らく私は貴方と共に歩むことを選ばなかった。それが答えです」

 不器用に生きる貴方だからこそ、私は惹かれた。
 どうしようもなく。

 私も、もがいていたのだから。
 くすぶる志を拾い上げてくれる人を待ちながら、不器用に、もがいていたから。

 だから貴方の瞳の奥の影に、気付けたのだから。



 03 偶然も必然も関係なく



「もし、私より、誰か先にお主の前に現れたなら、お主はその者を選んだのだろうか」

 例えば中原を握っている男だったり、江東で牙を磨いている男だったり。

「どうでしょう」

 私は首を傾げた。

 毎日を忙しなく生きる人々は、人との出会いは偶然だという。
 また、人生を達観した人々は、口を揃えてこう言う。
 人の縁に、偶然はない。全ては必然である、と。

 しかし、私はそのどれでもないような気がした。

 言われた人が自分の前に現れたなら、果たして自分は頷いたのか。
 それは分からない。

 ただ、この人についていこう、と決めたのは、誰でもない、自分自身だ。
 それを人は偶然だ、必然だ、と言うのならそうなのかもしれない。

 だが、決めたのは自分。

 私はそう思う。

「少なくとも、私は殿を選んだことを後悔してはいませんし、良い主に出会ったと思っております」

 それで充分ではありませんか?

 そう答えると、主はそうだな、と嬉しそうに笑った。



 04 手足となりて



 ついに、あの人の天運が決まる戦いが始まった。
 天の龍がこの身に降り、あの人を乗せる、というのなら、逃してはならない。

 今こそ、手足となり、あの人を導いていかなくてはならない。
 気負っていたつもりはないが、気付くと震えている身体があって。
 こんなことではいけない、と思うが止まらずに。

「孔明」

 呼ばれた字に振り返った。

「お主は私の手足になる、と言ってくれた。しかし、何も全てをお前が背負うことはない。手足が増えたのだ。さすれば、重荷も二つの肩に分ければよい」

 なあ? とにっこり笑われて、不意に力が抜けた肩と、震えの止まった身体に、自分は驚く。

 敵わない。
 どれだけ普段、自分が教授していようとも、こういうときの主には、敵わない。

「はい、殿」

 静かに、私は微笑んだ。

 駆けようぞ。空を主を乗せるのではなく。
 共に駆けるため、この身体を伸ばそうぞ。

 この人と、手足を共にして。



 05 望むのならば



 貴方のためなら、この手が血に染まろうとも。
 貴方のためなら、この足が死者に引きずられようとも。
 貴方のためなら、この口で泥をすすろうとも。

 構わない。

 貴方が望むことを叶える。
 貴方の志を貫かせるために、全力を尽くす。

 望むのならば、私はどんなこともいたしましょう。

 貴方が徳、と呼ばれる光を歩くなら、私はその影となりましょう。
 光があるところに必ず出来る、その影となりましょう。

 影は必要なのです。
 光が光であるために。

「だから、貴方が泣く必要はどこにもないのですよ」

「しかし……」

 そう言って涙をこぼす貴方を、私はどう慰めたら良いのでしょう。

「影であることに苦しみは感じていません。ただ、影が望むことは一つです」

 望むなら、そう、望むなら。
 どうか、貴方は笑顔でいてください。

 どうか、ずっと私の光であってください。



 06 すべてを捧げましょう



 見果てぬ夢へ一歩近付いたのだ。
 足を置く、身を横たえる、踏み出すべき地を得た。
 大きな喜びだった。

「それでも、これはまだ一歩。気を緩めてはいけません」

「ああ、もちろんだ。だが、今この時だけは、少しばかり腰を掛けないか」

 お主が横に居てくれていることへ、感謝するために。
 そう言われては、私が逆らうことが出来ないのを知っていて、この人は言う。

「時折、殿はずるい」

「そうか?」

 破顔され、私は苦笑いするしかなく。
 それで少し悔しくなる。
 だから、澄ましてこう言った。

「では、私も感謝します。貴方に私の全てを捧げられていることに」

 まるで睦言のように、そう主の耳に囁けば、驚いたように、それでいてとても嬉しそうに笑って。
 その笑顔に、自分も嬉しくなって。

 ああ、結局、私はこの人に、全てを捧げてしまっているのだ、と確信させられ。
 私も破顔した。



 07 言葉にせずとも



 以心伝心、などと言う言葉を、信じていたわけではない。
 人は、言葉を持っているのに分かりあえずに争うのに、ましてや言葉を使わずに心が通じるなど、信じられなかった。

 なのに最近、そのことを覆されそうで。

「孔明は最近、私のことを良く見ているな」

「そうでしょうか?」

 意識をしていなかったので、気付かなかった。私は少し驚いた。

「それとな、何を思って見ているのかも、分かるぞ」

 さらに自分は驚いた。
 そんなことがあるのだろうか。

 仮にも自分は、表情を殺さなくてはならない立場。
 容易く人に心を読まれては、役目は失格だ。

 恐る恐る聞いてみた。

「何を、でしょうか?」

 寄せられた口から、囁くように送られた言葉に呆然とする。

「意識、していなかったのか?」

 珍しくも、意地の悪そうな笑いを浮かべる主の顔が、私はまともに見れなくなる。

「では、なぜ殿はお分かりに?」

 主の笑いが濃くなった。

「それは、お主と同じことを思っているからだよ」

 私はそろそろ、以心伝心、と言う言葉を、少しばかり信じてみようかという心境に、陥っていた。

 想っているだけで、伝わってしまうこともある、ということを。



 08 いつでも側に



 主は変わった。
 義兄弟の死によって、抜け殻のようだった。
 怒りに駆られたのも初めだけ。

 後は何かに憑かれたように、淡々と義兄弟の復讐へ明け暮れる毎日だ。

「私はな、孔明」

 軍備と執政以外で、話しかけられたのは久しぶりだった。
 私は嬉しくなって、それでも居住まいを正した。

「ずっと側にいるものだと思っていた。弟たちは私と共に生き、そして死ぬ。そんなことは無理な世だと分かっていたのに、どうしてか、信じていた」

 私は返事に困り、俯いた。
 いつもなら、慰めの言葉も、気を紛らわす言葉も、常に取り出せるように手元に置いてあるはずで。
 すぐに舌先に乗せて、綺麗に並べられるのに。

 それは意味の無いことだったと、すぐに気付いたから。
 自分に向けられた目には、何も映っていない。
 遠くにいる、弟たちだけに向けられている。

 私は、このように貴方のお近くに居るというのに。
 遠くの人ばかりを追い駆ける。

「私は、お側におります。いつでもお側におりますから」

 それだけを、詰まった咽から押し出して、私は主へ訴える。

 だから、私が好きだった、あの目で笑ってください。
 そんな空っぽの目で微笑まないでください。

 辛いのは、この人。
 されど、見ている自分も辛すぎて、見えないように抱き締めた。

 僅かだけの気休めでもいい。

「私は、いつでもお側におりますから……」

 背中に主の腕が回ることを、祈りながら、ただそればかりを繰り返した。



 09 それは命令ですか、それとも



「孔明」

 最後に呼ばれたのは私だ。

 震える足で、枕元に屈みこんだ。
 もう長くはない。誰の目にも明らかだ。

 後事を全て託されて、子との別れも済んだ。
 そして、主は息を吸い込んだ後、私を見つめた。

「私の最後は、お前だけに看取ってもらいたい」

 そう言って笑った主の顔は、初めて会ったときと変わらない、あの澄んだ強い目で、僅かな笑顔を浮かべた。

 本当は、これ以上ここに居たくはなかった。
 主の最後の姿など、見たくはなかった。
 見てしまえば、死ぬまで、その姿は焼きつくだろう。一生消えない、刻印のごとく。

 だから、私は最後の抵抗をした。

「それは命令ですか、それとも」

 命令だと、言って欲しかった。そうすれば、自分は最初で最後の命令違反をする。



「いや、私からの願いだ」

 なのに貴方はそう言って、また私の大好きな笑顔で浮かべるのだ。

「それでは、聞き遂げなくてはなりませんね」

 そのとき、上手く自分は笑えていただろうか。
 たぶん、笑えてはいなかった。
 頬を伝った何かを感じていたのだから。

「お主には、いつも辛いことばかり頼むな」

「いいえ」

 今度は、笑えた。

「それが、私の幸福ですから」



 10 いのちを賭して



 あの人のいなくなった空が、こんなにも大きかったなどと、私は恐れる。
 天は三つに分かれたまま。

 それでも、一つにするはずの主はもういなく。
 残された私へ全てが託された。
 それを重い、とは感じない。

 なぜならそれはあの人の夢、志であると同時に、自分の夢、志。

「だけれども、この天の大きさはどうでしょう。天はこのように大きかったのでしょうか」

 これを一つにするなどと、あの人が傍にいたときは、出来ると信じていた。
 迷わなかった。迷う暇もなかった。

 しかし今、不意に訪れたこの空白に、私は戦慄いた。

 軽くは決してない。
 そのことに改めて思い知り、それでも前に進むこと、もがくことが嫌になったわけではない。
 捨てられない。立ち止まれない。
 それは強制でも何者でもない。

 自分の意思、あの人の意思。
 自分の生きかた、あの人の生きかた。

「いのちを賭す覚悟は、当に出来ています」

 迷いはしない。恐れても、戦慄いても、進むことを諦めたわけではない。

 あの人のため、自分のために、この空、さらにも大きくして見せましょう。

 それが、あの人への、自分への、私からの忠義であるのだから。





 あとがき

 意外に難産でした。突起したイベントがない二人だからでしょうか?
それとも、諸葛さんが黒くないから? はたまた慢性的に仲が良いから?

 ちなみに、7番目のお題、何て言ったかは、想像にお任せします。




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