「無防備な笑顔」 どきりとする10のお題 2より 関羽×劉備 |
次々と兵卒から声がかかり、それに一言二言言葉を交わし。嬉しそうに笑う劉備を、さらに兵卒が囲む。 切りがなくなりそうだ、と関羽は案じつつ、人より抜きん出たその長身で、人垣の中に埋もれそうな劉備を難なく見守っていた。 慈愛に満ちた、優しげな笑みだ。 人の心を掴んで離さない、もっとこの人の笑顔を見たい、もっと笑顔にさせたい、笑っていて欲しい。 そう思わせる。 関羽も劉備と出会い、言葉を交わし、その笑顔を向けられたときからそう思っている。 しかしいささか最近は違う感情が己を支配しそうで、今もその感情が関羽にそっと偃月刀を握る手に力を込めさせた。 「兄者、戦に勝ったことが嬉しくないのか?」 脇からかけられた声に、関羽はびくり、とした。 「翼徳か」 不思議そうに仰ぎ見てくるのは、義弟の張飛だった。同じように劉備が人々に囲まれているのを眺めていたようだが、関羽は全く気が付いていなかった。 「どうしてそう思う」 「だってよ、すげぇ難しそうな顔してるぜ? ここにふっかい皺があるし」 ここ、と言って張飛は自分の眉間を指でぐりぐりと指した。 「嬉しくないわけはないだろう」 毎度のことながら、張飛は人のことを良く見ている。野生(に近い)本能がそうさせるのか、観察力は鋭い。 「じゃあ、何でだ?」 「兄者の御身を案じているだけだ」 「……?」 「ああして兵卒たちと交わるのも良いが、戦で疲れている身体には堪えるであろう、とな。しかし兄者を慕う兵を邪険にも出来ぬ。それで少々困っていた」 嘘をつく。しかし半分は真実であるだけに、張飛は納得したようだ。 「確かにな。なら俺に任せろ」 言うなり、張飛はおらおら、と肩を怒らせながら人垣を掻き分けた。非難めいた兵の声に、張飛は一喝する。 「兄者を少しは休ませろ。お前たちも後始末残ってんだろう。とっとと持ち場に戻れ!」 翼徳、と困ったように笑った劉備だったが、兵卒たちも張飛の言い分にも一理ある、と悟ったようだ。大人しくその囲いを解いた。 「後でまたゆっくり語ろう」 そう劉備は声をかけながら、人垣から抜け出てきた。 「雲長の差し金か?」 張飛と連れ立って、少し離れたところにいた関羽の下へ、劉備がやってきた。 「差し金とは人聞きの悪い」 渋面を作る関羽へ、劉備はくすり、と笑う。 「私はいつも、平気だと言っているだろう。ああして皆と話しているときが楽しいのだから」 「存じております」 「知っているなら、どうしてそういつも邪魔をするのだ」 「邪魔をしているつもりはござらぬ。ただ、拙者は兄者の身体を……」 詰め寄る劉備に、関羽は及び腰になる。 本当、雲長兄者は兄者に弱いな〜、と呆れる張飛の言葉も耳に入らず、関羽は居た堪れなくなりその場から逃げ出した。 「雲長!」 劉備の呼ぶ声が後ろ髪を引いたが、関羽の足は緩まなかった。 幕舎の外では勝利に酔う人々の熱気が立ち上っているようだが、閉じこもっている関羽には別世界の出来事のようだった。 張飛が幾度か呼びに来たが、だんまりを決め込む関羽にすっかり呆れたようで、宴の中心へ入り込んだきり戻ってくる気配はなかった。 はあ、と大仰なため息を吐いて、関羽は手持ち無沙汰に手入れの済んだ偃月刀をまた取り出して磨き始めた。 「ため息を吐くぐらいなら、出て来い」 後ろから声をかけられて、関羽は危うく偃月刀を放とうとしてしまった。 「……兄者、危ないですから急に声をかけるのはお止めください」 気まずい、と思いつつも忠告はやめない。 「お前は小言になるとそう舌がぺらぺら動くのに、いざと言うときは全く動かぬのだな」 幕舎に入ってきた劉備は、肩を竦めて関羽の偃月刀を握る手をそっと押しやった。 「もう手入れは済んでおるのだろう。お前も宴にまざれ。功労者の一人が欠けていては、盛り上がるにも盛り上がれんだろう」 「兄者が居れば充分でしょう」 「雲長っ」 強く字を呼ばれて、関羽は視線を落とす。 どうしようもなく醜い、と自分でも分かっている。しかし、だからといってどうすればいいのだ。 正直に己の気持ちを打ち明けたら、それこそ醜いのではないか。いや、むしろ子供じみた、大人気ない感情だと笑われるのが関の山だ。 「全くまどろっこしい。私も言葉は達者なほうではない。だが、お前は私ほどではないだろう。少しはその舌が論じられるために付いているなら、聞かせろ」 焦れているらしく、劉備は関羽の落ちた視線の中に入り込んでくる。 「…………」 しかし無言で劉備からの視線に答える。 「そうか、お前がそういうつもりなら、こっちにも考えがある」 劉備の声音が険悪なものに摩り替わる。警鐘が関羽の中で鳴ったが、構えるより早く劉備が飛び掛ってきた。 「――っ?」 咄嗟のことに、しかも相手が劉備だということもあって、関羽は見事にその巨体を地へと組み伏せられた。その上にさっと劉備が馬乗りになる。ぐいっと襟元が掴まれて、肩から先が持ち上がった。 それからすぐに、唇を塞がれた。 「――っっ??」 すぐに口付けからは解放されたものの、関羽は酷い二日酔いの後のような、思考のまとまらない有様だった。 「兄者?」 見上げる先で、劉備が眉を吊り上げてやはり怒っている。 「私はお前の何だ」 「主上です」 混乱しながらも、訊かれるままに答える。 「それ以上に」 「契りを交わした、義兄弟です」 「だから」 「大切な、義兄であり……」 劉備の怒りの眼差しが先を促す。 「拙者の想い人……です」 「分かっているじゃないか」 にっこりと、怒りの面容が嘘のように劉備は笑う。 兵たちに囲まれていたときに見せていた笑みとも違うそれに、関羽の身体の中心がどくん、と脈打つ。 「なら、お前が嫉妬することを嬉しく思う私の気持ちも、それを素直に話してくれないことを不服に思うことも、分かるだろう?」 「……そうだったの、ですか?」 途端に、劉備に軽く頭を小突かれる。 「だから、その舌が論じられるために付いているなら、使え、と言っているのだ」 襟元を掴んでいた手が外れ、関羽の長い髯に劉備の指が絡む。 「嫉妬もしてくれないなどと、それほど想われていないのか、と私が不安になるとは考えないのか」 上気した頬が間近で揺れている。 「例えそれが兄者を慕って集まっている兵たちに対してのものでも?」 「そうだ」 「だとしたら、拙者は相当な狭量になってしまいますぞ?」 「そうかもな」 酷いですな、と関羽は苦笑して、くるっと体勢を入れ替えた。 身体の下に閉じ込めた劉備へ、関羽は言う。 「ならば、しばしの間、兄者のその笑顔を拙者だけのものにしていただきます」 「この顔だけでいいのか?」 またしても浮かぶ無防備な笑みに、関羽は跳ね上がる心臓を宥めるのに必死だ。 「いえ……」 全てが欲しい、と呟く先は、劉備の唇へ吸い込まれた。 おわり いつもの調子の二人です(笑)。 |
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