「忠誠を誓う10のお題3」 曹操と夏侯惇 |
01 覚悟は出来ているか 振り返って笑った奴の顔は、昔のままで、これから「曹」の旗を掲げて、天下に名乗りを挙げる大事な まるでこれから、近所で幅を利かせている無法者を、ちょっとからかって、それから痛い目に合わせて追い出そう。 そんな心持ちでいるようだった。 俺はしかし、それがもっとも奴らしい、と思い、同じように笑い返した。 眼下に広がるは、黄色い水面で、そこへやんちゃな子供のように、飛び込んでいこう、とそんな勢いで。 しかし、後ろに付いた俺へ不意に投げ掛けられた言葉は、鋭くて。 「覚悟はいいか、元譲?」 その鋭さに身を引き締められたが、俺は唇の端を持ち上げてみせた。 「ああ、もちろん」 傍に同じように控えている従兄弟たちも頷いた。 そうか、と呟いた奴の顔は、またいつもの自信に満ちた、王たる器の片鱗を見せるそれで、後は迷いなく馬の腹を蹴った。 「曹孟徳の天下、ここから成る!」 俺は大音声に叫び、黄色い水面へと飛び込んだ。 02 利己的な条件 昔から、俺は奴に振り回されていた気がする。それは決して不快ではなかったが、時には眉をひめるときも、まあ、あったりする。 例えば、こんなことを聞かされたとき。 「元譲は、俺のものだろ?」 酒が入りすぎた後だったのか、何の拍子か覚えていないが、唐突に奴はそう言った。 同じように、酒が入りすぎていたらしい俺は、怒るでもなく答えてしまった。 「俺はお前のために生きてやるよ。と、言うか、今までもそうだろう」 「これからもか?」 「そうだな」 「死ぬまで?」 「どちらが?」 「俺が死ぬまで。お前は俺が死ぬまで死んではならん」 なんと傲慢で、そして利己的だろうか。 素面なら、さすがに眉をひそめて怒ったろうに、やはり相当に酔っていたらしく、俺はただただ笑って頷いたのだ。 「いいとも」 と、嬉しそうに。 03 まさか気が付かないとでも? 片目を失った。それでも戦場へ出ようとする俺に、奴は言った。 「その身体で出るつもりか」 「当たり前だ」 殴られた。咄嗟のことに、受け身も取れない。仮にも怪我人だ。 俺自身が戦場へ出ようとしていたとしても。まさかいきなり殴りつけられるとは思わなかった。 呆然として見上げた奴の顔は、今までに見たことがないほど、怒りに染まっていた。 どうしてそんな顔をしている、孟徳。 伯父貴が殺されたときでも、どこか冷めた怒りを見せていたお前なのに、俺が戦に出るのが気に食わんか。 「足手まといだからか」 「そうだ」 放たれた言葉は短い。短い故に、そこに込められた想いを汲み取ってしまった。 片目を失ったことによる、熱に苛まされていること。 誰にも悟られていない、と思っていたのに、一目見て、お前は見抜いたのか。 まさか気が付かないとでも思ったのか。 怒りに彩られた目元が、自分を睨み、そしてそう語っていた。 「すまん」 俺は謝るしか出来なかった。 04 そんなことをさせたいわけじゃない 奴のために剣を振るう。別段、難しいことではない。奴の手足となる兵を、より滑らかに動かすために指揮を執る。これも難しいことではない。 そして、奴の夢を形にするために、何をすることも厭わない。 それが、無抵抗の民を切り捨てることでさえ。 胸に苦いものが込み上げようとも、迷いはない。 その先にある、確かなもののためならば。 だが、いただけないことがある。 「そんなことをさせたいわけじゃない」 「世迷いごとを吐いたな、孟徳」 不意にこぼれた、そんな弱気な言葉に、俺の決意はぐら付きそうになる。 返り血を浴びて重くなった鎧が、急に肩に食い込んできたような気がする。 苦かった思いを耐えられたのは、迷いなく進めたのは、お前が迷わないからだ。 「お前の天下は、どこにある」 「分かっている。血に染まった大地の向こうとて、俺は迷いはしない。 だが、お前の姿を」 「言うな」 俺は剣を突きつけた。無礼も不敬も不遜もない。それ以上を言わせてはいけない。 「俺一人の姿に、お前の天下を曇らせない。もし俺の存在でお前が迷うなら、俺は自決する」 「分かっている。分かっている」 時に弱くなるのが人である。 それを見せないのが、君主である。 それがお前の姿のはずだ。 だが、俺の前だけで見せるお前の姿に、俺も迷いそうだ。 05 距離は一定、想いは不定 「お前は俺の何だ」 突きつけられた問いに、俺は即座に答えた。 「臣下だ」 従兄弟でもない、盟友でもない。俺は曹孟徳と共に生きることを選び、その下に仕えることを選んだ、臣下だ。 「そうか」 その答えに、しかし奴は満足をしない。 「では、俺はお前の何だ」 「俺の生きる意味だ」 「では、俺が死んだらお前は死ぬのか」 「さあな。それは天が決めること」 「そうか」 今度は満足げに頷いた。 だのに、今度は俺が不満に思う。 なぜだろう。 距離は常に保たれる。 つかずはなれず、臣下と君主。 つかずはなれず、従弟と従兄。 つかずはなれず、幼馴染で悪友で。 不意に訪れた沈黙が、その距離をおかしくさせる。 「お前は俺の何だ。俺はお前の何だ」 再びの問いに、俺は同じ言葉を紡げない気がした。 06 「どうかしている」 「どうかしている」 俺は幾万と輝く星の下で、そう呟いた。 「どうかしているな」 奴もそう呟いた。 どこかで狂ったのか。それとも狂わされたのか。 どちらに、どのように、いつから。 星はあの頃と変わらぬ姿で輝いているのに、俺たちも変わっていないのに。星の下で生きる人々が変わったのか。 空の下で交わした約束さえも、違えることなく貫いているのに。 『元譲。俺がもしも天下を救うほどの英雄になったら、どうする』 『ふざけるな、と怒鳴りつける』 『どうしてだ』 『お前は英雄、などという器じゃない。もしも自分のことを英雄、などとほざくなら、俺が大笑いして、怒鳴りつけてやる』 『英雄でないと言うなら、なんだ』 『曹孟徳』 それ自身であれ。 そう交わした約束も、今は遠い。 明日、奴は王になる。 07 見破れなかった嘘 「いつからだ」 奴が執務中に倒れた。少しの体調不良さえも見抜いていた自分なのに、どうしてだ。 寝台で眠る時以外に横になっている姿など、いつ以来見ていないだろう。眠る時間すら惜しいように動き回っている奴だ。 見下ろして問い掛ける自分が落ち着かない。 「ずいぶん前からだ」 この頭の虫との付き合いは、と唇を歪めて笑ってみせられた。 「そうか」 嘘が上手い。そうだ、昔からそうだった。 俺の気持ちに気付いたのも、奴が先だった。いつも俺は後から知らされる。 本当は、俺のほうが先だったんだ。 楽しそうに、そう告げられて、こいつの嘘は見破れない、と思った。 だからせめても、外の変化ぐらいは見破ってきた。 しかしそれもつもりだったようで。 「怒っているか」 「いや、呆れている」 どうにも嘘の上手いこいつと、それを見破れない自分とに。 「だがな、俺が嘘をついていることを話すのは、お前だけだ」 だから、許せ。 笑うあいつの顔を、やっぱり一度は殴ろうか、と拳を固めたが、やはり出来なくて。解けた拳で、ただ頭を乱暴に撫でてやった。 昔、散々やられたお返しに。 08 感情凍結 「あいつが呼んでいる」 嬉々として戦の仕度をする奴を、俺は複雑な思いで見守っていた。 共に乱世を歩んできた男との、対決となる。 背中を追い駆けていたのは、向こう。 追い駆けられることを望んでいたのは、こちら。 それが顔を見合わせることを望んだ。時は今だ、と告げられた。 「しかしあいつは、どうだろう」 素直に顔を付き合わせてくれるのか。 俺はその言葉を飲み込まざるを得なかった。 嬉しそうに、そんなに嬉しそうに笑うのか、曹孟徳よ。 俺は感情を殺して、見守るしかないだろう。 手は出せない。出したら、止めてしまうやもしれぬ。 この純然たる戦いを望む男の邪魔はしたくない。 例え、相手はそれを望んでいなく、こいつが失望をしたとしても。 見守ろう。あらゆる感情を殺しても。 それが、俺の役目だ。 09 けれども手放すつもりはなく、 「老いたな」 「お互いにな」 久しぶりに飲み交わした酒は、ひどく美味かった。まるで幼子が、野原で珍しい虫でも見つけたように、互いの白髪を見つけ合い、忍び笑った。 「それでも、お前は俺に付いてくるか」 「俺はお前が死ぬまでお前のものだろう」 いつかした、そんな話まで持ち出して、さらに忍び笑う。 「白髪混じりのジジイでも、俺はお前を手放すつもりはないぞ」 「最後まで、責任を持ってくれんとな」 「ああ、そのつもりだ」 そして、また交わした酒が、最後となった。 10 きみを欲す 「お前の姿を見なくなってどれくらいだろうか」 寝台の上で、忍び寄る、死と言う名の睡魔に誘われながら、俺は呟く。 たった、数ヶ月。たったそれだけの短い間だ。 そのぐらい、遠征中にはいくらでもあった。大した時間ではない。 「なのにな、俺の胸にはでかい風穴が開いているようだ。ひゅるひゅる音を立てて、うるさくて敵わん」 この穴を埋められるものは、もうないのだ。 しかし、約束は果たした。充分だ。 俺は寝るぞ、いいだろ、孟徳よ。 「駄目だ、元譲」 どこからか聞こえる奴の声。 「おい、死んでも俺に命令するのか、お前は」 「そうだ。俺はお前が欲しい。お前はどうだ」 「そうだな、俺もお前が欲しい」 「ならいいだろう」 目を瞑り、唇の端を持ち上げて、俺は笑う。 暗くなった世界の中で、悪戯小僧のように笑う奴の顔があり、俺はゆっくりと歩み寄っていく。 「さあ、行くぞ、元譲。覚悟はいいか」 「愚問だ」 俺はいつでもお前と共にあるのだから。 あとがき 幸せ一杯な曹操と夏侯惇、という感じでした(笑)。 真・三国無双ベースのような、北方のような、蒼天のような。美味しいとこ取りです。 蒼天の、夏侯惇と飲み交わして亡くなった曹操さまが幸せそうで、大好きでした。 これも、従兄弟愛でもいいし、主従としても良いし、深読みでもありです。 と、いうか、そうとしか読めない場面がありすぎ(笑)。 |
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